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あの日、雨が降っていなければ  作者: 貴堂水樹
第三章 早く殺して、レイニーブルー

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2.安堵

 貴義と別れ、賢志郎は一度自分の席に荷物を下ろすため二年E組の教室へと入った。

 黒板の上部、壁に掛かった時計を見やる。八時二十分。今電話をかけて、桜介は出てくれるだろうか。

 教室を出、C組の前に差し掛かる。教室内を覗き見るが、まだ杏由美の姿はなかった。


 渡り廊下の隅で、賢志郎は桜介に電話をかけた。七コールほど待って、桜介は電話に出た。


『おはようございます』


 かけてきたのが賢志郎だとわかっている口ぶりで朝の挨拶を述べた桜介に、賢志郎も「おはようございます」と返す。


「すみません、硲さん。この間、電話もらってましたよね」

『いえ、どうぞお気になさらず。体調はいかがですか?』

「もう平気です。電話もらった時、ちょうど寝込んでて」

『おやおや、それは大変でしたね。元気になられたようでなによりです』

「どうも。あの……それで」

『今朝のニュースをご覧になりましたか?』


 桜介のほうから話題を切り出してきた。彼の勘のよさに驚きつつ、「はい」と賢志郎は答えた。


「もしかして、その人も……?」

『お察しのとおりです。被害者は聖ベルナールの制服を着用していて、持ち物のうち、セーラー服の白いリボンだけが犯人によって持ち去られたものと思われます』


 やっぱり、と賢志郎は小さく漏らす。


「同一犯、ですか」

『おそらくは』

「……ねえ、硲さん」


 はい、と桜介は神妙に答える。一瞬迷ったが、賢志郎は再び口を開いた。


「あゆが、襲われた時の記憶を取り戻したんです」


 電話の向こうで、桜介が小さく息をのむ音が聞こえた。


『本当ですか』

「はい。まだ警察には届けてないんですけど、昨日、俺に話してくれて」

『それで? 彼女はなんと?』


 桜介が冷静な口調で先を促す。焦りの色は感じない。賢志郎は気持ち大きく息を吸い込み、ゆっくりと語り始めた。


「あゆが言うには、犯人は若くて、眼鏡をかけた男の人だったそうです。身長はあゆより少し高い……俺と同じか、俺より少し低いくらい。右手に刃物を持っていたらしいので、たぶん右利きの人間です」


 桜介は黙っている。表情が見えない分、賢志郎の不安は膨らむ。


「なあ、硲さん……あんた、右利きだよな? 背は俺より少し低くて、普段から眼鏡をかけてて、年齢の割に見た目が若い」


 桜介の声も、息づかいも聞こえない。スマホを握る右手に汗をかく。


「あんたじゃないよな」


 賢志郎は、ついに核心に触れた。


「答えてくれ、硲さん……あゆを襲ったの、あんたじゃないよな?」


 祈るように問いかけるも、しばらくの間、桜介から答えは返ってこなかった。


 十秒、三十秒、一分……どのくらい待っただろう。

 やがて聞こえてきたのは、乾いた笑い声だった。


『賢志郎くん……僕は少々、きみのことを買いかぶりすぎていたようですね』

「は?」

『いいですか? 僕が殺したいのは咲良を殺した犯人だけです。その願いが叶っていない今、杏由美さんを襲って自ら捕まるような真似をすると思いますか?』

「それは……」

『ナンセンスでしょう。仮に僕が杏由美さんを襲った犯人だったとして、杏由美さんは今でもこの世界に生きている……いずれ記憶を取り戻し、僕にたどり着いてしまう可能性は十分考慮に値することです。僕なら真っ先に杏由美さんの口を封じることを考えます。このまま生かしておくというのはあまりにリスキーだ』

「けどあんたは、杏由美からいまだに証言が取れていないことを知ってる。杏由美の記憶が戻っていないのなら、それこそリスクを犯してもう一度杏由美の命を狙う必要はないはずだろ」

『なるほど、いい推理だ。きちんと道理を得ています。しかし、残念ながらと言うべきか、きみの推理を完全に否定する材料が僕にはあります』

「え?」

『杏由美さんが襲われた、六月十日の午後六時四十分頃……僕は汐馬署の取調室にいました』


 しまった、と賢志郎は目を見開いた。バカか、俺は――。

 上辺だけの情報に踊らされ、肝心なところを考慮に入れていなかった。事件当時のアリバイの有無さえ確認しておけば、桜介に杏由美を襲い得ないことなど簡単にわかったというのに。


『同僚の刑事に確認していただければ裏は取れるかと思います。取り調べに同席していた者をご紹介しましょうか?』

「……いえ、大丈夫です」


 抱え込んでいたモヤモヤを一気に吐き出すかのように、賢志郎は大きく息をつき、壁に背を預けて廊下の天井を仰いだ。


「すいませんでした。疑うようなことを言って」

『とんでもない。僕に殺人願望があることをきみは前もって知っていたわけですから、そこへ客観的な情報が加われば、あらぬ方向に想像が膨らんでしまっても無理はない。少し冷静になって考えれば、否定する材料はすぐに見つかったかもしれませんね』


 なにごとも経験です、と桜介は笑った。一度疑われたにもかかわらず爽やかに切り返し、これが大人の対応というものかと賢志郎は半ば感心しながら、改めて「すみません」と謝罪の言葉を口にした。


『しかし、よく杏由美さんから証言を引き出せましたね。お手柄ですよ』

「いえ、あゆが自分から話してくれたんです。俺はただ、なにもできずに熱出してぶっ倒れてただけなんで」

『そんなことはありません。きみの一生懸命な姿が、杏由美さんの心を動かしたのでしょうから。きみの熱意のたまものです』


 嬉しそうに褒める桜介の声に、賢志郎は少し気恥ずかしさを感じた。照れ隠しの意も込めて「どうも」とぶっきらぼうに返す。


『ところで、賢志郎くん』

「はい」

『差し支えなければ、僕も杏由美さんから少しお話を伺いたいと思うのですが、取り次いでいただくことはできますか?』

「もちろん。俺たちもいずれ警察に出向く予定だったんで」

『助かります。お越しいただくのもお手間でしょうから、僕が学校へお伺いしましょう。今日の放課後、なにかご予定は?』

「いえ、特に」

「では放課後、車でお迎えに上がります。くれぐれも杏由美さんには無理じいをしないように。あくまで任意の聴取ですので』

「わかってます。あゆのことは俺に任せてください」

『頼みます。では、後ほど』


 はい、と答えて、賢志郎は電話を切った。過度な期待は禁物だとわかっていながら、これで少しは前に進むことができるはずだと、賢志郎は気持ちの高ぶりをなかなか抑えることができなかった。


 スマホをポケットに突っ込んでいると、どこからか視線を感じた。顔を上げると、少し離れたところから、朝練を終えて教室にやってきた杏由美が賢志郎のことを見つめていた。


「おはよ」


 賢志郎は迷わず杏由美に駆け寄る。杏由美もかすかに口角を上げ、挨拶がわりにうなずいた。


「今、警察の人と話したよ。おまえが記憶を取り戻したって」


 早速賢志郎が動き出したことを知り、杏由美は驚いて目を大きくした。


「警察もおまえから話を聞きたいって言ってる。どう? 話、できそう?」


 不安をその目に宿しながらも、杏由美ははっきりと首を縦に振った。賢志郎はその頭にぽんと手を乗せる。


「大丈夫、俺も付き添うから。けど、絶対無理はするなよ? つらいなら断ってもいい」


 杏由美はスマホを取り出し、手早く文字を打ち込んだ。


【協力したい】


 顔を上げた杏由美の瞳に、もう迷いの色はなかった。わかった、と賢志郎は笑いかけ、ふたりはそれぞれの教室に戻った。


 杏由美の覚悟を無駄にするわけにはいかない。賢志郎は今一度気合いを入れ直し、桜介の来訪を待った。


 杏由美が部活を休まなくてはならなくなったため、そのことを夕梨に伝えると、夕梨は賢志郎を見て「やるじゃん」と口の端を上げた。


「無理した甲斐があったね」

「だから無理なんてしてねえっての」

「やだ、バカなのあんた? 今更強がったってマジで意味ない」

「うっせ」


 ぷいとそっぽを向く賢志郎。夕梨が笑い、賢志郎もつられて笑った。

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