VRMMO小説とMMORPGの違い MMOというものの本質
さて、前回のエッセイに熱い反論を頂いたので
ちょっと誤解を解いておこうかな。と思います。
前回のエッセイの趣旨はより正確に書くならば
今のMMOやネット対戦ゲームが提供しているサービスはオワコン
というもので、MMOという形態のサービスが未来永劫オワコンと述べたわけではないのです
ただ、MMOサービスが今のサービスロジックの延長上で未来永劫展開するのならば、未来永劫にオワコンであると断言できます。
その理由なんですが、それは前回のエッセイに書いた通りです
すなわち
他のプレイヤーに期待したサービス
この段階で、娯楽サービスとしてオワコンなんです。
以上、終わり!
ってしたいんですが、どうして?って思う人が居るでしょうから、もう少し書こうと思います
本当は、こういう文章って業界人にの読んで欲しんですが、業界の人はたぶんこのサイト見ないんじゃないかなぁ。と思うので、徒労感半端ないです。
さて、では「他のプレイヤー」に期待したサービスってどういうこと?って話をしたいと思います。
の前に、タイトル回収するためにVRMMO小説とMMORPGの違いについて、このエッセイの視点から書いておこうと思います。
ぶっちゃけて言えばVRMMO小説はパッケージ型サービスです。
不特定多数が同時参加していませんし、そもそもゲームじゃなくて小説です。
どれだけ素晴らしい考察と舞台装置を用意しても、小説である以上パッケージですし、描かれる場面も登場人物も、娯楽として洗練されているのです。当然、その挙動は全て筆者によって計算されつくしています。だから、面白く見えるんです。
もしも、貴種流離譚の主人公なみのヒロインにあなたがMMOサービスで出会えたとして、そいつが時間とカネにルーズでどうしようもないペテン的性格で、常にあなたを養分としてしかみなしていなかったらどうしますか?ぶっちゃけ不愉快なクソゲーだと思うんですよ。
けど、VRMMO小説はあくまでも小説なんで、そんなクソキャラは敵役かピエロ役以外ではまず登場しません。
だから、物語小説は面白いんですよ。そして普通の人はそういう小説を読んで、自分もVRMMOもしくはそれを目指したMMOを遊びたいなぁ。って思うわけです。
けど、実際にそういう人がMMOを遊んだら6割以上の確率でMMOに幻滅すると思うんですよね。
まず、ボッチだとまともな出会いがない。そもそも、どっかの小説の主人公みたいに運命の出会いなんてするわけがないんです。ほとんどの人はね。
MMOでリア充がいたら、そいつはリアルでもリア充です。もしくは、超ギスギスプレイをしている廃人様でしょう。どちらにしても、まっとうなラノベ小説読者が近づけば、やけど間違いなしの危険物なのです。
まあ、この辺はボッチでMMORPGタイトルを渡り歩かないとわからないと思うので、これ以上掘り下げようよは思いません。
覚えておいてほしいのは
小説ほどリアルは面白くないって事です。
小説よりも奇なるリアルなんて、宝くじに当たるレベルでなかなかお目に掛かれないものですよ。それが幸運ならなおさらです。犯罪被害とかなら、結構な確率で出会う気がするので気を付けてください。
本題に入る前にもう一つ分かりやすい事例を書いておこうかなって思います。
作者にその気はなかったと思うんですけど、とある骸骨キャラをプレイしていたギルマスが異世界に転移して絶対支配者になる小説が、MMORPGプレイヤーの悲哀とそのオワコンぶりを冒頭で描いているんですよね。
これはとても気に入っている場面で、サービス終了直前のMMORPGで、久々にインして挨拶だけしてログアウトするギルメンに主人公が出会って会話する場面なんですよ。
ログインしてきたギルメンさんはせめて挨拶だけでもと、たぶん善意もしくは他の良い感情でやってきたと思うんですよ。けど、それって主人公からしたら寂寥感だけが増す行為なんですね。だって、一緒に遊びたいからギルドを維持していたのに、最後の最後にやってきて、かすかな希望だけ与えてまた居なくなるんですから。
第三者の視点で見れば、ある意味美しい場面ですけど、これをリアルプレイヤーの時に主人公側の立場で味わうと、けっこうクるものがあると思うんですよね。アニメ版では主人公がボソっと愚痴ってたと思うんですけど、とても共感できるシーンでした。
さて、何が言いたいかというと、MMORPGではプレイヤーは他のプレイヤーを楽しませる役割を、開発側からはそれとなく期待されているんです。
これはどれだけ論を尽くしても否定できない事実です。だって、そもそもそうじゃないのならゲーム形態をMMOにする理由なんてありませんから。
他人と交流することに楽しみではなく、苦しみしかないのなら、MMOという要素そのものがゲームの邪魔にしかならないんです。だって、ゲームはプレイヤーに楽しんでもらうために存在しているのですから。
普通のパッケージゲームならプレイヤーは一人です。だから、プレイヤーは必ず世界の中心であり、ゲームの形式によっては主人公になります。
けど、MMORPGは違うんです。プレイヤーが複数。それも大量にいるんです。だから、プレイヤーは世界の中心には絶対に成れません。だって、中心点がそこかしこに分散して存在したら、それは中心という定義から外れますからね。まあ、そういう事です。
前回の反論でAIがあれば的な事を言われましたが、AIをMMORPGに投入した段階で、それはNPCなんですよ。そしてAIに出来ることは人間でもできます。パッケージゲームのNPCを人間が演じるか?AIが演じるか?の差でしかありません。
つまり、MMOで期待されているプレイヤーを楽しませる存在を、プレイヤー以外が演じれば、中身がAIだろうと人間だろうと、それはただのパッケージサービスのゲームでしかないのです。そして、それをMMOと呼ぶことはできません。
「不特定」という定義から外れるからです。
そしてそれと同時に、じゃあ特定の用意されたサービス要員による上質なMMOを用意すればいいじゃないか?って、事になると今度はMMOと呼べるほどにサクラをどうやって用意するのか?という話になります。
AIだったら大量のメインフレームかそれに相当する設備が必要でしょう。人間だったら大量の人件費です。そして、人件費以外にもそれらに対する教育費もバカにならないでしょう。そんなものを用意するぐらいなら、パッケージサービスを作った方が速いし、上質だと思うんですよね。
話は戻りますが
MMOというサービス形態をとる以上
他のプレイヤーに期待するしかないんですよね。
けど、そんなものに期待できないのは散々書いた通りです。
プレイヤーは誰だって世界の中心になりたいし、世界の中心を味わいたいのです。
コンシュルジュや接待役をやれというのなら、それこそ人件費を払えばか!雇用保険と労災用意しろクソ経営者!って話になるんですよ。
この段階で、私から言わせればMMORPGって経営陣の手抜きの産物にしか見えないわけです。
もちろん、黎明期は違ったと思います。どちらかというと、仮想世界と社会実験的な理想をそれなりの数の人が夢想したと思います。
ですが、そういうものは公共事業や研究事業でやるべきことであって、娯楽サービスでやる事じゃないんですよね。つまり、ゲームじゃなくなってしまうんです。
MMOは遊びじゃないんだよ!
とは、とある開発会社がとあるMMO内に仕込んだメッセージですが、まさにそんな感じになるんです。
もう、この段階でオワコンですよ。そして、遊びじゃなくなったMMOのチャット欄の末路なんて、そりゃ酷いものです。全体チャットは常にワンクリック詐欺で覆われ、商取引は全て罠か詐欺です。相場師も存在するようになりますし、ギルマスが楽しそうにゲーム内脱法行為を企画している様も見た覚えがあります。
ぶっちゃけ、人間の醜い面を目撃して楽しめる人以外にはオワコンなんですよ。
リアルに似せたゲームなんて作るもんじゃないんです。
VRMMOを開発するぐらいならガイノイドを開発した方が何倍も楽しいでしょうし、社会に貢献できるでしょう。
MMOの本質は
パッケージゲーム開発においてNPCを作り上げる手間を省こうとした手抜きでしかない。
と断言できます。むろん、最初からそうやって開発されたわけではないと思います。
ただ、結果的にそうなってしまったんです。
そもそも、そうじゃなければ無料ゲームなんて存在しないんですよ
無料ゲームというのは要するに、無料に釣られてやってくるプレイヤーを
優良顧客の玩具に仕立て上げたいという設計思想のもとに作られているモノなんです。
そんなマヤカシを質の高いゲームだと褒めそやしたいですか?
私は勘弁願いたいですね。
楽しいゲームを作り提供するというのなら、正々堂々とパッケージングされたサービスで勝負すればよいだけなのです。
そう、例えばラノベなんてどうですか?
最後までお読みいただき、ありがとうございます