第94話
「なあ、雷太君。」
気怠そうに朝美は着々と洗い物を済ませる雷太に声を掛けた。
流しっぱなしの水道を止め、ベルトに挟めたタオルで両手を拭く彼の顔色は優れず、黙々と仕事をこなし、そんな原因を少しでも忘れようとしていたのだろう。
特に忙しくもないのに雷太は落ち着きが無く、厨房を見渡し仕事はないかと視線を朝美には定めなかった。
「なんでしょうか?」
それは美夜と少し距離を置いた事への罪悪感か、若しくはもう自分の手が要らなくなるかもしれない、孤独と哀愁の恐れなのか。
「君のお陰でお客さんが増えているのは大変有難い。」
朝美は料理の受け取り口の端を見つめ、深くため息を吐いた。
「有難いがあの雰囲気だけ、どうにかして欲しいのだがね。……ウチの美夜ちゃんにとっても悪影響だから。」
その受け取り口の端の先に見える観葉植物、店内で言えば入口を抜けて左奥の、目立たなくカップルがイチャイチャしても見付かりにくい位置に四人は一つのテーブルを囲んで座っていた。
「…僕にはどうしようも無くて…。」
それを聞いた朝美は再び呆れ気味にため息を吐く。
夏が始まり、日は長く、オープンテラスでは今日一日の疲れを吹き飛ばす為にビールジョッキを煽る社会人や携帯片手に料理をパシャパシャと撮る女性と、賑わっている中で店内は静かにBGMは流れていた。
「そうか……それと美夜ちゃんの隣に居た子ってもしかして…彼女?」
それほど、接点は無くとも雷太や美夜からある程度までの話は伺っていた。
だからこそ、二人の距離感に違和感を感じた朝美に嫌な予感が過った。
「……あのいじめっこです。」
「ちょっとぶっ飛ばしてくる。」
雷太の言葉を耳にした途端、朝美の顔色は急激に冷め、瞳からは生気が薄れた。
それは美夜がイジメに遭っていると知らされた時と同じ、静かな怒りを内包した、それでいて手の付けられない程、考えは凝り固まってしまう。
「ちょ、朝美さん、ちょっと待って下さい。」
慌てて雷太は彼女を止めに走った。
「雷太君、止めないでくれ。どうにも腹の虫が治まらないんだ。美夜ちゃんの隣で平然と座ってられるあの態度が気に食わない。美夜ちゃんもどうしてもっと早く言わないんだ。これじゃ、中学の時の二の舞じゃないか!」
「違うんです。朝美さん。」
彼女は恐らく、体幹やらインナーマッスルというものを鍛えているのかもしれない。
雷太が後ろから両手を抑えつけても、彼もろとも引き摺り、徐々に従業員入口に近付いて行けるのだから、飲食業はそういった面では優れているのかもしれない。
「いいや、違うくないぞ、雷太君。あれはどう見ても美夜ちゃんに圧力をかけて、さも楽しげに装っているだけだ。第一に君はいじめっこと仲良く出来るのか?」
「僕は、出来ない、ですけど、美夜さんは出来るんです。」
雷太のその答えを理解出来なず、朝美はふと立ち止まり、彼へと向き直した。
「それはどういう事か、きちんと説明してくれないか?それだけじゃ分からないぞ。」
だからそれを説明したかったのに、と彼は心の声だけに留め、朝美を止めるのに精一杯だった為に荒くなった呼吸をいち早く整え、経緯を話し始めた。




