第87話
もう何ヵ月前だろうかと思わせる濃密な期間だったな、と雷太は何時もよりも早目に起きた、その余った時間にふと思い返した。
そこまでで終われば、何となく事態は収束し、晴れて桃の呪縛から解かれたのではなどと甘い考えが過るのだが、今も隙間が無いほど密着する彼女の姿を見れば、未だに濃厚な日々が雷太を迎えているのだなと再確認出来る。
いや、あの時はまだ予測の範囲内で最大のアプローチを掛けていたに過ぎず、今は雷太か未来のいずれかが『らい君』であると桃は知ってしまったのだ。
だから彼女の積極性は更に加熱し、今も布団から覗く桃の肢体に衣服の類いは一切見受けられず、肌に伝わる弾力は一層、柔らかさと生暖かさを助長させ、雷太を誘惑しようと露骨な策を講じている。
「…おかしい。」
雷太は部屋の鍵を交換し、窓から侵入出来ない様につっかい棒も差し込み、ドアチェーンやその他、桃が無意識に入れない様、バイト代を注ぎ込んだにも関わらず、何時の間にか彼女は布団に潜り込んでいる。
そのいくら探しても見付からない抜け道に雷太はほとほと困り果てていた。
何度問い詰めてみても、夢見がちに行っている為に彼女自身知らないのだから余計に頭を悩ませる。
しかし悩みの種はそれだけではなくなった。
「おはよう、雷太君。」
どういう訳でそうなったのかは知らず、聞いても笑って誤魔化されるのだが、何故か美夜まで雷太の部屋で眠っていたのだ。
「美夜さん、おはようございます。」
律儀に布団まで用意し、彼の布団と密着させ、今は幸せそうに彼を見つめはにかんでいる。
「…おかしい。」
眠りについた時には確かに自分の布団しか敷いてなかった筈なのに、目が覚めた時には美夜が居て、尚且つ布団も敷いてある。
忍者やスパイ顔負けの隠密行動に女の子と一緒に眠れる嬉しさよりも、知らない間に殺人鬼に回り込まれている主人公達に共感出来る恐怖が勝ってしまった。
無責任な僕が美夜さんの返事を保留した結果、こうした現況を生んだのだから自業自得なのは重々承知している。
でも好きである事をここまで体現するのは少々やり過ぎでは無いかとも思うが、それすら言えないのが僕の悪い所でもあった。
誰かを傷付けたくない臆病者な僕は言及せず、今日も彼女達の好きな様に振り回される。
「ねえ、雷太君。今日も提案するんだけど、いっそのことみんなと結婚すれば良いんじゃないかな?そうすれば、争わなくて済むし、みんな幸せになれるよ。」
「それは駄目。らい君は私の事で胸がいっぱいなんだから不公平になるのは目に見えてるし、それに私、性欲強いから交代制なんかにしたら、約束事なんて守れる気がしないし。」
どうにも胸部を押し当てる力が強いなとは感じていたが、やはり桃は起きてたらしく、美夜が都合良く喋るのを妨げる様に雷太の言葉よりも早く反論した。
「こっちは手一杯だけどね。」
些か気になる節は見受けられたが、そこには触れなかった。
この一連の流れをなんら違和感無く受け止められるのはきっと慣れのせいだろうと、雷太は両脇であれこれ口論しあう二人を見て、ふと考えた。
あんなにも結論を急ぎ慌てふためいてた桃の姿は何処へ。
今は少しでもこの曖昧な関係を維持し続けたいのか、それとも諦めがつき『らい君』ではなく雷太に鞍替えするつもりでいるのか、はたと『らい君』に関しての過去の記憶を言わなくなった。
真正面から向き合う様になったと言えばいいのか、あの頃程の癇癪は起こさず、それでも不機嫌になったり迷惑する程の大胆さを体現するもののましにはなった。
恐らく雷太と未来のどちらかが『らい君』であると知ったからこその緩和なのだろう。
それより、今はどちらが朝食を作るかの議論が気になった。




