第8話
「あのさ、この際だし、ぶっちゃけて良い?」
それぞれが注文を終え、取り敢えず飲み物が出揃った時点で申し訳なさそうに雷太は二人に気まずく話し掛けた。
両者とも何も言わず彼を見ているという事は、話を続けてどうぞ、と体現してるのだろうと推測した雷太はミルクティーで喉を潤し、出来るだけ二人から視線を外し、爆弾を投下する。
「隠しててもあれだから言うけど、桃との約束は覚えてない。これはずっと前から言ってるよね。でもさ……違う女子と結婚しようって約束したのは覚えてるんだよね。ははは、は……は…。」
まだ、関係が薄い内なら大丈夫だろうと踏んだ雷太は笑い話みたいな調子で話した。
が、あんなに楽しく嬉しく笑っていた桃の顔はのっぺりとし、表情が乏しくなっている。
いや、正確には静かな怒りというところか、目は座り、口は閉ざされ、微かに鼻息は荒くなっていた。
流は訝しげに顔をしかませ雷太に見える様に指で小さくバツを作り、細かく頭を横に振る。
「そいつ、誰なの?」
弱々しい声量の筈なのに、それはハッキリと怨嗟の詰まったおどろおどろしさを耳で感じる。
嫉妬深く雷太をねめつける瞳から桃の心情が読み取れるまでに感情を呈して、彼は後悔と共に安堵も湧いた。
今、話して正解だったがここまで桃が変わるとは露知らず、ズイッと近付く彼女に狼狽えながらも、その徐々に濁っていく瞳から目を離せなかった。
「で、誰なの?」
彼女の追撃に雷太はしどろもどろになりながらも、ようやく言葉を吐き出せた。
「柿梨 李だよ。ほら、覚えてるだろ?幼稚園で同じ赤組の、何時も髪飾りを着けてた、あの子。」
「桃じゃなくて、李なの?」
「そ、そうだよ。」
人の顔は覚えられないのに、どうしてこう細かい部分は覚えているのだろうか。
「何で私の約束は覚えてないのかな?おかしくない?李ちゃんってあれでしょ?幼稚園の先生がいる前では良い子ぶってるけど影では私の事、苛めてたんだよ。何で、いじめっ子の約束は覚えてていじめられっ子の約束は覚えてないの?やっぱり、私なんて取るに足らない女の子だったって事かな?私は一時も忘れた事なんて無いんだよ。それだけを生き甲斐にしてたのに……らい君は、酷いよね。私の希望も将来も今までの人生も全部奪うんだ。」
「………ごめん。」
桃は雷太の胸ぐらを掴みながら、両手の間に頭をしなだれる。
たった一つの約束であらゆる感情、そして思いを抱く彼女に素直に尊敬した。
だからこそ、有耶無耶はきちんと白黒けじめをつけないと彼女に失礼だろうと、心は痛むがきちんと断ろうとしたのだが。
「李ちゃんが居なくなれば良いんだ。そうすれば、らい君は誰とも約束してない。だから、しがらみなんて無くなる。後はもう既成事実さえ作ってしまえば、永遠に私のものだ。そうだよ。子供ながらに婚約証書を作らなかった私にも不手際があったかもしれないけど、今はもう高校生。らい君は男。私は女。やる事は一つ。」
頭が近くにある分、いくら独り言の様に呟いたとしても全部聞こえてるんだよな。
嫌な予感しかしない。
「らい君!ちょっとホテル行こっか?」
急に立ち上がり、両手を引っ張り出口へ向かおうとする桃の顔は例えるなら、獲物を狙う猛獣の、あのギラギラとした興奮を抑えきれない瞳。
鼻息荒くして、確実に捕まえようと力みながらのぎこちない笑み。
手の平は汗で滲み、生温かくなり、全身からやる気が見えるかのよう。
「大丈夫だから!大丈夫だから!」
何が大丈夫なのかは分からないが、絶対に大丈夫ではないのは確実である。
「絶対ヤバイって。」
「大丈夫。直ぐ終わるから大丈夫。」
こうして、料理が届くまで堂々巡りが続けられた。
店員には怒られ、周囲からは奇異の目で見られ、桃と関わりだしてまだ数時間と経っていないのに、どうして僕の心は疲弊してるのだろう。
見た目は綺麗で可愛いのに中身はとんでもない彼女。
え?もしかして、この3年間あの調子?
え?もしかして、大学若しくは就職してもあの感じ?
え?もしかして、ホントに結婚するの?
将来の漠然とした不安に生命の危機すら抱く雷太はどうにか、この『おすすめパスタの三種盛り』で今だけ忘れようと食べはじめた。