第63話
窓からゆっくりと日の光は登り、徐々に黒く塗り潰された部屋に明るみと色彩を甦らせていく。
ようやく睡魔が襲ってくれたかと思えば太陽が高らかに起床の合図を送り、それと共に隣から慌ただしく足音を鳴らし、嫌な予感を引き連れ近付いてくる。
それは当然、桃の事であり、躊躇なく扉を開き気分を一新させたのか、久し振りに見る元気な姿に雷太を心地好い眠りに誘おうとしていた睡魔は一目散に逃げてしまった。
「らい君、おはよ~!」
寝間着姿のまま、桃はブレル事なく冷蔵庫の中を漁り、朝食の準備を始める、その後ろ姿になんら違和感を覚えなくなったのは果たして良い傾向なのだろうかと、半身を起こし雷太は暫し、日光浴をして些細な疑問を取っ払う。
波乱の一週間の最後、そう思い返すと雷太は少しだけ桃に歩み寄ろうと考えた。
それは仮であるにも関わらず、こうも献身的に雷太の世話をしてくれた彼女の無償の愛を労う思いと、彼女にとって良い思い出になって貰えばと言う彼の細やかな心遣いがもたらしたサプライズプレゼント。
「桃、いつもありがとね。」
たったその一言ではあるものの雷太は今まで言えなかった。
申し訳ないとか仮である身で近しく接するのはどうかと後ろ向きな考えでいた為に彼女の振る舞いを受けいられず、言えなかった感謝の言葉。
「ゴメンね、今まで言えなくて。でも、どう転んでも桃には感謝してるから。」
動きを止め、雷太の言葉に耳を傾ける桃の背中は微かに戦慄く。
「いいんだよ、らい君。私が好きでやってる事だから。憧れとか理想像を私は体現してるだけ、だから…。だから、……う~。」
顔を横に向けぎこちなく笑みを作る桃だったが次第に口元は固く閉ざされ、涙を堪えた呻き声を上げ、体を震わせながら泣くのを我慢していた。
「もし、かしたらもう…終わっ、ちゃうんだね。…もし間違ってたら…私、の方こそあ、謝らないとね。……。…雷太君を一目見た時から、ずっとらい君だって思ってた、の。これが、初めてなんだよ?今、まで…男の人とちゃんと、会話出来なかったのに、らい君だけは普通に、喋れたんだよ。だから…だ、から…。」
この試用期間の終わりを迎えるにあたり、桃も思い返したのだろう、どうしてここまで積極的に雷太と触れ合おうとしたのか、堪えた声で、胸の内を、真面目に答えた。
「そっか。」
「そうだよ。」
桃は鼻を啜り、再び料理を再開する。
僕は彼女の気持ちに何も言えなかった。
彼女の心の底から願っている真実をねじ曲げたり、貫いたりすり権利は僕には無いからだ。
でも、応援する事は出来る。
それがどういう結果であろうとも桃が悔いの残らないようにするのが今の僕の役割なのかもしれない。
だからと言って桃が目前まで歩み寄り、何やら良からぬ事をしているのを甘んじて受け入れるつもりはない。
「何してるの?」
これ以上の接近を許すまいと桃の両肩を押さえ、雷太は冷めた声で尋ねるや彼女は突き出した唇を元に戻し、拗ねた具合に顔を歪ませる。
「今までのお礼を貰おうかな~って。これぐらいなら許されるでしょ?どうせ、今日は栗林先輩とデートなんだから、私の不安な気持ちを和らげると思えばトントンじゃん。」
しんみりとした空気をぶち壊す様な桃の発言に彼の感謝した気持ちは一気に消え失せ、ため息ばかりが漏れた。
「私、言葉だけじゃ足りないの。らい君のエキスが必要なの。」
そうして彼女はぐっと雷太の両肩を握りしめ、距離を縮めようと力を入れる。
「うわっ!?」
何処にそんな力を隠していたのかと疑問に思うほどの勢いに雷太は思わず声を上げ、顔を背けながら対抗した。
「らい君。感謝してくれてるならチューの一つや二つしてくれても罰は当たらないよ。寧ろ、天に昇るような気持ちいい事が待ってるんだよ~。」
やらしく口を突き出し、目を閉じる顔面が目前へと迫る中でも雷太はホラー映画にありがちな場面だなと呑気に考えた。
映画であれば醜いマスクを被った殺人鬼が正に命を摘み取ろうとしてる瞬間であろうか。
それとも殺人トラップが目の前で急停止している所であろうか。
どちらにせよ恐怖とその場から早く逃れたいと焦りを伴いながら悲鳴をあげ、パニックに陥る所で雷太は冷静に桃の顔を見つめる。
こんな事をしても美人は美人なんだなと感心しながら桃の口撃を防ぐばかりだった。




