第40話
朝靄がもうもうと立ち込める中、徐々に顔を出す太陽の神々しい光は雷太の瞳により眩しく染み込ませていく。
足音が静寂を切り裂く様に響き、涼しげな空気が鼻通しを良くすれば、ようやくぼやけた思考が少しばかり鮮明になるのを瞳の奥で感じた。
結局、雷太は隣で眠る美夜を意識し、緊張のあまり一睡も出来ず、早朝に朗らかと眠る彼女に置き手紙を残し、そそくさと出てきてしまったのだ。
あれこれ理由を付けては何度もソファーで眠ると言う彼を突っぱね、彼女は希望を押し通し隣同士で眠るようになったは良いものの、弱きな性格が祟り彼の方を振り向く事すら出来なかった。
ただ、それでも美夜にとって思い出の一日になったのは言うまでもない。
久し振りに自分の意志を通せた事、尚且つ雷太と何をするでもなくただ一夜を共にしただけでも彼女にとっては大きな一歩であり、こうして募る想いを改めて実感出来た充実の夜だった。
気を休めるつもりだった雷太にとっては大きな誤算であり、頭が上手く回らない状態でアパートに帰ってしまったのが桃を酷く狂わせてしまうのを彼は知る由も無かった。
音を立てず静かに階段を上り、ドアノブを回す速度も金属音を出さぬようゆっくりに、そして恐る恐るドアを開き、先ずはとほんの隙間から室内の様子を観察する。
「遅かったね。」
急に声を掛けられた雷太はびくりと体を震わせ、声のする方向に視線を送るや、桃は上がり框に腰掛け彼を虚ろな瞳で見上げていた。
「た、ただいま。」
何も悪い事はしていない筈なのに彼女の声色とあの表情で見詰められると彼は後ろめた気持ちとなり、言葉を詰まらせ、取り敢えず挨拶はしてみた。
「遅かったね。」
扉を開き、一応土間に入るも彼女は一向に動こうとはせず、壊れた人形の如く同じ事しか言わない。
雷太はその窮屈さと彼女の居座り具合に圧倒され、何も答えられずにいたが、ふと鼻を掠める刺激臭と彼女の周りに広がる水溜まりに得体の知れない恐怖を覚えた。
「何してるの!?」
子供を叱りつける様な言葉と共に雷太は彼女の腕を掴み上げ、浴室へと強引に連れて行く。
長時間あの態勢のままだったのだろう、彼女はそのまま引き摺られた雷太の微かな表情の変化や肌の露出した部分を隈無く注視し、彼女の知らない空白の時間を推測する。
「だって、何時帰ってくるとか連絡も無いし、トイレに行ってる間にらい君が帰って来たらお出迎え出来ないじゃん。」
さも当然の様に答える彼女の、あの瞳の奥で滲み出る狂気に雷太は言い得ぬ不安が募り、叱咤しようにも言葉は失われていく。
彼女の目の下の隈は不眠を物語り、乾燥した唇と玄関にある水溜まりはあの場に飲み物さえ用意せずに居続けた証明となり、同じ姿勢であった為に凝り固まった筋肉が想いの強さを体現していた。
それでも雷太はこのままにしておけずに浴室へと辿り着くや彼女を抱えお風呂に入れようとした。
「らい君の匂いじゃない。」
彼女は胸に顔を埋め、ただそう言い放っただけなのに彼の顔色は青ざめていくばかりだった。




