第30話
「わたし、ちょっと叔母さんに挨拶してくるね。」
ガス、電気、水道、そして戸締まりを確認してる最中に美夜は思い出した様に言い残し、足早に階段を降りていく。
それを見計らったかの如く、桃は急いで自室から飛び出し急いで施錠するや流れる様に雷太の横へと滑り寄り、ちゃっかり腕まで組むのだから、ある意味ではしっかりとした性格なのだろう。
にへらと笑い、彼を引き連れここぞとばかりに美夜との距離を稼ごうと強引に先導するも、雷太もまた美夜の元へ向かおうと拮抗する。
「桃、そんな事ばっかりしてたら友達なんか作れないぞ。」
雷太は既に一番最悪のケースである、桃の言うらい君と縁もゆかりもない他人である事を前提に少しでも彼女に味方を付けておくべきと考え、将来性を含んだ注意をした。
「いいよ。別に。私にはらい君さえいれば良いし。」
しかし、仮のらい君ではあるが桃を思っての発言をしたにも関わらず頑なに受け入れず、寧ろ組んである腕を余計に絡ませ力強く抱き締める。
自ずと触れる彼女の体はどこを取っても柔らかさに満ちて、良い匂いがするのだから雷太であろうと少し狼狽えながら振り払おうとしても抜けず、蛇の様に密着度は増し、徐々に締め上げる力は強まる。
「色々と当たってるから。」
制服越しからでも伝わるその柔らかさ、風で舞う女の子らしい香り、俯瞰から捉えると彼女の端正さがより分かってしまう距離、あらゆる情報が交錯する中で彼は劣情を堪えようと明後日の方向に振り向いたが触覚、嗅覚だけは今も刺激を受けている。
かろうじて出た言葉はぶっきらぼうに言い放たれ、桃の阻止を無視してまで心の休まる美夜の元へと歩みを強めた。
「らい君…当ててるんだよ。もう…分かりきった事じゃん!」
そうして今度は緩急を交えて、その感触に彩りを加えていく。
押し付けたり、揺らしてみたり、動いてみたり、その悩ましげな感覚は実に彼の欲情を攻め立てていた。
桃もまた楽しげにやっているものだから試行錯誤に勤しむ事を苦に思わず、彼の様子を逐一観察し効果的な動きで誘惑を図る。
雷太には気が遠くなる様な長い時間に感じられたが美夜と大家の姿が見えた途端、鎖が解けたかの如く張り付けた空気は弾け、重苦しかった体も軽やかに感じていた。
「やや、これはこれは雷太君。よく来たねー。」
妙に猫なで声で優しく話し掛ける大家の姿に雷太はその豹変ぶりに気味悪さを覚え、少したじろぎながらも大家と一定の距離を保ちつつ、回り込むように近付いた。
今まで見たことの無い笑みをしてはごまをすり、猫背となって彼のご機嫌とりを図る姿の横で美夜はご立腹らしく、珍しく眉を吊り上げているのだから、微かに彼女たちの家族関係などが見えてしまう。
「雷太君。これからもご贔屓に。」
「もう、止めてよ。美月叔母さん。」
「え?……ええ?」
「雷太君、住み心地はどう?快適かい?今なら無償で取り付けるよ。何か必要?」
「止めてってば!」
美夜と話した途端に大家の雷太に対する態度は180度様変わりし、その代わりとして桃には辛辣になった。
「桃ちゃん、思春期の男女がくっついてちゃ駄目だよ。そういう事して良いのは恋人同士なんだから、許されるのはうちの美夜ちゃんだけです。」
「それなら大丈夫ですよ、大家さん。私達は既に婚約していますので、予行練習と思って頂ければ何も不純な事は一切ありませんので。」
かたや子供みたいに、かと思えば大人びた対応とどちらが大人なんだかと呆れてしまう程、低レベルの口論をしている傍らで美夜と雷太は二人を置き去りにして、高校へと向かった。
「だから、叔母さんには話したくなかったんだよね。」
ため息を吐き、頭を悩ませる美夜の隣で彼は煩わしさとは正反対の彼女の性格と久しぶりの静穏に笑みは溢れる。
「ごめんね、雷太君。美月叔母さん…独身だから恋バナに過敏でさ。」
「大丈夫ですよ、栗林先輩。それにしても叔母だったんだ。…でも、それだったら朝美さんが用意出来たのも納得ですね。」
美夜は歯切れ悪く頷くと何か言いあぐねている様子で、拳を強く握り締めて何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせている。
彼は何も尋ねず、彼女が話すまでじっと待ち続けた。
それは出会って間もない頃と同じ様に。




