第26話
それは、皆が寝静まる夜中の事。
彼女はふと布団から起き上がるや躊躇無く立ち上がり、そのまま玄関へとゆったりと歩いて行く。
途中、敷居に躓くもお構い無しに歩みを止めず、そうして近付いた所で右手を差し出しさ迷わせ、ドアノブを掴もうと蠢かした。
船を漕ぎ、体を柳の様に揺らす彼女の瞳は開かれているのに何処か宙を描いているのか視線は定まらない。
乱暴に開かれた扉から誘われるかの如く、フラフラ裸足のまま歩行する桃の格好はこの時期の夜中では少しばかり肌寒い。
しかしながら寒がる素振りすら見せず、徐々に彼との距離が縮まるにつれて彼女の口元は笑みを弾ませ、求めるあまりに前傾姿勢となりながらも足の裏を擦りつつ歩いて行く。
ただ、辿り着いた所で玄関の鍵は当然施錠されている訳で、彼女は何度もドアノブを回しながら引っ張るも開く筈など無い。
ドアノブを握り締めたまま、呆然と立ち尽くし、何か思案しているのか唇は微かに動いていた。
そうして何か思い当たったのか部屋へと戻り、キーケースを手に再び彼の部屋の前へと来て、一つ一つ鍵を錠前に当てていく。
その内の一つがスムーズに半回転し、桃は鍵を刺したまま扉を開けるも今度はチェーンが邪魔をする。
しかし、彼女は慣れた手付きでチェーンが緩み且つ手が入るギリギリの位置まで扉を戻し、その隙間に指を忍び込ませチェーンを外した。
ようやく扉は完全に開き、声も掛けず玄関マットで汚れた足も拭かず、況してや扉さえ閉めず桃は一直線に雷太の眠る布団まで歩くと、そのまま彼を後ろから抱きつく形で布団に潜り込んだ。
雷太は寝苦しそうに体を揺らすだけで彼女に気付きさえしなかった。
その数時間後、雷太は携帯電話のアラームで耳が痛い中、もう少し寝ていたいと毛布を頭まで被ろうと寝返りを打とうと体を丸め込もうとした時、ふとした違和感にその微睡んでいた瞳が瞬時に開かれ、飛び退く様に布団から体を逃がした。
そうとは知らず、可愛らしく寝息を立て嬉しそうに眠る桃は抱き枕を探そうと未だ暖かい布団をまさぐっていた。
人間は予想外の事態が起こると声を出す事すら出来ないのだなと雷太は現状を把握するよりもずれた事を考え無駄に納得していた。
彼女のはだけた部分から露出する肌がカーテンの隙間から射す太陽光で輝いて見えるのは目の錯覚だろうか、彼はその宝石の如く煌めく肌や髪の毛に心奪われ、見惚れてしまう。
それはちょっとした衝動だった。
雷太は音を立てず忍び寄ると桃の髪の毛を優しく撫でた。
そして指を櫛に見立て、そこから流れ落ちるジュエルの滝を作り出す。
滑らかに落ちるそれは、絹の如くきめ細かく、ダイアモンドの様に光を乱反射させキラキラと彼女の顔を化粧を施す。
吸い寄せられそうな蠱惑的唇、桃の瞳と比例する長い睫毛が美しさの隠し味か、彼が夢中で撫でているとくすりと彼女は仄かに微笑んだ。
「それ、気持ち良いかも。」
パチリと開かれた瞳は濡れて、頬は赤みがかり、そっと彼の手と自身の手を重ね、そのままゆっくりと髪を撫で下ろした。
「いや!その!違うくて!凄く綺麗だったから!じゃくなくて!」
雷太の慌てぶりはその言動からも明らかで急いで手を引き離し、右往左往する姿を彼女は尚も笑みを浮かべ和やかに見つめている。
「全然いやじゃないよ。逆にもっとして欲しいかな。」
「じゃなくて、何で桃がここに居るの!?玄関の鍵は閉めたはず……。」
そこまで言って、彼は玄関を指差しつつ見ようとした途端、何故か開かれているいる扉に唖然とし余計に事態は不明瞭となっていく。
ばたばたと焦りながら玄関へと向かい、開かれている扉を確認するや挿されたままの鍵に気付き、それを彼女に見せて確認してもらえば、やはり彼女の物のようなのだが。
「あれ?でもその鍵、私の部屋の鍵だけど……。」
汐らしく上半身を起こす彼女もまた不思議そうに鍵を見つめ、そう言えばと、部屋を見渡せばここが自分の部屋じゃない事にもどうやら今、気付いたようだった。
雷太は彼女の言葉に嫌な予感が内在しているような気がした。
しかし確認せずにはいられず、恐る恐る桃の部屋の錠前に先程まで扉に挿してあった鍵を押し込み回してみれば……。




