第20話
「簡単に言えば、この高校は実力主義だ。」
担任の五十嵐は机を叩き、大声で春の陽気と満たされた食欲により、こくりと舟を漕ぐ生徒を刺激する。
「運動や勉強、芸術、何だって良い。兎に角、良い成績を修める生徒には校則免除や授業料免除といったご褒美が約束されるんだ。」
五十嵐はジェスチャーを交えながら話す傍らで約束と言う言葉が出た途端、びくりと肩を跳ねらせながらも俯き、小さくなろうと体を丸める桃の姿が目に写った。
あれほど強きだった彼女が今は弱々しく、存在を消そうともがいてる様にも見える。
「このクラスで例えれば、柿梨だ。」
闘魂燃ゆる熱血教師ばりの昂った声色で柿梨を指差し、立ち上がるようにと人差し指で合図した。
数学担当なのに、何だこの暑苦しさはなどと皆がたじろぐ中、李は憮然と立ち上がる。
カールした横髪、後ろ髪は頭頂部に盛られ、前髪はぱっつんと髪だけでも情報量が多い中で更にわざと黒から茶色にグラデーションされている。
ナチュラルメイクに施された顔だが、所々コテコテとした印象を受けるのは彼女の髪と相まってなのか。
ブレザーではなく、ペンギンのワンポイントが入ったフルジップのパーカーはオーシャンブルーのサテン生地。
「いいか?柿梨はこう見えても入試での成績は学年三位だからな。人を見掛けで判断しちゃ駄目だぞー。」
今度はアイコンタクトで座るよう促した五十嵐は一呼吸置き、何が該当するのか板書しながら説明し始める。
学校新聞と彼女の説明を比べ、齟齬が無いかを調べていた。
ある程度自由があるという事は、制限もあるという事にも繋がる。
正に飴と鞭だなと雷太は考えた。
ただ、それにしてもと彼は李の変わりように再度、驚かざるを得なかった。
しかし霞の立つぼやけた姿形の彼女として雷太の記憶に残っているのだから、彼の驚きと言うのは些か小さく、地味だったのが派手になったな位のものだった。
「大人の世界に入ってしまえば、追求する事は難しくなっていくぞ。」
五十嵐はある程度の説明を終えると淡々と説教混じりの文句を唱え始めた。
「妥協せざるを得ない瞬間は今よりももっと多くなるぞ。私もあの時、結婚してればと悔いた夜は幾つもある。」
彼女は心底、悔しそうに歯を食いしばり、握り拳を震わせる。
「だから、学生の内から妥協はするなよ。諦めるとかは止せよ。」
不思議と五十嵐教師の瞳から情熱の炎が迸るのが見える、それほど彼女が建前ではなく本心から彼らに伝えようとするのがひしひしと感じる。
それに感銘を受けた女生徒が一人。
桃はまるで天啓を授かったかの如く五十嵐を見つめ、あの暗く重苦しかった空気を払いのけ、今ではうずうずと何か行動を起こしたいと落ち着かずに指を弄ぶ。
「先生!らい君を振り向かせるにはどうしたらいいですか!?」
元気良く手を挙げ滔々と説く五十嵐を遮り、はつらつと聞くだけで恥ずかしい質問を臆しもせず発した。
それにつられクラスメイト達は一斉に雷太へ振り向く。
羞恥心に煽られ、斜め下を見つめ知らない振りをする彼を五十嵐は一瞥し、ニヒルに鼻を鳴らし皆に背を向け、黒板に書かれた文字を消していく。
「その質問に答えられたら、私結婚出来たのにな……。」
哀愁を漂わせ、軽く溜息をつき窓へと向かい外を眺め黄昏る。
まだ、燦々と太陽は輝いているのにも関わらずだ。
「大丈夫です!先生、まだ若くて美人だから結婚出来ますよ!」
桃は勢い良く立ち上がり、よくよく聞けば失礼かもしれない事を言って励ましているのだが、五十嵐は『若い』と『美人』にだけ反応しているのか、少しにやつきながら照れ気味に相槌をうった。
「よし!先生、白黄の味方しちゃうぞ!だから、要望があれば、どんどん言ってくれ。贔屓しちゃうからな。」
「五十嵐先生…。」
今時こんな熱血ドラマ流行らないだろ、などと雷太は呆れていたのだがクラスメイト達は躍起に五十嵐を褒めちぎり、我先にと贔屓の対象になるべく賛美さえしている。
中学生の時とは違う意味で注目される原因は雷太へと振り向き、笑いかけた。
それは卑しさとかは感じられない。
ただ楽しくて笑っていた。