第106話
厨房では忙しげに調理音が飛び交い、朝美は踊るが如く計算された無駄のない動きで鍋やフライパンの中で、今か今かと料理されるのを待ちきれない材料たちを見事に統率し、材料たちに喜びを与えていく。
雷太はその後ろで使用済みの皿を洗いつつも、彼女たちの父親である店長の目配せで会計の済んだテーブルへと向かい、また新たなお客の為に綺麗な状態へと仕上げていた。
冷房が効いているとは言え、こうも動き続ければしっとりと汗ばみ、朝美に至っては火を取り扱っている為に制服を脱ぎ捨て、薄着で料理している程で、彼はいつも目のやり場に困ってしまう。
「所で雷太君。結局、うちの美夜ちゃんと付き合う気にはなったのかい?」
ある程度の目処がついたのか、朝美はタオルで汗を拭いながら、また突拍子もない事を聞いてきた。
いや、朝美の頭の中は何よりも美夜で独占されているのだから、当然の質問なのだろう。
「あー。とー。そのー。」
勿論、まだそこまでの関係ではないのだから否定しなくてはならない。
しかし妹で一杯の姉にその答えは火に油を注いでしまう。
ここは生かさず殺さずの姿勢で行こうと雷太は最近、曖昧な言葉で濁すようになった。
「また、仲良くなりつつありますね。」
ただ、それで終わらないのが朝美である。
「その答えは前向きに捉えた方が良いのかな?それとも後ろ向き?」
美夜の為に尽力を注いできたからこその勘の鋭さと、でも言うのだろうか、朝美は難なく雷太の作戦を見抜いている様で目の笑ってない笑みのまま、徐々に近付いてくる。
「雷太君は最近、話を逸らす傾向にあるね。そこまでしてわたしが介入するのを拒むのかい?一応、言うが君を雇っている店長はわたしの父で君の先輩はわたしの妹だ。そこまで言えば、分かってくれるだろ?」
雷太はがっしりと両肩を掴まれ、目付きが怖くなっていく朝美にとうとう根負けせざるを得なくなってしまった。
「あれから、わたしも考えたんだ。」
怯えた様に強張る雷太を和らげる為に朝美は一転して口調は柔らかくなり、彼に言われた言葉を何度も推敲したらしい。
「うちの美夜ちゃんが君の為に止まってるんじゃなく、君が止めてるんだと、わたしは思うな。」
言っている意味が分からなかった。
「でも、止まってる事に変わりは……。」
彼が結果論を持ち出そうとするや、朝美はこれ以上言わせまいと彼の口に手を軽く当てる。
「君は何時までも答えを先延ばしにしてるね。うちの美夜ちゃんが確実に好意を抱いていると知っておきながら…それももう知った仲なのに、だ。なのに、君はあの幼馴染ちゃんの遠い約束ばかり気にしているようだが、それは見せ掛けだろ?」
雷太は壁越しにではあるが桃が居るであろう場所を一瞥し、弱々しく首を横に振った。
「僕はただ、ちゃんとけじめを着けてからと…。」
そこまで言うや、またしても彼女は手を前に差し出し、話を終らせる。
「違うね。ただ、単にこの過ごしやすい関係が壊れるのが怖いだけだろ?是非が無ければ、以上にも以下にもならないからね。」
「でもそれだと、優柔不断だと思われて、呆れられて終わりじゃないですか?」
「じゃあ、そうならない無意識な自信があるんじゃないか?」
そう言われると、と雷太は自分の行動がそうであったのではないかと心が揺らぎ始めた。
「君に好かれる為に研鑽した成果を侍らせ、見せびらかしたいのか?そうして、自分に自信を持たせたいのか?」
「それは違います!」
自己中心的な批判をされ、流石の彼も言葉を荒げ直ぐ様、否定した。
「なら、答えは簡単じゃないか?」
朝美は即行動に移るべきと、携帯電話の画面を彼に見せた。
そこには『愛しの妹』と書かれた画面と発信ボタンが写し出され、後は雷太がそれを押すだけ。
「僕だって、やる時はやるんです。」
そうして、彼女の嘲笑いに気付かずボタンに触れようとした瞬間、やはり躊躇いがあるのか、どうにも踏ん切りがつかないようで。
「ほら。何をしてるんだい?後は電話してうちの美夜ちゃんに告白するだけだよ。」
そして朝美は雷太の腕を掴み、無理矢理にでも押そうと引っ張る、その必死さに雷太はようやく、自分が操られているのだと気付いた。
「いやいやいやいや。騙されませんよ。」
咄嗟に腕を払い、少し距離を置く彼の姿を見るや、彼女は落胆したようにため息を吐き、携帯電話を静かにしまう。
「君も大人になったんだね。…中学生の頃の君だったら良かったのに。」
そう言い残し、彼女は再び仕事へと戻っていった。




