家族別離
王城を追い出されたシンにはそれなりの金銭が支給され、一ヶ月の休暇を言い渡された。
故郷に戻り骨休めをしたら一兵卒からやり直せという命令と共に。
シンは傷む体に鞭打ちながらも、急いで王都を出ていった。
明日になれば勇者と王女の結婚式とお披露目があり、さすがにそれを目の当たりにすれば自分の心が持たないと思ったからだ。
好きだったのだ。
先ほどまでの出来事が悪い冗談で、あの場で言われた言葉が嘘であって欲しいと願うぐらいに。
もしも再び横に立てるのであれば、どんな試練だって乗り越えてみせると誓えるほどに。
しかしシンの腰にあった聖剣はすでに無く、新しい、王女の言う「真の勇者」がそれを手にしているのだろう。
その頼りなさが、シンの心に隙間風を吹かせた。
シンの故郷は、王都から7日ほど馬車に揺られればたどり着ける元開拓村である。
シンが魔境を切り拓いて新しい開拓地を作ったおかげで、開拓村はただの村に格上げされたのだ。今では新しい開拓村へ行く途中にある宿場町のような立場を確保しており、そこそこに栄えるようになっていた。
今後の収入に不安のあったシンは馬車を使わなかったので10日ほどかけて生まれ育った村に辿り着いた。
「ずいぶん変わっちゃったなぁ」
勇者になってから初めのうち、数回しか戻ることの無かった生まれ故郷。勇者でなくなった途端に戻ってきたのはどんな皮肉だろうか?
そんな事をふと考えたシンは余計な事を考えないようにと頭を振った。
すっかり様変わりした生まれ故郷は、新しい家がいくつもあった。
村を囲う柵も広げられており、自分がどこにいるかも分からなくなってしまう。
それでもおぼろげな記憶を頼りに、何とか見覚えのある人に道を尋ね、実家を見つけ出した。
その時、道を教えてくれた人が「ざまぁ」といった、どこか厭らしい笑みを浮かべていたのが気になった。
「ただいま!」
時刻はそろそろ夕方になろうとしていた。
村の生活は太陽が昇ると目を覚まし、太陽が沈むと眠るような生活である。祭などでもなければ夜の闇に逆らわない生活をするのが当たり前である。その為、家族は全員家にいた。
記憶と違い立派になった我が家を前に、シンは笑顔を浮かべていた。
シンは家のドアを開け、元気良く挨拶をする。
久しぶりに家族の顔を見るので、それまで沈んでいた心でも浮き立つのだ。
王女に騙された心の痛みは辛いけど、家族と一緒なら癒せると、シンは本気でそう思っていた。
――しかし、現実は無情だった。
「シン、か?」
「うん! ただいま、父さ、ん?」
4年ぶりに見る父は、昔の面影が無くなるほど太っていた。
父は樵で、とても大きな斧を片手で操り、伐採した木々を軽々と運ぶ剛腕が自慢の男だった。
それがどんな生活をしていればこうなるのか、180㎝強ある身長はそのまま、体重が二倍ぐらいに肥えており、本当に自分の父親なのかとシンの言葉は尻すぼみになっていた。
そんな戸惑う息子を前に、父親は怒りに顔を赤くすると、シンを全力で殴りつけた。
「この、バカ息子が!!」
シンは戦闘訓練を積んでいたが、理解し難い現実に混乱していたため、防ぐことも避ける事も出来ずに殴り飛ばされ倒れた。
父親はそんなシンを、力任せに何度も踏みつける。
「貴様が! 勇者として! やっていたからだ!
なのに! お前が勇者でなくなったからと! あいつら全部持っていきやがった!!」
シンの父親は、とても酒臭かった。
昼間から酒を飲んでいたのだろう。よく見ると、床には酒瓶がいくつも転がっていた。
「母さん! 父さんはどうしたんだよ!?」
状況が把握できずとも、我に返れば、シンは強い。
しつこく蹴ろうとする父の足を躱すと、他の家族に助けを求めた。
が、他の家族もシンに対し、冷たい目を向けていた。
「お前が勇者になった事で、うちには定期的にお金が届いていたんだよ。
でも、お前が勇者でなくなったからね。お役人様が来て、もうお金は出さない、自分たちで働いて生きていけってね。
もう何年も仕事をしてなかったのに、私らはいまさら何をすればいいんだい? どうやって生きていけばいいんだい?
お前が勇者になんかなったおかげで、うちはもうお終いだよ……」
母親は、泣いていた。
村社会と言うのは、誰もが助け合って生きていくことを前提にしている。
よって役割がしっかりと決められており、新参者が入る隙間が無いほど強固な体勢を整えている。
これまでシンの家族は勇者手当とでも言う様なお金で生活しており、当然のように仕事をしていなかった。手当があるうちは家族の誰もが働かなくても良かったからだ。
そのため周囲からは白い目で見られつつも、働かずに、優雅に暮らしていた。
そんな一家が今更働こうとしても、村から与えられる仕事は無い。
心情的にも、組織的にも。
4年間も優雅に暮らしてきた連中を受け入れる土台が無いのだ。もしそんなものがあるとしても、一から畑を開墾するところから始めないといけない。
そしてシンの堕落した家族も、そんな労苦に耐えられる状態ではなかった。
働かずに食べる飯の美味さを、その甘い蜜の味を知ってしまったが故に働こうという気にならないのである。
少しでも働いていればこんな事にはならなかったのだが、すでに遅すぎた。
だから辛い現実、その全ての元凶をシンに押し付ける事で彼らは心を保っているのである。
シンは家族と4年間離れていた男である。彼らにしてみればシンは既に家族という認識ではなく、ただの金蔓だった人間にすぎない。
自分達の言い分が八つ当たりと理解する事すら拒否して、これまでの優雅な生活に対する感謝も忘れてシンを生贄にしていた。
「お前のせいだ! お前さえいなければ!」
「出ていけ! この疫病神!」
「二度と顔を見せるな!」
幼い弟妹すら、親に倣ってシンに石を投げつける。
シンはどうすればいいのかも分からず、何も言えずに我が家から逃げ出した。
村の入り口の近くまで走って逃げたシンは、その場にへたり込んだ。
「なんなんだよ……」
シンの口から弱音が漏れる。
「なんなんだよ……」
頬を涙が伝った。
「なんでこんな事に……っ!」
握りしめた拳を地面に叩き付ける。
拳は硬い地面を割り、地面に手首まで突き刺さった。
シンは拳を引き抜くと、何度も地面を叩く。
「畜生っ!!」
門番の男は泣きながら地面をたたくシンに気が付いていたが、何と声をかけていいのか分からず、ただ無言で見守ることしかできなかった。
そして門番は泣き疲れ眠ってしまったシンを抱えると、門番用の休憩室に寝かせ、体が冷えないようにと毛皮の毛布を掛けた。
門番は交代の人員が来ると休憩室に行って、椅子に体を預けてそのまま寝た。
その日の夜は、寒かった。
だが門番は寒さを我慢し、体を休めようとした。