そしてまた日が昇る
もうすぐシンが意中の相手に告白する。
その話はエドの義理の父、ヨーゼフの一言から始まった。
シンが村に来てからずいぶん経つが、色恋のいの字も無いほど全く気配の無かったシンの浮いた話に村中が驚愕した。
ヨーゼフも誰に告白するとは聞いていないが、確かにシンが告白すると言ったのだと、断言した。
村では“誰が選ばれるのか”と騒然となり、これまで三年間と長い間シンを落とそうとしてきた女たちはようやく区切りがつくと安堵し、中には告白前に性的な意味で襲ってしまおうと暴走する者まで現れた。
一年前の事件以来の大騒動である。
そして告白当日。
シンは教会に来ていた。
「結婚を前提に、付き合ってください!」
シンの選んだお相手は見習い修道女であった。
それを知った老神官は頭を抱える事となった。
「ごめんなさい」
見習い修道女の返事は簡単簡潔であった。
ごめんなさいである。
シンは、ものの見事に振られてしまう。
しかしこれは当然の結果である。
彼女は、見習いであるが「修道女」だからだ。
修道女と言うのは、己の生涯を神に捧げている。
つまり、生涯不犯。
彼女は一生結婚しないし、異性と性行為などしないのである。勇者であるシンが相手であろうと、首を縦に振るはずが無かった。
シンはそんな事を知らなかったため、大地に両手をついて項垂れた。
普通の教会に所属する司祭や神官などであれば結婚することもある。修道教会に所属する修道士や修道女だけが結婚しないのだ。
そのあたりの差は、知らない者も少なくなかった。シンは結婚出来る方しか知らなかったのである。
それを陰で見ていた老神官は頭を抱えていたが、隣にいる修道女の方はお腹を抱え声を殺しながらも笑っている。
このあたり、二人の恋愛関係への意識の差が垣間見える。
神官の方は同じ男としてシンの一大決心がどれほどの物か分かるから頭を抱える。
修道女の方は恋に破れるのも一つの経験なので、修道女の規範を知らなかったシンの喜劇を笑い飛ばすだけの余裕がある。傷つきはしただろうが、時間が経てばシンも苦笑いで語れる程度に立ち直ると知っているからである。
なお、当たり前だがシンの目の前で笑うほど修道女の性格は破綻していない。裏で隠れてこっそりと見ていたから笑っていられるのである。
シンが見習い修道女に告白し、振られた事はその日のうちに村中に広まった。
修道女が結婚できない事を知らなかった者はそれなりにいたため、シンが振られて驚いたという者が過半数である。
シンが勇者である事はみんな知っているので、教会関係者が振っても良かったのかと首をかしげる者もいる。
これについては、見習い修道女ははっきりと付き合えない理由を説明している。
「もしも私が神への信仰を捨て、シンさんとお付き合いをしたとします。
その時、私にはシンさんの隣に立つ資格がありません。
なぜなら、私はシンさんとお付き合いをする為に、神を裏切ってしまうからです。
神への愛を捨て、男を選ぶ尻軽女を、シンさんが望んでいるとは思いません。あの人は、まだ誰も他の男を愛していないと思ったからこそ私に告白をしました。
ならば、すでに神を選んだ私は、シンさんに対し誠実に、お断りをしなければいけなかったのです」
見習い修道女はシンの事を理解していたからこそ、シンの求愛を断った。
シンの求める幸せが自分と付き合っても得られないからこそ、受け入れられないと思ったのである。
彼女は彼女なりにシンの幸せを願い、真摯な姿勢で応えただけなのであった。
シンは、他の男の恋人を奪いたいなどと考えていない。
誰かの幸せを奪うのではなく、ただ自分が幸せになりたいだけなのだから、軋轢を生む事などしたくは無いのだ。
もしも人の不興を買うような真似をするとしたら、同じ女性の寵愛を競う時ぐらいだろう。さすがに付き合う以前であれば、恋人関係の男さえいなければ遠慮はしないのであったが。
まさか神様が最大の障害となるとは、シンも考えていなかったのである。
さて。
これでシンは再び完全にフリーとなったが、傷心のシンをすぐに狙う不心得者はいなかった。
シンを狙っていた女商人のクコも、今回は何もしないと静観を決め込む。
普通に振られるならまだしも、修道女の誓いについて何も知らずにいた事で振られたというのは、はっきり言えば情けない。
相手の事をロクに調べもせずに、相手の立場を考慮せずに動くというのは、相手の事を軽んじていると言っていいほどの失態なのである。
シンが落ち込んでいる事の半分は振られた事だが、残り半分は相手の事を理解しようとしていなかった過去の自分が恥ずかしかったからなのだ。
振られて傷心の時ほど口説きやすい相手もいないのだが、誰もが付けこむのを躊躇うほどシンは落ち込んでいた。
女が動けないこんな時、シンを慰めるのは男連中の役割である。
ヨーゼフにエド、そのほかの連中も酒瓶を持ってシンの所に集まった。本来であれば祝杯となるはずだった酒であるが、振られてしまってはしょうがない。憂いを払う玉箒として呑むしかない。
「飲め! こんな時は飲んで忘れるしかねぇ! んで寝ろ! そうすればちったぁマシになる!!」
普段、シンと親交の無い大工の親父は酒の入った木製カップをシンの手に持たせた。
カップは大きく、一口で飲み干せる量ではない。なみなみと注がれた酒はそれだけシンの事を気にかけている証拠である。酒は安くないが、それだけ飲ませても惜しくないという気持ちなのである。
「他にも女はいるだろ! 追いかけるばかりじゃねぇ、追いかけてくる奴を受け入れるってのも幸せな事さ!」
「そうそう! あの商人のネェちゃんもイイ女じゃねぇか。あの娘じゃダメなのかよ?」
「まだ生きてる!」
男連中は、振られたシンに優しい。
彼らがシンを嫌っていない事もあるし、情けない顔をして落ち込んだシンの傷を抉るほど厳しい性格をしていないのもある。
なんだかんだ言って、ポコリ村にはお人好しが多いのである。
酒を飲ませ前後不覚にしてしまえば物事が解決するわけではないが、無駄に悩んでしまう時間を酒で洗い流すというのは悪くない選択肢である。
少なくとも、悩んでどうにかなる事では無い。忘れてしまうのが一番であるのは間違いないし、考えるにしても時間をおいて冷静さを取り戻すまで待った方がいい。
今は思考を鈍らせ騒ぐだけの元気を取り戻させるのが先決なのだ。
村の男達より持ち込まれた酒を飲み、女衆から渡されたつまみを食べ、誰かの調子の外れた歌を聞いていると、シンの気持ちもわずかに上を向く。
誰かに、大勢に慰められていると言う事が、みんなから愛されている事だと思えば頑張れる。
何をどう頑張るのかは分からないが、頑張れるのである。
誰かが飲み過ぎで倒れ、そのまま寝入っていびきをかいている。
誰かが椅子に向かって人生を説いている。
誰かは全裸になって踊り続けている。
そんな村の仲間たちを見て、もしかしたら騒ぐ理由が欲しくて利用されただけじゃないのかと邪推したくなる自分がいた。
悪い方に人の好意の裏を探ろうとする自分を叱りつけ、シンは立ち上がった。
全員分の布団の用意はできないが、狩人として集めた毛皮があったのでそれを引っ張り出そうというのだ。
今は春先で、夜はまだ冷える。風邪をひかないように何か被らないといけない。毛皮は汚れてしまうだろうが、それはまた洗えばいいのだ。
夜が更け、いずれは朝になる。
日が昇れば、また新しい一日が始まる。
また暗い夜が来るだろうし、雨雲が朝日を隠すこともあるだろう。
だけど、いずれ朝日は昇る。
ならば、暗い夜も怖くは無かった。