シンとスレイ
シンが頑張ったおかげで、砦の周辺はモンスターが駆逐され、次第に姿を見かける事が無くなっていった。
モンスターはある程度以上の知性があるし、たとえ愚かでも獣の本能を持っているので、シンが居る砦周辺は危険区域と認識されて近寄らなくなっていったのだ。
そうなると砦の兵士の仕事はほぼなくなる。
周辺の安全が確認されれば辺境と魔境の境界線を押し上げ、国土を広げる事ができる。
しかし、それには新たな砦の建設が必須であり、広げた国土を有効活用するために開拓村を作らねばならない。
それは簡単に出来る事では無いので、サイアプ国が国土拡張に手を出すまで時間がかかる。
兵士たちは束の間の休息を持て余していた。
「いや、マジで暇だな」
「そうですねー」
「普通の獣ならまだいるっすから狩人になるっすか? その前に木こりにならなくちゃダメっすけど」
「僕はそれ、禁止されているんですよねー」
「ああ、シンっすもんねー」
兵士たちは、暇な時間を使って開拓を行っていた。森を切り拓く、そんな仕事である。
無計画に木々を切り倒す影響はあまり考えられておらず、とにかく森を切り拓いて平地を作り、そこで農業を始めようという話である。
新しく村や砦を作るなら、すぐに大量の木材が必要とされるだろう。木材は切り倒してからすぐに使えるものではないので、今のうちから木々を切り倒し、乾燥させる必要があった。
シンが木こりをやらないのは、シンが木こりまでやったら他の者の仕事がなくなるし、ただでさえ無くなっている仕事への意欲がさらに削がれてしまう。
それに、急いでやる理由が無い。
シンは力を持て余しているが、そこは狼たちの調練や魔術の教師などをやる事で時間を潰すしかなかった。
大きな力を持つ者とは、それを振るえる場所に居なければあまり意味が無いのである。
そして、シンがやらねばならない事はそう多くは無かった。
そんな状態が1月ほど経ったある日。
「異動? 他の砦に行くんですか?」
「……うむ。この砦は戦地で無くなったと判断され、上より兵を分散させよとの命が下った」
シンの事は放っておこうと決めていた国王であるが、さすがに遊ばせておくのは勿体無いと思ったのだろう、シンを含む兵士たちを他の砦へと動かす決断をした。
領土を広げようとするのであれば新しい砦の建設とその護衛をさせればいいのだが、そうなると今度はシンに関わる人間が増えすぎてシンが勇者であるという秘密を守り難くなる。
だったらシンを動かさずそのままにすればいいのだろうが、それはそれで嫌という。
利益と秘密の保持とのバランスの問題であるが、今回は利益の方に少し傾いてしまったのであった。
そうしてシンは他の砦に配属され、兵役を終えて村に帰る1年ほどの間はクコとは顔を合わせることなくすごす事になるのだった。
2年と少しの兵役を終え、シンはポコリ村に帰ってきた。
ポコリ村はシンが砦の異動でいなかった1年の間に人を増やし、すこし広くなっていた。さすがに村から町の規模になる事はないが、魔境が開拓されていけばいずれはそうなるのだろう。人の領域は意外と手狭なのだ。
シンがポコリ村に帰って最初に行ったのは、村長などの所ではなくエド夫妻の所だ。
砦の異動でポコリ村は1年ぶりである。二人の子供が気になってしょうがないのだ。
「お久しぶりです!」
「シン! ようやく顔を見せたか!」
シンがエドの家に行くと、義理の父親であるヨーゼフがいた。ヨーゼフは非番なら娘夫婦のところに顔を出すことが多く、この日もシンにとって運のいいことに孫の顔を見に来ていたのだ。
ヨーゼフにとってシンは息子のようなものだ。なんの遠慮もいらないとばかりに家の中に招き入れた。
「お父さん、どうしたの? あら、シンじゃない。久しぶりね」
家にはソフィアがいた。
産まれてまだあまり経っていない息子を抱いたまま、シンに笑いかけた。
ソフィアは一児の母となっても屈託のない笑顔を見せており、幸せそうな、いや、幸せであるからこそ出せる雰囲気を持っている。
事実、愛する夫と、その間に儲けた息子、頼れる家族に囲まれ彼女は幸せなのである。子を産むときの苦労はあったが、そんな辛さは笑って吹き飛ばせるだけのものでしかなかった。
そんなソフィアの笑顔を見て、やっぱりこんなふうに笑える幸せが欲しいと、シンは強く思う。
「あー? だー」
「あら、起きちゃった。シン、この子の名前はスレイよ。スレイ、シンお兄ちゃんに挨拶しなさい」
「だー?」
「始めまして、スレイ。シンだよ」
ソフィアと挨拶を終えたところで、ソフィアの子であるスレイが目を覚ました。
お腹が減っているとか粗相をしてしまったわけではないので、スレイの様子はごく普通である。スレイは赤ちゃんらしい好奇心に従って周囲を見回し、見慣れない男、シンに顔を向けたところで動きを止めた。
ソフィアはシンに息子を紹介すると、息子に挨拶をするように言う。さすがに生後半年も経っていない子供にそんな事ができる訳も無いのだが、そこはただの習慣付けである。シンのような初顔合わせの相手とは挨拶をして欲しいのだと、今のうちから言い聞かせているのだ。
シンはスレイの方に顔を近づけ、自分の名前を教える。
スレイは何をすればいいのか分かっておらず、辺りに顔を動かし、戸惑っている。
シンはスレイに向けて指をさすように突き出し、反応を見る。
スレイはシンの指を握り、口の中に入れようとした。赤ちゃんのうちは何でも口の中に入れたがるものなのだ。
シンはされるがままに指をしゃぶらせ、ソフィアはそんな我が子を慈しむように見ていた。
シンは、村でも優秀で有望な狩人である。
仕事は早く、人の何倍もの速さで終わらせることが可能である。
シンはこの日から、エドの家に、スレイの所に通う事になるのだった。