束の間の平穏
クロッサス王国は落ち目である。
ニセ勇者が死んでから半年以上経つと、さすがに周辺国も勇者がいない事に気が付く。
勇者というのは政治的にも非常に価値のある存在で、自国に手を出せば勇者が黙っていないという脅しをする事もあったぐらいだ。
さすがに勇者を戦争に直接的に関わらせる事はなかったが、クロッサス王国の外交官は勇者がいるから多少雑な交渉をしても大丈夫という認識をしていた。
それがある時期から、それも勇者の結婚とお披露目という一大行事の後から言わなくなったのだから各国は当然のように疑問に思う。
そしてクロッサス王国に勇者はいないという真実に辿り着くのだ。
そうなると今度はなりふり構わずシンを探し出す。
シンは見かけによらず凶悪犯罪者であり、見つけた場合は引き渡しを願うという形でだ。
各国にシンが勇者とバレた瞬間である。
普通はこんなことを言われても額面通りに取る馬鹿はおらず、シンの名前が各国に知れ渡っただけで終わる。
クロッサス王国には何年もまともな外交をしてこなかったツケがきてしまったのであった。
一方、シンのいる国では。
「ポコリ村にいる異国の若者がシンと名乗っています。今は兵役という事で辺境の7番砦にいるようです」
「そうか。法を犯さねば手出しは無用だ。貴族共にも手を出させるなよ。手を出した場合は、それを理由に潰す」
国王と宰相がシンの処遇について話し合っていた。
シンのいるサイアプ国は、クロッサス王国よりは大きいがやはり中小規模の国から抜け出せないような、そんな国である。
近隣には切り取れる領土が魔境しか無く、魔境にいるモンスターを継続的に退治できる強力な軍隊が無いので手の出しようがない。
それでもいつかは、と計画的に戦力を整えているが、たまに魔境で大きな被害が出てしまうので先は長い。
そんな国の国王は、勇者シンを見なかった事にする事にした。
勇者なんて手を出しても制御する事ができるとは思えないし、逆に反旗を翻されたらその時点で終わる。
似たような国力のクロッサス王国が失敗しているので、せめて何が原因で出奔したのか、その理由ぐらいは先に調べないと動くに動けない。
それに、もしも勇者を手に入れたところで自国に置き続けられるか不安だったというのもある。
直接面している場所は無いが、南に少し行ったところに光の帝国という、近隣最大最強の軍事国家がある。もしも勇者を手に入れようものなら、帝国がちょっかいをかけてくるかもしれない。そうなったら終わりである。
直接関わっていないなら何とでも言い逃れができるのだから、見なかった事にする方が平和なのである。
国王たちにしてみれば、兵役という形で辺境の平定に力を貸してくれるなら、あえて手を出す理由が無いとも言う。
もしも勇者の手を借りれるのであれば自分のそばに置くよりも辺境に置くだろう。
つまり、今と何も変わらない。
それに、こうすると自分に逆らう貴族が馬鹿をやるかもしれない。
そうなったらその他の貴族と結託してその馬鹿貴族を潰せるようになるだろう。大義名分は自分たちにある。
そんな国王たちの思惑もあり、シンの平穏はもうしばらくは続くだろう。
裏でそんな事になっているとは露程にも知らないシンは、狼を犬にすべく努力していた。
「ほら、ご飯の時間だよ」
「ワン!!」
シンが考えているのは、自分がいなくなった後の事である。
シンが魔術を教える事で、シンの仲間たちも魔術が使えるようになった。今後、増員や人の入れ替えがあった時には彼らが教師役を務める事だろう。
しかし、シンがいなくなるという事は確実に戦力が低下するという事であり、今のうちに出来る事をやっておくべきだとシンは考えた。
その一環が、狼の犬化である。
狩猟に犬を使うのは、古来からどこでもやってきた当たり前の話である。
犬は人間よりも感覚器官が鋭いので索敵範囲が全然違うし、単純に戦闘能力だって低くない。狼の群れ一つは同じ数の、並の兵士よりも強いのだ。
犬は狩りにも使えるし、食糧消費はちょっと早まるがいる事の利益が大きいのである。
普通であれば狼が人間に従うのかどうかという問題が立ちはだかるのだが、そこは勇者の力である。
勇者という圧倒的強者の前に狼は誇りを投げ捨て、彼らは大人しく臣従している。
反抗?
それは本当の意味で生きる辛さを知らないものの戯言である。少なくとも、無駄死には誇り高い行為でないと狼たちは知っている。
それに狼たちには満足のいく食事が与えられているので、あえて逆らう理由が無い。
狼たちは従順だった。
少なくとも、シンに対しては。
「おーい、こっちにも飯があるぞー」
「……」
「飯があるぞー……」
「……」
「うぉーい!? 無視するなよ!!」
他の兵士が、狼の所に肉の塊を持ってきた。
しかし、狼たちはそんな兵士に見向きもしない。彼らはシンに従っているのであって、他の誰かに従っている訳では無いのだ。日々の糧はシンより賜っているので、問題ないとばかりに兵士を無視する。
「シン! この狼ども、本当に使えるのかよ!?」
「うーん。まだ飼い始めたばかりですから」
「本当かよ……」
「ワン!!」
「うぉっ!? なんだよ、って、追いかけてくるなよ!」
「グルゥゥゥゥ!」
「シン! 助けてくれー!!」
「ジーベル! やめ!」
無視された兵士はシンに愚痴をこぼすが、そこに狼が割って入る。
狼は兵士に吠え立て、追いかけだす。狼は兵士に馬鹿にされたと分かっているようだ。唸り声をあげ牙を剥いているので、とても迫力がある。“もしも噛みつかれでもしたら”大怪我は必至である。
兵士は必死に逃げながらシンに助けを求め、シンの静止命令でようやく狼が止まる。
兵士はほっと一息つくが、すぐに狼の方を恨めし気な目で見つめた。狼は、ちゃっかり兵士が持ってきた肉を咥えていたのである。与えられる餌は要らないが、奪い取った獲物は食べるという狩人らしいルールに従って。
なお、狼は群れを作る生き物である。
そして部下が上位者にしっかり従うような組織を作る。
付け加えるなら、狼は下の者に厳しい。生意気な部下には常に制裁が待っている。
つまりはそういう事であった。