女商人クコ(登場)
シンの砦での生活は順調である。
砦にいる兵士たちは正規兵・民兵に関わらず、シンに良くしてくれる。
彼らにしてみれば、シン一人がいる事で自分たちが死ぬことが無くなるので、自分たちがいる間はずっといて欲しいと思っているし、嫌われでもしたらいざという時に助けてもらえないかもという思いがある。
また、食事事情の大幅な改善もシンに優しくする理由となる。シンが大物を狩ってくればその肉が振る舞われ、ついでに手に入る毛皮などが冬の寒さに負けない防寒具となり、部隊の懐が潤えば商人から酒を買う余裕に繋がる。肉も酒も本来であれば貴重な品なので、それを購入する資金の源になるシンを悪く思う者は少ないのだ。
それにもし嫉妬したとしても、シンを保護しようという面々の守りやシンとの単純な戦力差もあるので、何かしようと思ったところで何もできず少なくともシンに対し彼らが何か悪さをする事は無かった。
そうなると利用してやろうという輩も現れるのだが、王都にいる貴族に対し不信感や忌避感を抱く彼らの方向性は、シンを自分の故郷に連れ帰ろうという方向に動く。
正規兵も辺境の出身者が多いので、誰しも考える事は同じなのである。
そうして始まった、むさ苦しくも厳つい男たちによるシンの勧誘は、主に休暇の時に行われるのであった。
「ポルカ村へようこそ、だ。
まあ、何も無い村だがゆっくりして行ってくれ」
兵士の休日というのは、砦で行われる小休暇と、近くの村で行う大休暇の二つがある。
小休暇は単純に体を休めるものだが、大休暇は2~3ヶ月に一度、村に繰り出し酒を飲んだり娼婦を買うなどのもっと楽しもうとする行動的な休暇だ。
兵役は一回につき二年や三年は拘束されるため、その間ずっと砦に張り付いていれば性欲は溜まるし素行が悪くなってしまう。
それを防ぐ為に近隣の、兵士たちの故郷などに行かせて自由行動を許すのだ。
何人かは必ずその村の出身者がいるので兵士が犯罪行為をすることは少なく、村にしてみれば兵士が給料を使って酒や村の女を買うので臨時収入になり、互いにとってなかなか悪くない行事となる。
もっとも、村は小規模な集団なので大きな町ほどできる事は多くない。
娼婦を務めるのは大概が兵役で夫を失った未亡人であり、その年齢については御察しであるし、買える物も事前に村が用意した物なので品揃えはよくない。
これについては兵士が薄給だから、そもそも買える物が少ないので何とかなっている節がある。
兵士の給料などどうにもならない話なので、改善のしようが無かったりする。
シンたちは冬の直前に大休暇でポルカ村にやってきた。
人数は20人。この規模で休暇が出る事は珍しく、受け入れ側にしてもかなり多めである。
こうなると宿泊施設などほとんどない村は民家に頼んで部屋を作らせるのだが、シンは一人、村長の家に泊まることになった。
もちろんそれはこの村出身の兵士一同による画策である。
「こいつは有望な若者だから、歓待することで引き抜いてしまえ」という、よくある策略である。
「シンさま、おはなしを聞かせてください」
そうして村長のところでシンの相手をしたのは、色恋などまだ早い小さな娘たちである。
シンの事を幼女趣味と思ったわけではなく、あえて色恋を感じさせない娘を相手にさせることで距離を詰める策略だ。色仕掛けであれば警戒されるが、それを伴わない行動であれば警戒されずに仲良くなれるだろうという狙いがある。女の子ばかりを用意したのも、その方が邪険にされないだろうという判断だ。
それに年頃の娘は全員、相手が決まっていたというのもある。村長もそこで無理をすれば後で面倒なことになると、強権は使わずに出来る範囲で動けばいいと考えた。奇跡を起こすほどの確率だが、運が良ければ数年後に結婚させることもできるのではないかと期待もしている。
他の者達が酒場に繰り出し宴会をするときはさすがに誘われたが、シンはそれ以外の時間を子供の相手で潰すのだった。
なお、夜の誘いも聞いてはいたが、それは本人が断っている。
シンは他の村でも特別待遇を受けており、そういった事を繰り返せば勘の鋭い者はすぐに気が付く。生き馬の目を抜く商売人にとってそれらは簡単な作業でもある。
最初の休暇から半年後、春から夏に変わるときに最初の彼女たちは現れた。
「こんにちは、兵士さん」
「……こんにちは」
歳は16かそこら。
若く顔立ちのそれなりに整った女がシンに声をかけた。
彼女の服装は夏前という事で薄く肌も露わだ。
いや、夏前という事を考えても露出度はかなり多い。腕は肩から、足は膝より下が完全に出ている。スリットが多く、太ももや胸の谷間などが容易に見られてしまう。最低限の隠すべきところは隠しているので痴女と呼ぶほどではないが、それでも一見して男を誘っているのだと分かる。
誰がどう見ても色仕掛け要員である。
シンは警戒心を隠そうともせずに身構えた。
「いやですね、兵士さん。私はただ、御客様に商品の案内をしたいだけですよ。
私はラルーナ商会のクコと申します。今後の為、できれば覚えてくださいね?」
女はニコニコと、警戒する様子のシンに向かっていくつかの商品を説明する。
彼女が取り扱う商品は主に他の地域で栽培されている乾した果物などや、持って帰れば生活が便利になるだろう雑貨などである。特に変わった物ではない。
他の兵士などにも声をかけ、彼らには商品をいくつか購入させることに成功していた。
女商人クコはシンにも果物などを売ると、にっこり笑って手を振った。
「またのご贔屓、お待ちしております」
彼女はシンの名前を呼ぶことなく別れの挨拶をする。
そのまま他の兵士に愛想を振りまく彼女を見て、シンはようやく警戒を解いた。クコや彼女の近くで買い物をする仲間たちのところを離れ、村長のところに向かう。
が、そこを先輩である兵士に捕まった。
その兵士はそのまま別のところ、クコが見えない位置までシンを連れていく。
「お前、目を付けられてたぞ」
「え?」
「名前を名乗った、商会の名前を出した。こりゃあ目を付けてますって宣言と同じだぞ。
俺たちも誤魔化してはいたが、警戒した方がいいな」
普通の商売でも名乗りを上げるのは大商いの時だけだと、その兵士は言う。
名を売る価値が有るか無いかではっきり対応が違うのが商人だと。
なお、商人にシンの事がばれたのは彼らの責任が多分に大きいのだが、その事について本人は触れないし、シンも気が付かない。
言われてシンは驚くが、自分の名を呼ばれなかったことや他の者への対応とさほど変わらない態度だったと、クコの行動を思い出す。
だが、それも自分の警戒を解くための手段だとしたら?
シンは自分の腹の中に、何か重いものが入った気がした。
そして砦でも似たような女性が行商人の売り子として紛れ込み、シンに粉をかけるようになる。
シンの周囲は、にわかに慌ただしくなった。