アンタを引き取るんだとさ
※なるべく「縦書きPDF」でお読み下さい。
「ライカ! アンタ、いつまで寝てるんだい!? 早う起きな!」
女将がドタドタと足を踏み鳴らしつつやって来て、布団を引っ剥がした。
「わっ!!」
ライカは驚いて飛び起き、思わずパン一のあられもない姿で布団の上に正座した。
(ったく、何だいこの娘は……)
酷い寝癖で髪がもっさりそそけ立ち、まるで獅子舞の親玉のようである。
寝起きにも拘らず、目がぱっちりと大きい。二重で目鼻立ちが整っている。江戸近辺ではあまり見かけない顔付きである。
そもそも、彼女を拾ってきた時の状況も、おかしい。女将はつい先日の事を思い返すのである。
彼女は多摩川のほとりに呆然と立ちすくみ、半べそかいていた。
見たこともない服装をしている。気が付けばその場に居たそうで、どこから来たのか、何者なのか……を尋ねても要領を得ない。
異人か、とも思ったが、言葉は一応通じるので異人ではなさそうである。かと言って、商売柄諸国の訛りに明るい女将にも、どこの訛りだかまるで心当たりがない。
「どうしたら良いか、分からないの。助けて~」
と縋り付かれ、女将はとりあえず、彼女を郭へ連れて来た。
幸いこのご時勢で、とにかく人の往来が増え、商売は大いに繁盛している。人手は欲しい。飯盛女にでも……と思い、ライカの手を引き自らの切り盛りする郭へ招いたのが、三日前である。いや、もう四日前になるのか。――
「家も……じゃなくて、ええっとぉ……福之介様は?」
ライカの口調や所作からは、身分の高そうな様子は見受けられない。なにしろ礼儀ひとつわきまえていないのである。多少会話もしたが、常識さえも碌にない。
しかしその癖、色白で手荒れひとつ無いのである。
田んぼ畑仕事はおろか、下女として働いたような経験も感じられない。さては裕福な商家あたりで遊んで育ったのかと思いきや、そうではないとライカは言う。
「福之介様なら、とうにお帰りになられたさ」
夜が明けるなり、馬に乗って飛ぶように駆け去ったよ、と女将はライカに言う。
「アンタもさっさと起きて、仕事しな。……と言いたいところだけどさ、ちょいと話があるんだよ」
「ん?」
怪訝そうに、首を傾げるライカ。
「福之介様からの言伝てだよ」
「あ、何か仰ってました!?」
「ああ……。福之介様が、アンタを引き取るんだとさ。帰りしな、そう仰って金子を置いていかれたよ」
「え~っ!!」
何だい、この娘は。御本人から何も聞いてないのか……と女将は溜息をついた。
昨晩福之介様は、座敷に入られてまだ幾ばくも経たないうちに、尋常ならざる面持ちでライカを指名し、二人して奥座敷へと引っ込んだ。
(それも、良く解らないねえ)
――この娘の一体どこが気に入ったんだか、と女将は首を捻る。
素早く、辺りを見回す。
福之介様が寝ていた筈の布団にも、その周りにも、男女の秘事が営まれたような形跡は見当たらない。
行為の後始末をしたような懐紙などは無いが、その代わりに意味不明の言葉を書き綴った半紙が、数枚、そこらに散乱している。
(まあ、福之介様もよう解らぬ御仁さねえ……。何か特段の事情でもあるんだろうけれど)
それは敢えて問わないのが、この商売の習わしである。興味本位に問うて、厄介事に巻き込まれてはかなわない。
「そういうわけでさ、福之介様の方の準備が整うまで、まだ暫くここでアンタの面倒を見るよ。アンタは福之介様のお声がかかるまで、普段通り働きな。夜はお座敷にも出るんだよ。……ただし、お客は取らなくて良いから」
「はあ……。分かりました」
「お客からそうせがまれたら、『訳ありだから』と断っていいよ。それでもお客がしつこい時は、アタシを呼びな」
「分かりました」
「話はこれで終わりさ。さあ、さっさとこのお座敷の片付けを済ませて、他のお座敷の片付けを手伝うんだよ」
女将はライカにそう告げると、立ち去った。
既に陽は高く昇り、往来の人通りは多い。その喧騒がこの座敷にまで聞こえている。
残されたライカは呆然としつつも、しかしとにかく立ち上がり、ノロノロと二組の布団を片付け始めた。
(つまり福之介様……近々一四代将軍になられるあの人が、あたしを引き取ってくれる、って事!?)
未だ身辺の急変に戸惑っているが、冷静に考えれば、あたしにとって非常に有り難い話ではある。
(あたしって、もう遊女にならなくて済むかも)
素直に、嬉しい。
見知らぬ男達に毎晩抱かれるような生活なんて、幾ら覚悟を決めたとはいえ、正直なところ耐えられない。
おまけに当世の男達なんて、ライカから見れば粗野で……身だしなみなんかも清潔感に乏しく、抱かれると想像するだけでゾっとする。
(でも、それって事は、あたしは次期将軍様の……愛人!?)
それはそれで、暫く心の準備が要りそうである。
まあ、でも……とライカは思う。
(まだ若いのに、すっごくあたしに配慮してくれて……優しいし)
徳川将軍様なんて、ゴージャスなお城に住んで、高そうな衣服を着て、諸大名を従えて威張っているものだと思っていた。将軍に生まれた以上、たとえアタマが悪かろうと、日々威張って遊んで暮らせるイイ身分なんだ……と思っていた。ガッコでも何となくそういうイメージで教わった。
(だけど、あの人は……)
そう思わざるを得ない。
弱冠四歳で家督を継ぎ、江戸に居て紀州藩五五万五千石を切り盛りしてきたらしい。
――日々、遊んで過ごすなど、有り得ぬ。
昨夜の彼――次期一四代将軍に内定した少年――は、そう吐き捨てるように言った。
毎日政務に忙しいらしい。おまけにここ最近は、将軍後継問題に絡み多忙を極めたというのである。
「将軍家に生まれた以上、常に民百姓の暮らしが成り立つよう、気を配らねばならぬ。斯様に難しい時勢においては、公儀の舵取りも困難極まりない。聡いそなたならば、想像がつくのではないか」
――将軍なんぞなるものではない、と彼は吐き捨てるように言った。
だが大老井伊直弼の後押しで、当代の将軍家定公が首を縦に振った以上、逃れようがなかったらしい。
ライカは暫し、傍らに寝転がる彼の横顔を眺めたものである。
とうに元服は済ませた、というが、どう見てもまだ少年である。聞けば、一三歳だという。
(まだ中学生じゃん……)
それでも当世においては、立派な大人として扱われる。それはもう、大変な重責を感じているのだろう。日々のストレスも凄い筈である。
それなのに、彼は優しかった。私に気遣ってくれた。
こんな奇妙な私の話を、真剣に聞いてくれた。私が一五〇年先の未来から来た事を、すぐに信じてくれた。私が語る『歴史』に、真剣に耳を傾け、そして私の突然おかれた状況に同情してくれた。
なおかつ、女将の話によれば、私を引き取ってくれるという。
(あたしなんかより、ずっと大人っぽいし。優しいよ、次期将軍様……)
膳を二つ抱え上げつつ、ライカは改めて痛感した。
(うん、あの人なら……)
知らず知らず、笑みが、溢れた。
こんな思いは初めてかもしれない。
筆者幸田は、小学校四年生だか五年生の時、友人に勧められ「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著)を読み、以降歴史作家を志しました。
すでに立派(!?)なおっさんですから、逆算すれば四〇年近く前の話になります。
とはいえ、その難しさを痛感しました。
独特の台詞回しだとか、情景描写だとかチャンバラシーンだとか。
歴史モノを書くというハードルの高さに涙したものです。
で、それを克服するに至らないまま、いつしか全く別の道を目指すことになったわけですが。……
最近になって改めてへっぽこ文章なんか書くようになり、勉強のつもりで久々に歴史小説を紐解き、そして漸く気付きました。
昔は歴史モノ――それこそ幕末モノの無声映画などがあり、弁士が巧みに物語を語っていたらしいのです。またその前には幕末モノの芝居なども在ったようですね。
つまり、そういった文化の延長線上に歴史小説、時代小説があるらしいのです。
書き手は、芝居や無声映画といった文化に親しんで育ち、その土壌の上に歴史小説や時代小説があるわけです。
そしてその読者も、書き手同様、それらをエンターテインメントと解する下地があって、歴史小説や時代小説を楽しんでいた……というわけですよ。
そりゃもう、おっさん幸田ですら既に、そういった文化的土壌が失われた世代ですから、歴史小説を書くのが難しい筈です。ハードル高いな、と半べそかいて当然です。
拙作を読んで下さっている皆さんは、尚更だと思います。
歴史小説、時代小説独特の情景描写だとか、独特の雰囲気を味わって楽しむ、という時代じゃないわけですね。
しかし一方で、歴史モノの需要は依然として高いようです。当サイトでも、異世界モノの次くらいに歴史モノが人気なのだとか。
ということは、現代の我々が純粋に楽しめるような、全く異質のエンターテインメント性を加味した、新たな歴史モノのニーズがある筈だ……と幸田は考えるわけです。
そういうわけで幸田は、全く新しい歴史モノのジャンル開拓を目指すつもりで、当作品を仕上げていこうと思います。
本格的に歴史要素を楽しめる。かつエンターテインメントとして仕上げる。――
そんな作品を目指しています。最後までお付き合い頂ければ幸いです。