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「まぁ、そんな事を考えていたら、目の前の窓の外を女の子が落ちていったんだよ」
何度となく脱線した話をようやくもとに戻した途端、本題の話は終わってしまった。
しかし、僕はただの一度も無駄な言葉を発したつもりは無い。
「女の子って? どんな?」
委員長に首を傾げながらそう聞かれて、僕は顎に手を当てて記憶を辿った。
「どんなって言われても……うーん……」
白。としか。
ぶっちゃけ、お姉ちゃん以外の女性に対して興味を抱いたことが無いから、というか禁止されているから、顔とかその辺はほとんど見てなかった。
女の子だったって事くらいしか覚えていない。
後は、何だろう。
「あ、そう言えば来ている制服が違った。委員長みたいなブレザーじゃなくて、セーラー服だった気がする」
「セーラー服ね……で、君はなんでその女の子が幽霊だって思ったの? いや、もちろん、私には見えなかったし、クラスで君以外に誰もそんな女の子を見たって話も聞かないし、そう考えるのは分かるんだけど」
委員長は未だ納得いかなげな様子だった。
「僕だって、最初はあの子が幽霊だなんて思ってなかったよ。だから、窓の外を確認したんじゃないか。そもそも、幽霊だって知ってたらあんなに騒がないし」
「わぁ、すごい普段から見慣れてるって言い方するのね」
いや。あんまり見慣れてるわけじゃないけど。
ただ、昔からもっとスゴイものを日常的に見ていたせいで、今さら幽霊程度じゃ驚かないだけだ。
「で、窓の外を確認して見たら何にもなくて上っていうか、屋上に目をやったら」
「その子が屋上に立っていた、ってわけね」
僕の言葉の先を引き継いで、委員長が締めた。
「うん。そうなんだ。そうなんだけど……」
僕は頷いてから、委員長に向き直った。
「随分、話が早いね、委員長。正直、君は幽霊を本気で信じている人には見えなかったけど」
今までとは反対に、僕が彼女にそう尋ねた。
ずっと気になっていたのだ。
だって普通、突然幽霊の事を話しだすような奴がいたら、大抵の人は聞こえないふりをするものだ。
もしくは科学万能説とかいうものを持ちだして、そんなものはいないと否定する。
だというのに、委員長は少しの疑問も無く、というよりも“幽霊は存在する”という事を前提に置いて、僕の話を聞いていたような気がする。
いや、もしかしたら物珍しい転校生の話をネタにあとで女子たちと盛り上がる魂胆なのではないだろうかとさえ思えて来た。
「ああ、確かにちょっとした好奇心が無かったと言えば嘘になるけれど、別に君の話を新しい百物語の一つに加えようとかそういうつもりはないから」
僕が彼女の本心に付いて邪推をしていると、彼女は何でもないような顔で手を振った。
「幽霊を信じているって事?」
僕が聞くと、委員長はうーんと唇に手を当てながら考えて、ぽつぽつと語り出した。
「いや、信じているとかいないとかじゃなくて。何て言うのかな。そもそも幽霊という存在を完璧に証明できる科学的根拠も無ければ、同じように否定出来るだけの根拠も今の所は無いよね。だから、幽霊がいても不思議じゃないんじゃないかなって考えているだけ」
そう言ってから、委員長は最後に小さく付け足した。
「それに私も昔、そういう経験をした事があるから。この世界にはきっと、科学だけじゃ証明できないモノがあるんだと思う」
「ああ、例えば魔法とかね」
僕が同調すると、彼女は笑った。
「あはは、六道君って、意外とメルヘンなのね」
何だろうか。軽く頭の中お花畑だねと言われたような気がする。
それから、委員長は納得したように頷いた。
「成程。それで六道君は屋上の幽霊の正体を確かめようと、放課後探検隊みたいにこの場所を調べていたってわけだ」
「放課後探検隊って……」
どんな子供向け小説のタイトルなんだ。
畜生。童心をくすぐるじゃないか。
「でも、見ての通り、屋上には行けないわよ。残念でした」
立ち上がって、スカートをぱんぱんと叩きながら委員長がそう言った。
「いや、確かにこのドアを開けるのは無理だけどさ」
僕はそれをさらりと否定する。
「あの窓があるじゃないか」
「あの窓って、アレ、採光用の小窓よ? 確かに六道君はそれほど体格良いわけじゃないけど、流石に通り抜けるのは無理じゃない?」
ぐさりと来ることを平気で言うよね、女子って。
確かに僕は男子の中でいえば細身な体躯をしているけど、これでもお姉ちゃんを片腕で持ち上げられるように鍛えているんだぞ。
と、反論したいが先ほど姉に関する言葉を吐いたら舌を切ると言われた手前、何も言い返せない。
代わりに、委員長の間違った認識を正す事にした。
「大丈夫。あれくらいの幅があれば、肩の関節外せば何とかなる」
「どうして君の発想って、そうトリッキーなの!?」
委員長のバイオレンスっぷりに比べたら大したことないと思うんだけど。
「そんなに驚くほど難しい技術じゃないよ。脱出ショーとかやってるマジシャンが良くやる手だし」
「だとしても、何処で身に付けたのよ、その技術」
凄く語呂の良い質問をされて、僕は説明した。
「昔、お姉ちゃんに言われてさ。“弟とは何時何時如何なる時であっても、姉の求めに応じて馳せ参じなければならない。例え、武装集団によって幾重にも縛り上げられていたとしても”って。それで必死に縄抜けの練習したらなんとかできた」
幼い時分だったけど、人間、やろうと思えば出来ない事はそんなに無いのだと僕は教えられた。
やっぱりお姉ちゃんは凄い。
「君のお姉さんは何処か特殊なボーイスカウトの教官でもしていたの? というか、姉という単語を吐くなって、私、言ったわよね」
そして氷点下の瞳で僕を見る委員長。
しまった。ついついお姉ちゃんの話をしてしまった。
でもしょうがないだろ。そもそも委員長から聞いてきたんじゃないか。
「そんな話聞いたら、ますます君を屋上に行かせるわけには行かないわね」
「え?」
信じられないタイミングで委員長に反旗を翻された僕は、思わず絶句した。
なんでだ。さっきまで、割と理解のある対応だったじゃないか。
なんでこのタイミングで突然、THE・委員長が戻ってくるんだ。
「それは無いよ、委員長! それじゃあ、僕はこの先の学校生活を、窓の外を女の子が落ちていく教室で過ごさなきゃいけないって事か? そんなの、精神衛生上よろしく無さ過ぎる! 絶対にノイローゼになる!」
「大丈夫、私から見て君、もうどうしようもないくらいに精神汚染が進んでるから」
クソ! これならまだ、さっきまでのバイオレンス委員長の方がマシだった!
確かにもう、僕は後戻りも取り返しも付かない事をしてしまったけど、そんな仕打ちを受ける覚えはないぞ!
「君なんかよりも、もしも君の仕出かした事が公になって、それを三枝先生が耳にしてごらんなさい。受け持ちの生徒が、肩の関節外して屋上に侵入しましたとか。多分、卒倒するわよ、あの先生」
ただでさえ、あのクラスにはメガトン級の爆弾問題児が居るんだからと、委員長は溜息を吐きつつ、僕の手を取って歩き出した。
「え? 何? 何処に行く気?」
「何処って、教室よ。もうすぐ昼休みも終わるし。大丈夫、保健室じゃないから。ていうか、君はもう保健室程度じゃ手に負えないから」
そう言われて時間を確認すると、昼休み終了まであと五分くらいだ。
委員長の言葉に答えるように、予鈴が鳴った。
「だとしても、何故、委員長は僕の手を引いているんだ」
「だって君、放っといたら授業放り出してでも屋上に行こうとするでしょ」
「ぐぬ」
割と真実に近い事を言い当てられて、僕は唸った。
ていうか、委員長ってアレだな。割と異性との一時的接触に抵抗が無いんだな。
「随分、冷たい手ね。もしかして、六道君って貧血気味? お昼はちゃんと食べたの? もしも友達が居なくて一人でお弁当食べるのが寂しいんなら、私が一緒に食べてあげるから次から言いなさい」
「いや、体温は元々低いんだよ、僕」
ヤバいと、咄嗟に言い訳を口にする。
「分かったから、もう離してくれないかな、委員長。ちゃんと授業は受けるから」
いや、正確には授業中にちゃんと教室に居て、席についているから、だけど。
「あと、気持ちは嬉しいけど、お昼食べない主義なんだ。僕」
僕がそう言うと、握っている手を離して、委員長は呆れたような目を僕に向けた。
「それも、君の宗教?」
「いや、僕は基本的に無宗教だけど」
「おぞましい異教の狂信者にしか見えないのよ、私には」
何の話だろうか。
ともかく、屋上に行くにはどうやら、他の誰よりもまずもって委員長の目を掻い潜らなければいけないらしい。
うーん。まぁ、それならそれで。
傾き始めた太陽によって、紅く染まり始めた校舎の中。
「そろそろ、良いかな」
そう呟いて、僕はむくりと起き上がった。
あの後、大人しく教室で過ごしていたにも関わらず、委員長は隙を見つけては散々僕に屋上へは絶対に行くなと念を押していったが。
「ふふふ。甘いよ、委員長」
そう言って、僕は潜んでいた場所からすっかり人の気配の消えた外へと、そろりと抜け出した。
いや、まぁただの男子トイレなのだが。
女子トイレが男子禁制の聖域であるように、男子トイレもまた女人禁制の霊場なのだ。
大雑把な作戦だと思うかもしれないが、こういう事はある程度大胆にやった方がばれにくいものなのだ。
それに僕が屋上へ行こうとしている事を知っているのは、今のところ委員長だけだ。
放課後にも生徒会の仕事があるらしく、彼女の目が僕から離れる瞬間まで確実に確認してある。
え? どうやってって?
あのさ、君、お姉ちゃんに近づく狼藉者を調査する際に尾行のスキルも持ってなくてどうするんだよ。
……誰に話しているんだろう、僕は。
まぁ、そんなわけで、もしも警備員さんに見つかったところで、適当な事を言っておけば大丈夫だろう。
潜伏先に選んだトイレは、校舎の三階外れに在る。屋上の扉まではすぐそこだ。
「よし」
改めて気合を入れ直すと、僕は影のようにするすると行動を開始した。
「ん……よい、っしょっと」
ずるっと、身体が狭い窓を通り抜ける。
床に落ちる前に受け身を取って、無事着地。
「よし。割とスムーズにいったな」
ゴギンと音を立てて、右肩の関節を嵌めなおしてから腕をくるくると回して調子を確認する。
異常なし。
久しぶりにやったけど、一度習熟した技術というのは自転車の運転然り、肉体は感覚を覚えているものだ。
「さてと」
一通りの自己確認を済ませた後で、僕は屋上を見渡した。
床一面剥き出しのコンクリートに、給水塔が幾つか、そして全周に鉄製の手すりが付けられている、何の変哲もない校舎の屋上に。
――いた。
僕の位置から見て10mも離れていないところ、手すりの向こう側に、セーラー服を着ている少女の後ろ姿が見えた。
近づこうとして足を踏み出した途端、その後ろ姿がふっと見えなくなる。
「あ」
と、声を漏らして、僕は急いで手すりまで駆け寄る。
身を乗り出して下を見ると。
「やっぱり」
何もない。落ちていった少女の姿は、何処にも見当たらない。
さて、何処へ行ったのだろうと顔を上げたその目前に、小さな背中があった。
「うわぁ!!」
いや、分かっていたけれど、やっぱりびっくりする。
思わず叫んでしまった僕の声を、しかし聞こえているのかいないのか、その小さな背中はピクリとも反応しない。
頭を俯けるようにして、その少女は下を見下ろしているようだった。
「えーっと、もしもし?」
そう言えば幽霊の類は見た事あるけど、接触を図るのは初めてだったと気付いた僕は恐る恐る、声を掛けた。
反応は無い。
「もしもーし、あのー、ちょっといいですかー?」
黙々。
「お忙しい所、大変恐縮なのですが、よろしければ少しお時間を頂けないでしょうかー?」
畏まってみた。
「…………」
駄目みたいだ。
「ねぇねぇ、そこのお嬢さん、僕とちょっとお茶でもしながら何かについて熱く語り合ってみない?」
おちゃらけてみた。
「…………」
まぁ、流石に初対面でこんな軽い感じで声かけてくる男には抵抗があるか。
「おうおう、姉ちゃん! この俺にシカトこくたぁいい度胸じゃねぇか、あぁん? 出るとこ出たっていいんだぞ、こっちは!!」
脅してみた。
「…………」
僕なりにドスのきいた声を出したつもりなのだが、完全無視だった。
駄目だ。これ以上、どうやって声を掛けたらいいのか分からない。
「うう。そう言えばお姉ちゃんに無暗矢鱈と知らない女の人と話すんじゃありませんって言われてるから、僕、女の子にどうやって声を掛けたらいいのかとか知らないや」
というか、我ながらレパートリーの乏しさに軽く絶望している。
「お姉ちゃん、僕はこの子にどう声を掛けたらいいんだろう? どうしたらいいんだろう? 教えてください……」
最愛の姉に祈りを捧げてみる。
信じれば救われる。祈れば報われる。
疑ってはいけない。弟は姉を試してはならない。
だから、この祈りは必ず届くはずだ。
「どうか……」
そうやって手を組んで、お姉ちゃんの気配がある方向に祈りながら、半ば、無我の境地に没入しだした頃だった。
「ねぇ」
何処か感情の欠落している、無感動な声が聞こえた。
「貴方、もしかして、私に話しかけてる?」
顔を上げると、少女が振り向いていた。
端正な顔立ちだけど、やはり表情は声と同じように無感動そうな、それでいて、何処か影のある、そんな少女の顔が目にあった。
「あー、うん。そうだけど、聞こえてる?」
僕のその質問に、その少女はこくりと頷いた。
祈りが通じたらしい。やっぱり、お姉ちゃんは凄い。
「すぐ後ろであれだけ一人で騒がれたら、誰だって気付くわよ。ただ、途中から何か怖かったから、出来れればどこかへ行くまで待とうかと考えたんだけど、どうにもそういうわけにはいかないみたいだし」
少女は無感動な声でそう答えた。
「うん。ごめん。脅すような事言っちゃって。付け焼刃とはいえ、ヤ〇ザっぽいしゃべり方をする男子には抵抗があるよね、一般女子は」
まぁ、一般女子以外の女子を僕は知らないが。
しかし、目の前の少女は首を横に振った。
「いや、怖かったのはその後の、突然貴方がお姉ちゃんを呼びながら祈りを捧げだした事よ」
何故だ。
それはむしろ、全人類が行うべき、最も道徳的な行為じゃないか。
そうすれば戦争も飢餓も無くなる。
あらゆる問題も、どれだけ果ての無い苦悩も、お姉ちゃんという存在の前では些細な事だ。
だというのに、何故か目の前の少女は「怖気がしたわ」といいながら僕から少し距離を取った。
「でも、ふぅん。そっか。貴方、私が見えるのね」
やや遠ざかった位置から、少女が感情の光が無い瞳で僕をしげしげと眺めながらそう言った。
「そう言えば、そうね。今日の二時限目くらいの時間、スカートの中に突き刺さるような視線が注がれている感じがしたわ」
「ごめんなさい」
無条件で僕は平伏のポーズ、ジャパニーズ・DOZEZAをかました。
女性が男性からのそういう視線に敏感だという話は聞いたことがあったが、まさかあの距離でも捕捉されるほど高性能なレーダーだったとは知らなかった。
いや、或いは彼女が幽霊だからか。
「まぁ、今さら見られても困るようなものじゃないけど」
そう言いつつ無表情で僕を見下ろす少女が怖かった。
「随分長い間ここにいる気がするけど、私の姿が見える人って貴方が初めてだし、私も次からは気を付けるわ」
「長い間って、どれくらい?」
無視できない言葉が彼女の口から飛び出して、僕は思わず聞き返していた。
しかし、聞かれた方の少女は首を捻った。
「さぁ? 何時からここにいるのか、もう憶えていないのよ。どうしてここにいるのかも」
彼女は答えた。
そして、屋上の外へと表情の無い顔を向けて呟いた。
「ただ、ずっとここから落ち続けてる」
こんな風にね、と言い残して。
僕が止めに入る暇も無く、少女は再び落ちていった。
続きは今週中に。




