4
そんなこんなでお昼休みだ。
クラスメイト達がお弁当や購買で仕入れてきた昼食を手に、それぞれのグループや個人の定位置に向かう中、僕はするっと教室を抜け出し、屋上へ通じるドアの前までやってきた。
天気が良ければこのまま屋上へと出るのだけど、生憎の雨模様が続いている最近は、この屋上への扉と採光用の小窓があるだけの、ちょっとした踊り場のような空間が僕のお昼休みにおける定位置となりつつあった。
壁を背に、冷たいタイルの床に腰を下ろすと、引っ提げてきたコンビニの袋からパックのコーヒー牛乳を取り出した。ストローを差して一口飲み、ふっと息を吐いて床から二メートルほどの高さにある小窓から、雨の降り続く空を眺めた。
と。
「あら、また来ているのね」
眺めていた小窓から、無感動な顔をしたセーラー服の女の子がにゅっと生えてきた。
「こんにちは、折淵芽舞さん」
僕はその女の子に、パックを持った手を軽く上げて挨拶した。
「こんにちは……なんでフルネーム?」
「いや、僕も流行りには乗っておこうかと思って」
「?」
僕の言ったことに小首を傾げながらも、彼女の身体は小さな肩、控えめな膨らみ、細い腰の順番でするすると小窓を抜けてくる。
もちろん、いくらその女の子が小柄だからって、その小窓は人間がするりと通り抜けられるだけの広さはない。本来なら肩の関節を外してようやく身体が通せるくらいの狭い窓を、その女の子は表情一つ変えることなく、難なく通り抜けてくる。
それもそのはず。彼女、折淵芽舞は幽霊だからだ。
肉体を持たない彼女は、物質的な制約に縛られることがない。代わりに生前抱いた強烈な想いや感情によって、場所やこの世に縛られる。
転校早々、窓際の席に座る僕の目の前を落ちていった彼女は17年前、この私立高天ヶ原学園高等部の屋上から飛び降り自殺をした生徒だった。
以来、ひたすら自殺を繰り返してきたという。自分が何故落ちたのか、自分がどう死んだのかを思い出すために。
そんな彼女に身体を貸してあげて見事に未練を解決、成仏させることができた……はずなんだけど。
「よく分からないけれど、お昼休みのたびにこんな幽霊の出る場所で一人ご飯を貪っているなんて、よっぽど教室に居辛いのね。いや、それとももしかして、生身の人間よりも幽霊の女の子の方が接しやすいのかしら?」
僕の視線の高さくらいで、ちょうど見えそうで見えないように、ふよふよと浮遊しながらそんなことを言う彼女は、どういうわけだか未だ現世に留まっている。
なんでも、地縛霊として“自殺した屋上”に縛られる理由がなくなったおかげで、浮遊霊にランクアップしたらしい。最近は校舎内をふらふらと散歩したりと、割とどこにでも行けるらしいが、それでも、やはりというかなんというか、こうして屋上にいることが多かった。
そして、昼休みをこの場所で過ごすことの多い僕に話しかけてきては、こうして微妙に棘のある言葉を放ってくるのだった。
「僕を特殊なタイプの対人恐怖症みたいに言わないでくれ。そもそも、僕は生者も死者も平等に扱う非差別主義者なんだぞ」
それがどういうことかと言えば、道で重い荷物を背負ったお婆ちゃんに出会えば荷物を持って手を引いてやり、はたまたお母さんを探して迷っている女の子の幽霊に出会えば正しい道を教え、お菓子やお水をお供えしてあげる程度には。
「まぁ、それは否定しないけれど……ほぼ初対面の地縛霊の女の子に自分の身体貸しちゃうくらいにお人好しだしね、貴方」
「おかげで酷い目に遭ったよ」
「自業自得よ」
「うぐ……」
まぁ、そうなんだけどさ。でもほら、こうして生きてもいないし、死んでもいない半端者の僕としては、きちんと終わることができるのならそうするべきだと思うのだ。
僕を、僕たちを助けた魔法使いが言っていた。
人が人として生きるには三つのものが必要だと。それは、心と魂と命。
そして同様に、人として死ぬためにはその全てを一度に失くさなければならない。
これができないとどうなるかと言えば、命を失っても心と魂が残ってしまえば芽舞さんのような幽霊になってしまう。
次に心を失って、魂と命だけが残ってしまったもの。これは自ら望んでそうなる場合と、他者から強制的にそうされる場合があるというが、主に何者かによって使役されることが目的となるそうだ。
前者は様々なパターンがあり、一概にこれだとは言えないのだが、後者の代表例としてはゾンビを挙げられた。元はブードゥー教の司祭が死体や人間を便利使いするために、心をなくした自律式人形に作り替えるための技術だと言っていたが、たぶんだけどその説明には多少の偏見が含まれていると思う。
では最後、魂を失った者はどうなるかと言えば……これだけは教えてくれない。
ただ、酷いことになるとだけ言われた。そうなってしまえば、本当に終わりだと。
それ以外の二つは、まだどうにかできる。
幽霊ならば未練を断って成仏させてやれば良いし、ゾンビのようなものであれば、殺してしまうか、それを縛る術を解いてやればいい。再び、輪廻の中に戻って行ける。
だからこそ、僕は芽舞さんに自らの身体を貸し出してまで、そうさせてあげようと思ったのだけど。
「どうしてこうなっちゃったかなぁ……」
僕はコーヒー牛乳を啜りながらぼやいた。
「何が?」
「芽舞さん。せっかく成仏できるチャンスだったのに。次に行けたのに」
「まだ言っているの、それ」
僕の言葉に、芽舞さんはなんてことないように肩を竦めて答える。
「いいわよ別に。現世見物に飽きたら、また貴方の身体を借りるから」
「いや、だからそれは無理だって……」
あっさりと言った芽舞さんを、僕は無理無理と手を振って拒絶した。
無理と言うよりも、やりたくないという方が本当のところだ。
だって、今の身体でまた同じことをして、新鮮な飛び降り自殺死体になったらもう。
痛くて死ぬと思う。いや、死ぬというか生きてすらいないんだけど、僕。精神的な意味で。
飛び降り自殺の再現をするために芽舞さんに身体を貸した時はまだ、この身体に痛覚機能が搭載される前だったのである。それがあの一件で、僕にこの身体をくれた魔法使いによって“人の最高傑作(僕の身体)をむやみやたらと損壊させるな”というお達しとともに、痛みを感じるようにアップデートされてしまった。
久しぶりに感じた痛みは、目が覚めるように鮮烈だった。確かに、痛みとは生を実感させるための重要な感覚であるのかもしれない。
しかし、そんな僕を見た芽舞さんは口元に指を当て、試すような口調で言った。
「そうかしら? 確かに、痛み機能がついてからの貴方はそういうことを避けるようにはなっているみたいだけど……」
そこまで口にしてから、彼女はやけに確信めいた笑みを浮かべた。
「でも、私が本気で頼んだら貸してくれそうだわ。だって、お人好しだもの貴方」
「う……」
う、である。
確かに、本気で成仏したいと芽舞さんが思うのであれば……そのために最も手っ取り早いのが僕の身体を使うことなら……。いや、でもなぁ……。
僕はコンビニの袋からサンドイッチを一包み取り出しながら考えた。ビニールを破ろうと右手に力を入れるとズキリと痛む。
朝、真成君と握手をして以来ずっと、原因不明の痛みが引いていないのだ。気になるには気になるが、しかし今もう一度飛び降りなんてしようものなら、この程度の痛みがかゆく想えるほどの激痛が待っていると思うと……うーん。いや、でもなぁ。
サンドイッチを掴んだまま堂々巡りする思考に頭を悩ませていると、その上から芽舞さんの呆れたような声が降ってきた。
「あー、もう、嘘よ。嘘、嘘。なに真剣に考えこんでいるのよ」
彼女は僕からちょっと離れた位置に、腰に手を当てて浮かびながら盛大に溜息を吐いていた。
「まったく。すぐに真に受けるのだから。大体、私は自分の死に方に疑問があったからこの屋上に縛られていただけで、その疑問が解決した今となってはもう同じことをしたからって成仏できるとは限らないじゃない」
「いや、それはそうだけどさ……じゃあ、今は一体何が未練なのさ」
「そうね。駅前にできた新しいケーキ屋さんが美味しいって噂なのよ。すごく気になるわ。死んでも死にきれないくらいに」
「それ生前の想い関係なくない!?」
「パフェが絶品らしいのよ」
「ケーキ屋なのに!!」
「だから、身体貸して」
「嫌だよ! そんな軽々しく幽霊に身体貸す人いないよ!」
「む。軽いとは心外ね。女子にとって、美味しいスイーツがどれだけ人生における幸福度を左右するのか知りもしないくせに」
「いや、もう終わってんじゃん君の人生」
……いや、それを言ったら僕もか。
「ああ、酷いわ。こんな花真っ盛りの17歳の女の子(の幽霊)に向かって、人生が終わっているなんて。どうしてそんな言葉が口にできるのかしら」
「17歳の女の子の後ろについてる、その行間がすべての答えだよ」
「いいじゃない、少し貸すだけよ。ちょっとよ、ちょっと。だって味覚機能も付いたんでしょ、貴方」
「それはそうだけどさ……」
答えながら、僕はサンドイッチを一口齧った。しっとりとした食パンのほのかな甘み、間に挟まれたレタスのみずみずしい苦みとハムの塩気、それらを抱擁するマヨネーズのまろやかな酸味が舌に広がる。
その味を楽しみつつ。
「でも、いくら中身が女の子だからって傍目から見たらただの男子高校生が一人でケーキ屋さんに行って、パフェ食ってるところを想像してみてよ」
「素直に気持ち悪いわ」
「ほらそうなるじゃん!!」
Jkたちの心無いその一言で、どれだけの甘味好きな男性が一人でスイーツショップに入ることを諦めていると思っているんだ!
それはそれとして、そのお店には後でお姉ちゃんと行こう。
「ちなみに一番気持ち悪いのは、中身が女の子ってところよ」
「それ君だよ!
「ところで貴方、今日は突然サンドイッチなんて買ってきてどうしたの? そもそも、なにか食べる必要がないって言ってなかった?」
これまでの会話に飽きたのか、それとも僕がサンドイッチを食べているところを見て思い出したのか、唐突に芽舞さんが話題を切り替えた。
「うん。今でもそうだよ。食べることができるだけで、食事が必要なわけではないかな」
本当に女子って話の内容をコロコロと入れ替えちゃうよなぁと思いながらも、僕はそれに頷く。
「じゃあ、なんでわざわざ?」
という芽舞さんの質問に、僕は正直に答えた。
「食べる必要ないからってお昼ご飯を抜くと、お姉ちゃんが物凄い悲しそうな顔するんだよ」
そう。僕がご飯を食べられるようになってから、朝夕はお姉ちゃんと食卓を囲んでいたのだが、お昼は一人で学校だしと食べていなかったのだ。それが先日バレた。
先日っていうか、昨日の夜。
お夕飯の途中の何気ない会話で、
「そういえば、学校に持っていくお弁当箱を買ってこないとね」
と言ったお姉ちゃんに
「あー、僕、学校ではご飯食べてないから」
と返した時の、
「しーちゃん……お昼ご飯食べてないの……?」
という絶望的な声が耳から離れない。
それからはもう僕が食べていないのなら私も食べないと言い出したからさぁ大変だ。
栄養バランスの良い食事を三食食べることはお姉ちゃんの健康と美貌を保つために不可欠である。それを、僕のせいで食べさせないわけにはいかない。もしそれでお姉ちゃんの栄養が偏ったり不足したりした結果、体調を崩しでもしたら、いや、たとえわずかでもお肌が荒れでもしただけで……僕は、死んでも死にきれない。
結局、昨日はもう夜も遅かったためお弁当箱は今日お姉ちゃんが買ってくることになり、僕はどこかでお昼ご飯を買うようにお金を渡されたため、登校中にコンビニでこのサンドイッチとコーヒー牛乳を仕入れてきたのだった。
そうした事情を説明すると、
「あ。そう」
壁から顔面だけを出した芽舞さんは短く、口に入った羽虫を吐き捨てるような口調で言った。
口調はともかく、幽霊的な方法で心の距離が遠ざかったというか、壁を作っていることを表すのはやめてほしいと思った。
しばらく更新が止まりますが、必ず戻ってくるので待っていて下さい。




