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遅れました。済みません。
「で? あんたは一体、夏休み中にどこで何をしていたのよ」
朝のホームルームが終わり、心なしかげっそりとした顔の三枝先生が教室から出て行った途端、委員長は再び真成君の席の前に仁王立ちをしてそう口を開いた。
「どこで何をって言われてもな」
それに、困ったように後頭部をガシガシと掻いて答える真成君。
二人の会話を小耳に挟みながら僕は、ぶっちゃけ関係ないので、そして大して興味もないので大人しくお姉ちゃんとのことでも考えていようと机の上に突っ伏した。
違うぞ。
これは、あの友達がいないヤツが教室でしている基本姿勢じゃないぞ。こうして視覚を遮断して、お姉ちゃんの姿をより鮮明に思い浮かべてるんだぞ。
……一体、誰に対して言い訳しているんだ僕は。
「話せば長くなるんだが……」
僕がアレコレ考えている間にも委員長に問い詰められていた真成君は、どうやら夏休み中のことを白状する気になったらしい。
「いいから、話しなさい。詳しく、詳細に、事細かに」
催促するように委員長が言った。
「そうだな……あれは、夏休みが始まってから三日目くらいのことか」
それに真成君は、記憶を呼び起こすような声で、ぽつりぽつりと話し始めた。
「バイトの出前中に、如何にも白い粉をさばく仕事をしているとしか思えない男たちに追いかけられている女と出会ってな……なんやかんやあって、外国に行った」
なんやかんやってなんだよ。
「なんやかんやって何よ!?」
まさかの委員長と思考が被った。どうやら僕たちの気持ちはこの時一つになったらしい。
だが、そんな僕ら二人の渾身の疑問(まぁ、僕のは単なる心の叫びだけど)を叩きつけられた真成君は、相変わらずふてぶてしい態度のまま答えた。
「なんやかんやは、なんやかんやだ。とりあえず出前のラーメンと炒飯が入った岡持ちを男たちに投げつけて、荷台に女を載せて銃撃されながらどうにか撒いたと思って一息ついたら、その女が見たこともない文字で書かれた手紙と外国のどこからしい地図を見せてきて、ここに行きたいとジェスチャーされて、でも金がないなと悩んでいたら女の仲間っぽい奴らが現れて、貨物船に忍び込んでそのまま大陸に渡ることになって……とか一々言ってたら話が進まないだろ」
そりゃ進まないよ。だってツッコミどころが満載過ぎるもん。
だいいち、街中で銃撃されながら追い回されたって時点で……。
「そういえば。夏休みの最初の頃に新都で発砲事件があったって聞いたわね」
あったんかーい!
え? え? 事実? 事実なの? その話、事実なの?
つーか、だとしても発砲事件がそんな「聞いたわね」とか、風の噂程度にしかならないのこの街? 日本だよねここ? 世紀末にもほどがない?
そりゃあお堂が滅茶苦茶に破壊されてもイタズラで済まされるよ。大丈夫かこの街の治安。
「馬鹿ね。警察に任せておけばよかったじゃない」
呆れたように委員長が溜息を吐いた。
「阿保か。俺は正義の味方だぞ。その俺が他人に任せてどうする」
それを真成君はきっぱりと否定する。
内容が多少どころではなくぶっ飛んでいる割に、世間話をしているかのような二人の会話の雰囲気に僕は悟ったような、諦めたような心の境地に達した。
あ。もうそうなんだ。そういう感じなんだ。
なんとなくだが。僕が屋上の幽霊に会いに行くと言った時、委員長の理解というか話の飲み込みが早かった理由が分かった。
こんなのとクラスメイトで、こんな話ばかり聞かされていたら、そりゃあ転校生が突然「屋上に幽霊がいる」とか言い出しても驚かないよね。
そんな僕の心境など知る由もない真成君は、相変わらずの調子で話し続けている。
「で。地図の場所に着くとぼろっちい教会があってな。小さなガキとかがたくさん居て、どうやらそこが女の家だったらしいんだが、まぁ何言ってるか分からんし、分からんうちに突然銃持った連中が押し寄せてくるしでなんやかんやあって……」
もうお前説明するの面倒くさいだけだろ。
などと言う、僕と読者たちからのツッコミを全て撥ねつけるように、彼は一夏の大冒険についての話をこう締めくくった。
「まぁ、全部どうにかしてきた」
何この主人公。
「分かったか?」
分からねぇよ。
いや、なんとなく察することはできるけど、だとしてもそこに至るまでの経緯っていうか、そもそもお前の存在自体が分からねえよ。
あ、正義の味方か。さっき自分で言ってたもんね。
いや、なおさら分からねぇよ。
一応、このお話の主人公は僕なんだぞ。僕以上に主人公してきたエピソードとか語るなよ。
正義とか語るなら、もっとどっか別の作品に行ってよ。
「ふぅん」
不貞腐れている僕を尻目に、と言うか、たぶん眼中にもないんだろうけど、委員長は納得したような声を漏らした。
「ま、とにかく。また誰かの“正義”に味方してきたってわけね」
「そういうことだな」
なんだよその会話。それ主人公とヒロインがするヤツじゃん。僕とお姉ちゃんのヤツじゃん。
「まぁその面倒自体は八月の頭くらいに片付いたんだが、そっからが問題でな。なんだかんだ、日本に帰ってくるのに一月近くかかっちまった」
わー。それ聞きたくなーい。絶対に僕の影がもっと薄くなるレベルのエピソードだもん。
「……ちなみに、どうやって帰ってきたの?」
やめろよ委員長! それを聞いて誰が幸せになるんだ!
……僕だって一応、ちょっとした異能バトルくらいはこなせるんだぞ!!
「別れ際に“日本どっち?”って聞いたら、“とりあえず南”って言われたからな……ひたすら大陸を南下して、最後は泳いで日本海横断して……」
「鳩もびっくりの帰巣本能よ」
ほんとだよ。
そのまま別の世界線に行ってくれればよかったのに。
「おう、凄いぞ、海自とか海保の巡視船。あれに見つからずに日本の領海に入るのが、あんなに大変だとは思わなかった」
あいつらも頑張ってんだなとか、あたかも同業者のように海上自衛隊員さんと海上保安庁の職員さんたちを労う真成君。
大丈夫。君の方が凄いから。凄い馬鹿だから。
ていうか、正義の味方が堂々と法律破ってんじゃん。
さっきルールは守れとか言ってなかった?
大事の前には法律など小事って考え方なの?
「ああ、そうだ。伊吹に頼みがあったんだ」
と、そこまで話し終えたところで真成君は思い出したように自分の通学カバンを漁り始めた。
「なによ?」
なんだろうか。僕は腕の隙間から、そっとそちらの様子を窺う。
しばらくカバンの中をガサゴソした後に取り出したのはいわゆるエアメールと呼ばれる、赤と青の射線によって枠取りされた封筒だった。
真成君はそれを委員長に差し出すと、困ったように言う。
「ちょうど昨日届いたんだが、英語で書いてあってさっぱりなんだ。読めるか?」
「これ、キリル文字で書かれてるわ。英語じゃなくてロシア語……にちょっと似てるけど、ウクライナ語ね、これ」
受け取った封筒から、一通の便箋を引き抜きながら委員長は少し驚いたような声を出す。
僕はもっと驚いてる。
ロシア語って確か、あのローマ字に似ているようで絶妙に似てない文字で書かれるあれでしょ?
それにさらに種類があることじたい初耳なのに、一目見ただけでどの言語で書かれているかとか分かるの、普通?
「日本語以外の文字は正直、見分けがつかん。で、読めるのか?」
「まぁ、流石に話すのは無理だけど、読むだけなら」
さらりと何言ってんの委員長。いくらこの学園の理事長の孫娘で、次期生徒会長で、クラスの学級委員長だとしてもだよ。さすがにハイスペックが過ぎない?
それとも、それぐらいのレベルじゃないと入れない学校だったのここ?
つーか、さっきからもう全くツッコミが追いつかないんだけど。
委員長の仕事を放棄するのはやめてくれないか。
「えーと、」
現実は無情だった。僕の内心のお願いは却下され、委員長は手紙を読みあげ始めた。
拝啓。レン様へ。
サーニャです。
突然の手紙、ごめんなさい。そして、驚いたでしょうか?
住所は、貴方が忘れていった手帳(これは、貴方の学校のもの? 同封しておきます)に書いてあったものを写しました。きちんと届いているといいのですが。
あれから、私たちは少しずつ元の暮らしを取り戻し始めています。
壊された礼拝堂も近くの村の人たちに手伝ってもらって、すっかり元通りになったし、荒らされていた花壇には今朝、新しい花が咲きました。
なんという花か、シスターに聞いてくるのを忘れてしまいましたが、小さな、黄色い、可愛い花です。
そうそう、シスターの怪我もすっかり良くなりましたよ!
他の子どもたちも元気いっぱいで、困ってしまうくらいです。
特に、ユーリはこのところ「サムライのお兄ちゃん」に夢中なようで、テレビなどにサムライが登場するたびに食い入るように見入っています。
ええ、その、実は私もですが……。
ただ、やっぱりテレビに映るようなサムライはタレントさんが演じているのでしょうか。
本物のほうが遥かに恰好良いと私は、ああ、いえ、私たちは思っています。
内戦の傷跡は未だ大きく、多くの人々が今なお苦しんでいますが、私たちは挫けません。
必ずこの国を、もとの豊かで平和な国に戻してみせます。そのために、私たちは小さなお手伝いから始めるつもりです。
最後に、レン、私たちのホームを救ってくれて、本当にありがとう! ――
「――ですって」
へー。
「ふーん」
ふーん。
「ふーんって、お礼のお手紙に対しての反応がそれだけ?」
「別に感謝されたくてやったわけじゃないからな」
うん。知ってた。もういいよ。君が主人公だ。ナンバーワンだ。
世界を救うのは任せた。僕みたいな終わっちゃった系男子はお姉ちゃんと一緒に、静かに慎ましやかに暮らしてゆくよ……あれ、割と悪くないぞそれ。
というか、そもそも世界救うつもりないし、僕。
「はいはい…って、あら?」
読み終えた便箋をひらひらとさせていた委員長がなにかを見つけたような声を出した。
「裏面にまだ何か……追伸?」
委員長は便箋をひっくり返すと、そこに書かれている言葉も翻訳し始めた。
「えっと、追伸、こんなお手紙を書いても、きっとレンは読めないでしょうね。日本に、ウクライナ語を読める友人がいるようにはとても見えないし……ここでなら、本当の気持ちを書いても大丈夫かしら……」
いたよ。サーニャさん。ウクライナ語、読める人いたよ。
日本の学級委員長舐めちゃだめだよ。
「Я тебе люблю」
「いや、なんでそこだけ原文のままなんだよ」
しかも滅茶苦茶、流暢だった。喋れるぞコイツ。
んー。あれ? 今の言葉、どこかで聞き覚えが……。
どこで聞いたんだっけ……と、僕が頭を捻っている横で、委員長は顔を真っ赤にしていた。
「う、うるさいわね! いいのよ! ていうか、分かるでしょ!?」
「分からないからお前に読んでもらってんだろうが。で? なんて意味なんだ?」
本当に分からない様子の真成君。首を傾げて、早く教えろよと委員長を催促している。それに委員長は俯きながら、なんだか怒っているような、泣きそうな顔を浮かべて唸っていた。
「う……いや、それは、その、」
「……あ、思い出した。それって、“愛しています”って意味だよ」
そこでようやく、先ほど委員長の口が口にした言葉を記憶の中から引き出すことに成功した僕は、手をぽんと打ち合わせる。
「そうなのか」
真成君が突然、口を開いた僕のほうに顔を向けた。
僕は清々しい気分で彼に頷く。
「そうそう。あー、すっきりし、」
「なんで、ここで割り込んでくんのよ! ……ていうか、なんでウクライナ語が分かるのよ!!」
しまった。口は災いのもと。鬼の形相をした委員長に詰め寄られることになってしまった。
「いや……あの」
眼鏡から殺人光線が漏れ出している委員長に詰め寄られ、僕は言い訳をするように説明した。
「昔、お姉ちゃんにどんな言葉で愛を伝えればいいのか悩んでいた時期があってね……それで、とりあえず世界中の“愛してる”を覚えたんだ。フランス語なら“Je t'aime”、ドイツ語なら“Ich liebe dich”、イタリア語は“Ti amo”、ニャンジャ語は“Ndimakukondani”、ヘブライ語なら“אני אוהב אותך”で……」
「後半どうやって発音してんだそれ」
真成君が何やら口を挟んだが、もはや僕は止まらない。
「三日三晩不眠不休で、世界中の言葉で愛してるを言えるようにはなったけれど、四日目の朝に僕はようやく悟ったんだ。愛を伝えるためには、言葉じゃなくて、そこにどれだけの想いを込められるかの方がよっぽど大切なんだって」
「いや、もういい。もういいから」
それ以上口をきくな、と委員長がドスのきいた小声で僕を脅した。
「……すまん。俺は、お前の正義には味方できそうにない」
そう言いながら、ちょっと席を遠くにずらす真成君。
なんだこいつら。
一旦のオチがついたところで、一時限目の開始を知らせるチャイムとともに現社担当の教師が教室へ入ってきた。委員長はそそくさと自分の席に戻ってゆく。真成君は大きくあくびをすると、机の上に頭を伏せた。寝るつもりらしい。学校に何しに来てんだろうか、彼は。
僕はと言えば、窓から覗く曇天にお姉ちゃんの姿を重ねながら、朝、委員長から聞いたお祭り、大謝祭までにこの空が晴れ渡ることを願おうと、肘をついた右手に頭を軽く載せて……。
「痛っ」
ズキリと痛んだ右手に、思わず顔を顰めた。
続きは金曜日。




