30.ハイランディア領での再会
真っ白になった視界から幕が下りるように魔法陣の光が消えると、そこは今まで来たことのない屋内だった。高い天井や太い柱、祭壇があってその手前が広間になっているところを見ると、ここは神殿の広間なんだろう。でも、城の中央神殿と比べると、随分と簡素で規模も小さい。
そして、広間の外に通じる扉は開いたままで、そこに呆気に取られた様子で立ち尽くしている人物がいる。
「……なぜ、あなた達がこんな所へ」
その声でそれが誰だか分かったけれど、あまりの変貌ぶりに思わず悲鳴のような声を上げてしまった。
「え、エドワルド様!?」
「やあ、リナ。すっかり貴族令嬢らしくなったね。見違えたよ」
「……いえ、それはこちらの台詞です」
だって、エドワルド様は今まで、長い金糸の羨ましいくらいサラサラの髪に白い肌、袖も裾も長い神官衣に身を包んだ、柔和な顔つきの、いかにも神官って感じの方だったのに。
今のエドワルド様は、長い髪を肩の辺りでバッサリ切って首の後ろで一つに縛り、随分と日に焼けて頬は引き締まり、トレウ村の農民とそう変わらないような格好をしている。ただすれ違っただけだったら、きっとエドワルド様だと気付かずに通り過ぎてしまっていたに違いない。
「ああ、そう、髪を切ったんだよ。薬草を育てたり薬を調合したりするのに邪魔だからね。この格好も、畑仕事をするのに動きやすいからだよ。ここでは、中央神殿にいる時のように見た目を取り繕う必要などないからね」
首から手拭いを下げ、木の皮を編んだ籠を持っている様は、まさに農民そのものだ。その表情から、エドワルド様がとっても充実した生活を送っているのは分かる。分かるけど、……何かちょっと残念な気持ちになるのは何でだろう。
それより、とエドワルド様は目を細め、警戒しているような表情になった。
「突然、こんな所に何の用ですか。あなた方お二人が一緒ということは、また何かあったのですか?」
「いや。俺も、あまりに突然のことで何が何やらさっぱり分からんのだが」
ファリス様が困ったように頭を掻きながら、事情を説明しろとリザヴェント様に視線を送る。けれど、リザヴェント様はといえば、相変わらずのマイペースで。
「リナ。エドワルドとの話は長くなりそうか?」
「はっ? へっ? ええと、それほどは……」
「ならば、夕刻までには迎えにくる。それでいいな?」
そう訊いたくせに返事も待たずに、リザヴェント様は私とファリス様を魔法陣から押し出し、止める間もなくあっという間に光と共に消え失せてしまった。
……ええっ。全部丸投げ?
呆気に取られながら振り向くと、ファリス様の顔には「事情を説明しろ」と書かれてある。こっちへ歩いてきたエドワルド様の表情も同様だ。
「いえ、その、あの、これはですね……」
「分かっている、リナ。どうせお前もリザヴェントに振り回されたんだろう? 全く、相変わらずな奴だな」
そう言いながら、ファリス様がは私の手を引きながら、床より高いところにある祭壇の魔法陣から降りる。
「へえ。随分と紳士的になったね、ファリス」
揶揄うような口調のエドワルド様に、ファリス様はムッとした表情を浮かべた。
「俺は女性に対しては常に紳士的だ」
「そうだったかな。ま、そういうことにしておこうか」
エドワルド様はファリス様と昔からの知り合いらしく、他に目上の人がいないとくだけた口調になる。面白そうに表情を緩めているところを見ると、久しぶりに会えて嬉しいんだろうな。
そんなことを考えていると、エドワルド様がその笑顔のままこっちを振り返った。
「で、どういう事情があったのか、ゆっくり教えてくれるかな? リナ」
エドワルド様が現在所属しているこのハイランディア侯爵領の神殿は、領内でも田舎の方にある。近くに大きな街はあるけれど、神殿の周囲には農村が広がっていて、神殿自体も結構な広さの畑を所有している。
神殿に隣接する小さな家が、エドワルド様の住まいだ。現在、神殿にいる神官はエドワルド様一人で、下働きが一日おきに通ってきてくれているらしい。けれど、その他はエドワルド様が自分一人でこなしているんだそうだ。
あまり物のない質素な造りの家は、私が以前住んでいたザーフレム領の田舎の家を思い出させる。
「こんなところで悪いけど、まあ寛いで」
エドワルド様は私達に二脚しかない椅子をすすめてくれ、自分用に別の部屋から踏み台のようなものを持ってきた。
「驚いただろう? こんな所に暮らしているなんて」
半分口を開けたまま室内を物珍しそうに眺めているファリス様に、エドワルド様が苦笑いを浮かべる。
「ハイランディア侯爵領の神殿だからもう少し立派なのかと思っていたが、随分と小さいんだな」
「侯爵領には、他にも立派な神殿は幾つもあるよ。でも、薬草畑がこれほど充実しているのはここ以外にないからね。ごめんね、リナ。遊びに来いだなんて言っておいて、こんな粗末な所で」
「いいえ! 私が前に暮らしていたザーフレムの家もこんな感じでしたし、全然全く問題ないです」
勢いよくそう否定すると、何故か二人とも急に黙り込んだ。
「……あの。私、何かまずいこと言いました?」
「いや。……そうか。きみは旅の後、こんな所で過ごしていたんだね」
エドワルド様がしみじみと頷き、ファリス様が怖い顔をしてテーブルの上で拳を握り締める。
ああ、そうか。お二人とも貴族家や中央神殿での生活に慣れているから、この家が普通の平民の家よりも随分マシな方だって知らないのかもしれないな。ザーフレムで親切にしてくれた村の人達の家は、もっと小さくて古くて隙間風が吹き込んでいたから。
ともかく、沈んでしまった空気を変えようと話を戻すことにした。
「実は、こうなってしまった経緯なんですけど、実は先日、サステート領トレウ村に視察に行った時、白月草っていう薬草が魔物の毒に効くってことを知ったんです」
「白月草? ああ、確かに消炎・解毒作用のある薬草だね。ここの畑でも少しだけど栽培しているよ。確かに軟膏にして売っている薬屋はあるけれど、魔物の毒に効くっていうのはあまり聞いたことがないなあ」
エドワルド様は少し首を捻った。
「同行してくれていた戦士のオレアさんが教えてくれたんです。ギルドの戦士さん達の間では、魔鹿の毒にやられたらそれが一番効くって常識らしくって。その情報を持ち帰ったら、宰相閣下に次の視察に行った時には他の薬草の情報も併せて調べてくるようにって言われたんです。その時に、エドワルド様なら薬草について詳しいから、色々と教えてもらえるんじゃないかって思ったんですけど」
「だから、リザヴェントにここへ連れてきてもらったのか」
呆れたように溜息を吐くファリス様を振り返り、猛然と首を横に振る。私が我儘を言ってリザヴェント様を使ったなんて誤解をされては困る。
「違います! たまたま、魔法のことで相談事があって話をしていて、私にも移動魔法が使えたらエドワルド様に会いにいけるのに、って言ったら、あっという間にこうなったんです」
不可抗力だったんです、と訴えると、お二人ともすぐに分かってくれた。
「確かに、聖女家のある王領からここまで、馬車だと半日以上かかってしまうからね。それにしても、それを聞いてすぐさまリナをここへ連れてくるなんて、あの方も相変わらずだね……」
「全くだ」
お二人揃って疲れたように溜息を吐く。それから、エドワルド様は気を取り直したように笑顔を浮かべた。
「まあ、せっかくここまで来たんだから、薬草畑を見て回るかい? 魔物による外傷への効能が認められている訳じゃないけれど、その効果が期待できるものについて教えてあげよう」
「本当ですか?」
「そもそも、そういう知識を深めたい為に、リナを利用してここへ飛ばされて来られるよう画策したんだからね」
エドワルド様がそう言って茶目っ気のある笑顔を浮かべたのは、ご自分が左遷された責任を今でも感じている私に気を遣ってくれているんだ。
宿舎を出ると、すぐに薬草畑が広がっている。畝しかない区画や、雑草が生い茂っているようにしか見えない区画や、紫色の変わった花が咲いている区画など様々だ。中には、元の世界でも見たことのあるようなのも植えられているけれど、元々植物に興味があった訳じゃないから名前までは分からない。
「ほら。あそこに生えているのが白月草だよ」
エドワルド様が指示した方向に目を凝らせば、なるほど、見覚えのある葉の形をした植物が風に揺れている。
「クラウ……、官吏の方は、白月草は南部の山の方に生えているって言っていましたけど、ここでも生えているんですね」
ハイランディア侯爵領は、国内でも中央に近い北東部に位置する。きっと、気候的にはサステート領よりも随分と涼しいはずなのに、こんなところでも育つんだな。
「いや。白月草は、元々ハイランディア領には自生していない。ここにある薬草は、各地から種や苗を集めて育てているんだ。勿論、気候風土が合わなくて枯れることもあるし、栽培するのは容易じゃない。でも、難しいからこそやりがいがあるんだよ」
胸を張り、短くなった髪を風に靡かせながら畑を見渡すエドワルド様は、中央神殿にいた時よりずっと清々しい表情をしていた。日に焼けて少し逞しくなって、これまであった神経質そうな雰囲気が消えて、……素敵になったなぁ、なんてその横顔を眺めていると、不意に背後から賑やかな歓声が上がった。
「エドワルド様ぁ~」
「お手伝いにきたよぉ~」
子供らしい声に、愛らしい小さな子供たちの駆けてくる様を思い浮かべながら振り向いた私は、思わずぎょっとした。手を振りながら走ってくるのは、もしかしたら私よりも大きいんじゃないかって思えるくらい体格のいい人達だったから。
「あれぇ? お客様?」
「うわぁ、綺麗な服。もしかして、騎士様とお姫様?」
「ねえ、誰? 誰なの、エドワルド様ぁ」
……いや。無邪気な表情や顔つき、それに声は確かに子供なんだけれど、なにせ背が高くて体格がいいから、違和感が半端ない。
全員背が私よりも高い、男の子二人と女の子一人の、合わせて三人。男の子はすでに大人顔負けのしなやかな筋肉を短めの裾や袖から覗かせ、女の子の方もまるで体育系の部活をしている子のような逞しさがある。
そして、三人とも、黒髪に空色の瞳をしていた。
「エドワルド様、この人達って……」
「ああ、そうだよ。この子達は、ハイデラルシアの民だ」
アデルハイドさんが、戦士として稼いだお金を全てつぎ込んで命を繋いできた、同郷の民。そうだ。彼らは今、北部の村からこの神殿に移ってきているんだ。
キョトンとした表情で顔を見合わせる彼らを見ながら、何だか胸が熱くなってきた。
「ゼスト、カール、フラウ、紹介するよ。こちらが騎士ファリス・デュランで、こちらがリナ・サクマ。二人とも、アデルハイドや僕と共に王女様を魔王城から助け出し、魔将軍と戦った仲間だ」
「ええっ!?」
「すごぉい!」
「ええ~、本当に? この子も魔将軍と戦ったの?」
女の子が、私を見下ろしながら訝し気に顔を顰める。……いや、この子って。確かに信じられない気持ちも分からないではないけどさあ。
「フラウ。リナは今では聖女という称号を持つ貴族なんだからね?」
エドワルド様に窘められて、フラウというらしい女の子は不服げに頬を膨らませる。
「だってぇ。こんな子供がアデルハイド様と一緒に戦っただなんて信じられないんだもん」
「子供って、私もう十七歳なんだけど」
「ええっ、嘘!?」
驚愕の声を上げたフラウと同時に、男の子二人も驚きの声を上げて目を見張る。
「ちなみに、この子達はまだ十歳なんだよ」
エドワルド様の言葉に、今度は私が驚愕のあまり目を見開いたのだった。