29.移動魔法が使えたなら
「それはただ単に、魔力の劣化だ」
久しぶりに魔導室を訪ねると、室長室から偶然出てきたリザヴェント様と遭遇してしまった。
半年前の偽装婚約破棄云々の騒動から気まずさが抜けきらない私とは対称的に、いつも通りなリザヴェント様に「どうした?」と室長室に引っ張り込まれ、そのまま流れで魔力が弱くなっているような気がする、と相談したところ、そう結論付けられてしまった。
「……劣化?」
「病気などで寝たきりになると、筋力が弱って立てなくなるだろう。それと同じだ。魔力も使わないと衰える」
ええっ、そんな! だって、ゲームとかだったら一度覚えた魔法はずっと使えるし、一度上がった最大魔力値は下がる事なんてないのに。使わないと衰えるって、そんなのないよ。せっかく、あんなに苦労して身に付けたのに。
「じゃあ、どうすれば元に戻るんですか?」
「決まっているだろう。鍛えればいいのだ」
やっぱりそうか。そうだろうなぁ。
「もし、もっともっと鍛えれば、私もリザヴェント様みたいになれますか?」
そうなったら、聖女としてもっと箔が付くってものだ。
「なれる訳ないじゃない。この御方の魔力の強さは規格外よ」
お茶を持ってきてくれたレイチェルさんが笑いながら、緑茶のようなお茶を淹れたカップを応接テーブルの上に置く。
「まあ、そうですよね」
皆が皆、努力したらリザヴェント様みたいになれたら、それはそれで怖いような気もするし。
「じゃあ、頑張ったら、私でも転移魔法が使えるようになりますか?」
うーん、とお盆を胸に抱えながら唸ったレイチェルさんは首を捻った。
「使える、……ようにはなったとしても、どこまで行けるか、よね」
「え?」
「ほら。転移魔法って、一度行ったことのある場所の魔法陣まで飛べる魔法じゃない? でも、それだけじゃ駄目なの。使える魔力の量によって、どこまで飛べるかが違ってくるわけ。今のリナちゃんの魔力なら、例え転移魔法が使えるようになったとしても、ここから隣の部屋まで移動できればいいほうだわ」
「ええっ、そんなものなんですか?」
レイチェルさんは国境近くの領地サステートまで移動できるというのに、私ってここから二十歩ぐらいしか移動できないって、どんだけ魔力が少ないんだ。……いやいや、改めて鍛えなおせば、もう少し遠くへ飛べるはず。
「おい、城内では転移魔法は使用できんぞ」
「分かっていますよ。例えばの話です」
もう、頭が固いんだから、と言わんばかりにレイチェルさんは頬を膨らませてリザヴェント様を睨みつけた。
「しかし、何故、移動魔法などに興味を持つ? ……ハッ、まさか、あの男に会いたいが為に、移動魔法でテナリオに行こうなどと考えてはいまいな?」
眉を顰めてこちらを睨みつけてくるリザヴェント様に、呆気に取られて首を左右に振りながらも、私はそんなことができる可能性に全く気付いていなかった自分に愕然とした。
「……あの、もしかしてリザヴェント様なら、テナリオまで一瞬で移動することもできるんですよね?」
もし、リザヴェント様がテナリオまで移動魔法を使って連れて行ってくれたなら。そうしたら、まずアデルハイドさんの元気な姿を見て安心して、聖女として取り敢えずやっていけている今の私を見てもらって。それから……。
「無理だ」
「えっ……」
望みを打ち砕く非情なリザヴェント様の答えにがっかりするよりも、私を諦めさせる為に嘘を言われたんじゃないかって疑念の方が大きく膨らんでいく。
すると、レイチェルさんが宥めるように私の肩を叩いた。
「リナちゃん、落ち着いて。いくら魔族の国からこの城まで移動できるだけの魔力を持っているリザヴェント様でも、行ったことのない所へは移動できないの」
「あ……」
自分の思い違いに気付くと共に、リザヴェント様を疑って睨みつけてしまっていた自分が馬鹿過ぎて、居たたまれない気分になってしまう。けれど、被害者は私じゃなくてリザヴェント様だ。
「申し訳ございませんでした。疑ったりして……」
「いや。確かに、私がテナリオまで飛べれば、お前をつれてあの男のいる国まで行くことは可能だ。……が」
「が?」
「お前は、やはり今でも、あの男に会いたいのか?」
深い紫色の瞳に見据えられて、返答に窮してしまった。
会いたい。それは、偽らざる自分の気持ちだ。でも、会って、一体私はどうするつもりなんだろう。
魔族との戦いは激化しつつあると聞いている。会いに行っても邪魔になるだけ。足を引っ張ることになるんじゃないだろうか。
それに、もし、すでにアデルハイドさんに奥さんか恋人がいたら。
そう想像するだけで胸が苦しくなり、鼻の奥がキュンと痛くなる。
でも、もしそうなら、ちゃんと現実を受け止めて、きちんと自分の気持ちに決着をつけなければならないんじゃないだろうか。でないと、いつまでも結婚から逃げる理由にアデルハイドさんを利用してしまう。
「……はい。やっぱり、一度会ってちゃんとお別れがしたいんです」
そう答えると、リザヴェント様は眉間に皺を寄せ、額に手を当てて深い溜息を吐いた。
「でも、移動魔法のことをお聞きしたのは、アデルハイドさんの所へ行きたいからじゃないんです」
ん? と顔を上げて首を傾げたリザヴェント様の長い薄紫の髪が揺れて肩から滑り落ちる。
「実は、薬草の事でエドワルド様とお話したいな、と思っているんですが、なかなか一日のお休みじゃあ、エドワルド様のいる神殿まで往復するのは難しいんです。だから、もし移動魔法が使えるようになったら、時間の空いた時にパパッと往復できちゃったりするんじゃないかって思っただけで……」
「何だ、そういうことか」
私が言い終わらないうちに、スッと立ち上がったリザヴェント様は、いきなり私の腕を掴むと、扉に向かって歩き始めた。
「えっ、あのっ……?」
「ああ、レイチェル。少しばかり席を外すが、すぐ戻る」
その言葉には、言外に「だから止めるな口出すな」という響きが含まれていた。
「は? いえ、だからって、……リザヴェント様!」
慌てて後を付いてくるレイチェルさんを完全無視して、リザヴェント様はどんどん歩いて行く。
途中、リザヴェント様が廊下にいた衛兵に、訓練所にいるファリス様に神殿まで来るように伝えるよう命じているのを聞いて、やっと自分がどこへ連れて行かれようとしているのか確信した。
やっぱり、これからエドワルド様の所へ行くんだ……。
いやいや、移動魔法でハイランディア侯爵領の神殿まで往復出来たら嬉しいな~って思っていたのは確かですよ。でもね、私の我儘を叶えた挙句、罪を全部背負って田舎の神殿に追放されたエドワルド様に会うのって、やっぱり心の準備とか心の準備とか、心の準備が必要なんですってば。それに、会いに行くとなれば先にお知らせの手紙を送ったりして、あちらの御都合も伺って、訪問の際にはきちんと手土産も持って、……って、そんなの全部無視ですかぁ~?
私の心の悲鳴が聞こえるはずもなく、リザヴェント様はずんずん廊下を進んでいき、神官達を蹴散らすかのように魔法陣に足を踏み入れると、私を引っ張り込んだ。
あれ、何だかこんなこと前にもあったような……。
あれは、もう一年近く前になるのか。ザーフレムで田舎暮らしをしていた私の所へいきなり現れたリザヴェント様は、こんな風に強引に私を魔法陣へ引っ張り込んで城へ連れ戻した。
やっていることは、あの時とほとんど変わらない。思い立ったら即行動、強引で、こっちの気持ちなんかお構いなしで。
でも、あの時のように悔しくて泣きたいだなんて思わないし、リザヴェント様に対する不快感もない。この人はこういう人だからなぁって半ば諦めているし、これが自分の事しか考えない自分勝手な行動なんかじゃないってちゃんと分かっているから。
だから、結局、受け取るこっちの気持ち次第なんだ。リザヴェント様は、私の為に行動してくださっている。それを、忙しいのにすぐに私の為に動いてくださったって感動するか、それとももう少しこっちの事情も考えてくれないと、と不快に思うかは、私の受け取り方次第なんだよね。
……正直、勘弁して~、って思っているのが本音なんだけど。
私達が魔法陣に入って間もなく、ファリス様が息を切らしながら駈け込んで来た。
「おい、どういうことだ、これは。一体、どこに行こうとしている?」
「落ち着け。これはリナの望んだことだ」
「リナが? 一体、どういうことなんだ?」
私の顔を覗き込んで来たファリス様は、必然的に魔法陣に足を踏み込んでいる。
と、目の前が真っ白な光に包まれた。
ああ、本当に、ハイランディア侯爵領の神殿まで移動しちゃうんですかぁ……。