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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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24.やってみたい事

 メモ帳の内容を清書していると、夕食の時間になったようで、ノアさんが声を掛けてくれた。

 食堂には、まだウォルターさんの姿はなかった。

 もしかしたら、避けられているのかも。

 そんな不安が少しだけ胸を過る。

 彼のことが怖くて、避けていたのは私の方だ。けれど、嫌われたのかも、呆れられ諦められたのかも、と思うと悲しいような寂しいような気持ちになる。

 昼食が遅かったせいか、正直まだお腹は空いていない。なのに、テーブルには一人ではとても食べきれない量の食事が並んでいる。

 元の世界では、年齢の近い男兄弟に挟まれていたせいで、母の絶品鳥唐揚げが食卓に上った日にはまさに早い者勝ち。気を抜けば、大皿からあっという間に唐揚げは消えていた。おやつだって、気を抜いてテレビに見入っていると、いつの間にかポテチの大袋が空っぽになっていた。

 あの時は、美味しい物や好きな物を自分の満足いくまで堪能したいとずっと思っていた。

 でも、いざそういう状況になると、何となく食欲がわかない。見ているだけでお腹がいっぱいになってしまって、ため息が出てくる。

 元々、洋風の食事が好みだったから、お米が食べたいとかお味噌汁が飲みたいとかいう欲求はあまりわいてこない。寧ろ、食事が口に合うので、そういう面ではこの国で暮らしていくには助かっている。

 ……そう。グランライト王国は、おいしいものが多い。貴族から庶民に至るまで、食に関するレベルが高いと思う。これは、王女救出の旅で幾つかの国を通過した私の感想だ。

 なのに、その旅の間、私は旅の仲間に何て物を食べさせてきたのか……!

 過去を思い出す度に、今でも申し訳なさで身体が震える。

 彼らが何も言わずに残さず食べてくれたのは、料理を作った私の為じゃなく、生き延びる為、戦う力を失わない為だったと分かっている。けれど、不味いものは不味い。ほんと、貴族のファリス様やリザヴェント様まで、よく食べてくれましたよ。

 その反省を元に、田舎で一人暮らしをしていた頃は、村の人達から料理を習って自炊し、そこそこ美味しいものが作れるようになっていた。

 城で暮らすようになってからも、時々料理長にプロの技を教えてもらった。魔王討伐の旅に出ることになれば、今度こそ美味しいものを皆に食べて貰おうと思って。

 でも、魔王討伐の話が立ち消えになり、聖女となってこの屋敷に移ってきてからは、厨房に入ることさえできなくなった。貴族らしく、と口煩いウォルターさんの目が光っている所で、料理をしたいだなんて言い出せなかったし、正直諦めていた。

 もう、魔王討伐の旅に出ることもないし、本当は料理の腕なんて磨く必要はないのかも知れない。でも……。

「リナ様、どうなさいましたか? もしや、具合が悪いのでは」

 心配そうなノアさんの声に、ハッと我に返る。

 気が付けば、白身魚のムニエルを切りかけたナイフの先をじっと見つめたまま、固まってしまっていたらしい。

 ――これからは、このお屋敷内ではリナ様がなさりたいように過ごしてくださいませ。執事が何を言おうとも、お気になさらずともよいのですよ。私達はリナ様の味方ですから。

 ふと、さっきのノアさんの言葉を思い出す。

 そんなことは無理です、と否定されるのを恐れる気持ちが湧いてきて、言葉を飲み込む。けれど、心配そうにこっちを見ているノアさんの表情を見て、思い切って今の気持ちを言葉にしてみようと思えた。

「料理を、してみたいんです」

「え……?」

「あ、いえ、無理ならいいんです。でも、元の世界では料理のできる子って女子力が高いっていうか、できるに越したことはないっていうか……」

 ノアさんは怪訝そうに眉を顰めた。

 元の世界の価値観を基準に喋る私に戸惑っているんだろう。ああ、どういう風に説明すれば、私が料理をしたいという気持ちが伝わるのかな。

 すると、ノアさんはこっちの言葉が途切れた間を見計らったように口を開いた。

「要するに、リナ様は調理に興味がおありなのですね?」

「……あ、はい」

「では、料理長のハンスに話をしておきましょう」

「本当ですか?」

 思わぬ展開に身を乗り出した後で、ふとウォルターさんの厳しい顔が脳裏を過る。

「……じゃあ、お願いします」

 湧いてきた嫌な予感を胸の奥底に押し込んで、笑顔を作る。

 もし、これが現実にならなくても、がっかりなんかしちゃいけない。だって、この国の貴族は料理なんてしないんだし。

 ノアさんの向こうで、他の侍女さんや女中さん達が、

「お菓子を作られてお茶を楽しむなんていいですよね」

なんて話しているのが聞こえてきた。どうやら、この家に仕えてくれている使用人さん達が、私の味方になってくれるというのは本当らしい。

 ちょっとだけ気持ちが楽になったけれど、やっぱりウォルターさんに「駄目です」の一言で片づけられる可能性も覚悟しておかないといけないと自分に言い聞かせた。


 夕食の後、部屋に戻って再び机に向かう。

 昼寝をしたお蔭でまだ眠気はこない。明日のことを考えると夜更かしをする訳にはいかないけれど、次の地方視察を早く実現する為にも、もう少しメモを清書する作業を進めておきたい。

 気合いを入れて頑張っていると、ドアをノックする音がした。

「失礼いたします。只今戻りました。遅くなって申し訳ございません」

 入ってきたのは、元の銀縁眼鏡に戻ったウォルターさんだった。

 うん、やっぱり銀縁眼鏡は、彼の綺麗な顔立ちを引き立たせる最強アイテムだ。よく似合っている。

「いえ、お疲れ様でした。私のせいでお仕事が溜まっていたんですよね。すみませんでした」

 そう言うと、ウォルターさんはスッと目を細めた。

 あ、やっぱり貴族らしくない言葉遣いだと怒られるか、と身構える。

 と、ウォルターさんはフッと息を吐き出し、薄い唇に笑みを浮かべた。

「それが私の仕事なのですから、リナ様がお気に病まれることはございません」

「……あ、はい。そうですよね」

 余計な心配などする必要はない、と一蹴されてしまった。

 それから、ウォルターさんは手帳片手に明日の予定をつらつらと述べる。いつもと同じ時間に王城に出仕して、いつもの時間に帰って。明日はその後に夜会や誰かと会うという予定は今のところ入っていない。

「それから、リナ様」

 手帳を片手でパタンと閉じたウォルターさんは、銀縁眼鏡の奥で綺麗な形の目を細めた。

 ……きた!

 さあ、いよいよ説教タイムか、と肩を竦めて身構える。

「ノアから聞きました。料理をなさりたいそうですね」

「……はい」

「どういう品を作りたいという具体的なご希望はございますか?」

「え? ……あ、……いえ、そのあの……」

 思ってもみないウォルターさんの言葉に、返答がしどろもどろになってしまう。

「特にないのであれば、まずは菓子作りなどいかがでしょうか」

「い、いいいいいんですか?」

「リナ様がそうなさりたいのでしたら、材料を揃えて準備をさせておきます。明日、城から戻られたら、すぐに取り掛かれるよう手配をしておきますが?」

 ほんの少しだけ首を傾げているウォルターさんは、私の気のせいでなければ、微笑みみたいなものを浮かべている。

 呆然としながら小さく頷くと、「では、そのように」と言ってウォルターさんは踵を返し、部屋を出て行った。

「……ほえー」

 驚きの展開に、力が抜けてしまった。椅子からよろめきながら立ち上がると、そのままふらふらと長椅子に腰を下ろして、ポスンと横になる。

 ふわふわとした気持ちが、天井を見上げているうちにじわじわと喜びに変わってきた。

「……ふ、……ふふ、ふふふふ」

 クッションをぎゅっと抱きしめ、身体を揺すりながら足をばたつかせる。

 くすぐったいような喜びに包まれた私の中で、さっきまで燻っていた王女様への不満や、仕事に対する不安や、そういった常に自分の心を重くしている物が薄れていくような気がした。

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