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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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23.悩める執事の裏事情

執事ウォルター視点でのお話です。

 主を屋敷に送り届け、荷物を屋敷に運び込み、それから馬を駆って城下街に引き返すと一軒の店に飛び込む。

「早急に修理してくれ。夕刻には取りに戻る」

 上着のポケットから壊れた眼鏡を取り出してカウンターに置く。以前、作った時の度数の記録は台帳に残っているから、視力を測り直す必要はない。

 顔なじみの眼鏡屋の主は、作業中の手を止めてこちらをしげしげと見つめると、口元を歪めた。

「……どなたかと思えば。せっかくの男前が台無しですな」

 そんなに、この丸眼鏡は似合っていないというのか。

 目が悪いのは血筋らしく、父も祖父も、曾祖父も眼鏡をかけていたらしい。幼い頃から部屋に籠って本を読むのが好きだったのも手伝って、気が付いた時には景色がぼやけて見えるようになっていた。

 我が家は、平民でありながら、代々貴族家に仕えてきた。親から子へ、子から孫へ、主である貴族家を繁栄させる為のあらゆる知識と技術を伝え、磨きあげてきた。その集大成とも言われているのが我が父で、王家に次ぐ名門ブライトン公爵家の家令にまで昇りつめた。

 勿論、俺もそれに続くつもりだった。公爵家の後継ぎである若君の従者となり、気に入られて王城に同行し、王子殿下や王女殿下とも親しく言葉を交わせるまでになった。王子殿下が帝国に留学する際は、若君に付き従って同行し、更に見識を深めることができた。

 帰国した時には、俺も若君も二十代半ば。もうそろそろ、公爵家も代替わりの頃合いだ。

 祖国が魔物に襲撃されたという報を受け、帰国後は何かとゴタゴタ続きだったが、結局王子殿下が半ば強引に王権を譲り受け、事を収めた。

 ところが、さあこれからブライトン公爵家の運営について徐々に父から引継ぎを受けようと思っていた矢先、王子殿下から思ってもみないことを言われた。

 ――ウォルター、聖女の執事になれ。

 聖女というのは、異世界から王女殿下をお救いする為に召喚されたという少女の身分を保障する為、王子殿下が新たに設けた称号だというのは、若君からお聞きしていた。しかし……。

 聖女家の執事になれば、当然若君の従者を辞め、ブライトン公爵家から離れることになる。はっきりと見えていた自分の理想の未来が、音を立てて崩れて行った瞬間だった。

 とはいえ、そんなことをいちいち根に持って鬱々としている訳にはいかない。いくらこの国の最高権力者達と親しくしていたとはいえ、自分は貴族の地位も持たない平民であり、彼らのご機嫌一つで呆気なく消し飛んでしまうような儚い存在だ。

 不満など何一つないかのように平然とその命令を承り、俺は聖女家の執事となった。



「……半年か」

 王都を行き交う人々を縫うように歩きながら、ふと郷愁に似た思いにとらわれる。

 この半年の間、俺は一体、何をしていたのだろう。これほど不毛な時間を浪費したことは、これまでの人生ではなかった。

 王女様を救う為に魔王城まで乗り込み、帰国後は何も望まず田舎で静かに暮らし、新たな神託を受けて城に戻り魔将軍と戦ったという聖女様は、驚くほど普通の、……正直平凡な少女だった。

 これまでの実績や、共に旅に出られた方々との情熱的なエピソード等、噂に聞く聖女様像とは余りにかけ離れた『リナ』という名の異世界人に、正直戸惑った。勿論、そんな内心の動揺など相手に微塵も感じさせなかった自信はあるが。

 気を取り直し、これから貴族として生きていく為に必要な知識や礼儀作法を身に付けていただこうと指導することにしたのだが、彼女はまず乗り気でないのかなかなか身に付かない。おまけに何度も根気よく指導すれば泣かれてしまい、他の使用人達からも白い目で見られ、肩身の狭い思いをしてきた。それでも、陛下から聖女様の執事という立場を直々に拝命した以上、途中で投げ出す訳にはいかない。

 このまま貴族家の長として暮らしていても、この人は辛い思いをするだけだろうな。

 日に日に、そんな思いが強くなっていく。

 どうやら、職場でも有能な官吏達に馬鹿にされているらしい。家のことなら何とでもするが、王城内での職務にまで執事が顔を突っ込む訳にはいかない。代わりに、陛下や宰相閣下、旅の仲間であったファリス様がフォローしてくれているようだが、それが返って優遇されていると彼女に対する風当たりを強くしてしまっているように思える。

 彼女にとって一番いいのは、そこそこ気の合う相手と結婚し、社交界とも距離を置いて穏やかに暮らすことだ。いまだに神託がどうだと言う輩には、子孫を残すことがこの国の為になる、とでも吹聴して納得させればいい話なのだ。

 ところが、彼女は旅の仲間だった戦士に惚れていたらしく、彼が祖国復興の為に旅立った後も他の男に目もくれようとしない。遊び人だと有名なファリス様が盛大に空振りする様は見ていて大変面白いのだが、探りを入れては拒否反応を示されて冗談だと誤魔化す陛下の御姿を見ていると、お気の毒で仕方がない。

 そうこうしているうちに、どうやら彼女は口煩い俺に苦手意識を持ったらしく、俺を避けるようになった。使用人達と友人のように話すのをしつこく注意したせいか、最近では屋敷でも沈んだ表情で独り溜息を吐くことが多くなっていた。

 だから、地方視察先で行方不明になったという報告をジュリオス様経由で受けた時、咄嗟に脳裏を過ったのは「逃げたのではないか」という思いだった。トレウ村は国境に近く、山を幾つか越えれば隣国へ逃れられる。ギルドで親しくなったという戦士が手引きすれば、不可能なことではない。

 どうやら、陛下の懸念はまた別の所にあったようだが、ともかく俺はファリス様と共にトレウ村に向かうことになった。

 事を大っぴらにして大人数で動けば、それに気付いた魔導室長がどんな行動に出るか分からない。秘密裏に、最もトレウ村に近い所まで移動魔法を使える魔導師を呼び出して、フロワーズ領まで移動し、そこからひたすら馬を駆る。

 疲労困憊の状態でトレウ村に到着し、痙攣しそうになる足を摩りながら村長宅へ踏み込んでみれば、聖女様はすでに戻っていて、オレアという戦士と楽しそうに食卓を囲んでいた。

 切れたファリス様がオレアに殴りかかり、止めようとした聖女様の頬を叩いた。本来なら、執事として主を庇うべきだったのだろうが、正直昨夜から振り回された挙句、半日も馬を駆り続けて疲れ切っていた俺の口からは、厭味交じりの厳しい言葉しか出て来なかった。

 人間、疲れていると正常な判断ができなくなるらしい。帰還の支度をしながら、彼女の気持ちも考えず、俺はつい、自分の思っている事をつらつらと彼女に説いていた。

 そして、彼女は本当に逃げた。……不覚にも、疲れ切って眠っていた俺はそれに気付かなかった。

 聖女様が起きなければいけない時刻より、かなり余裕を持って起こしてくれるよう村長に頼んで、俺はあてがわれた部屋で眠りについた。普段より深い眠りに陥っていたようで、起こされてからも眠くて仕方がなかった。それでも睡魔を振り切って身支度を整え、聖女様を起こしに部屋に入ってはじめて、彼女がいないことに気付いたのだった。

 すぐに村長宅を飛び出し、周辺を探し回った。夜の村は闇が深い。いつからいなくなったのか、どこへ行ったのか、全く見当がつかなかった。

 汗だくになりながら走り回り、空が白みかけた時、ふと我に返った。周囲が明るくなってから、大人数で探した方が見つかりやすい。魔物に遭遇していたらと考えると心配だが、今更一人で焦ったところで仕方がない。

 昨日の疲れが抜け切れない上に、走り回ったせいでガクガクする足を引きずりながら村長宅に戻ると、何と彼女は戻ってきていた。

 振り回された怒りよりも、正直ホッとしたというのが本音だった。

 彼女は、ただオレアと共に周辺を散歩していただけだと言っていたらしいが、顔を見てすぐに分かった。泣きはらして腫れあがった目。逃げようとして思いとどまり、泣いて気持ちを落ち着かせていたのだろう。

 執事の俺には絶対に泣いて縋ったりしないのに、オレアの前では違うんだな……。

 疲れと寝不足に加え、そんなやるせない思いに囚われて集中力を欠いていたせいか、階段を踏み外して落下するという、これまでやったことのない失態を犯してしまった。

 痛みよりも、愛用の眼鏡が壊れてしまったことよりも、主を助けに来たはずが、逆に傷つけた上に自分が怪我をするなどという余りに情けない現実に、精神的にかなり参ってしまった。挙句、村を出るときに飲んだ痛み止めの副作用もあって、馬車の中で完全に眠りこけてしまった。主である聖女様の目の前で、だ。今思い出しても、顔から火が出そうになる。

 彼女は異世界人だ。こちらの世界の風習には疎い。……だからきっと、彼女は知らないのだろう。主が、使用人に上着を掛けてやるという行動が何を意味するか、など。

 そこまで考えて、ハッと我に返る。

 当たり前ではないか。彼女にそんな気持ちなどある訳がない。

 首を一つ横に振ると、不意に目に飛び込んできたのは、王都でも最近人気だと有名な菓子店から楽しそうに腕を組んで出てくる若い男女の姿だった。

 俺を従えて買い物をする時には、あんなに楽しそうに笑ったりしないのに。

 眼鏡が壊れていて、ぼやけて表情までははっきり見えなかった。けれど、サストの街をファリス様と歩いていた彼女は楽しそうに声を弾ませていた。

 なのに、馬車で再び俺と向き合った時、怯えにも似た緊張感で表情を強張らせていた彼女を目にしては、もう何も言えなかった。口調も態度も、初めて会った時の様に、全く貴族らしくない、使用人に対するものではなくなっていることにも、気付いていたが指摘することができなかった。

 ……執事失格だな。

 自嘲気味に溜息を吐きながら、これからジュリオス様に何があったのか根掘り葉掘り訊き出されるのか。シクシク痛む胃の辺りを掌でぐっと押さえた。



「では、本当に彼女は純粋にただ山の中で迷っただけなのだね?」

 陛下よりも温厚な、けれど確かに血の繋がりを感じさせるジュリオス様の、こちらの心を覗き込むような眼光に息を詰める。

 これまで、若君のこんな視線に居心地の悪さを覚えることはなかった。俺は主である若君に対して何ら後ろめたいことはなかったのだから。

 けれど、今はジュリオス様を恐ろしいと感じる。それはきっと、俺の主が今は聖女様であり、彼女の立場を守る為にはジュリオス様に全てを正直に申し上げる訳にはいかなくなったからだろう。

 例えば、夜中に村長宅を抜け出して逃亡しようとしていたらしきこと。

 これは、ファリス様も散歩をしていただけだという彼女の見え透いた嘘を信じた振りをしている。俺も、本当ならジュリオス様に報告すべきなのだろうが、そんなことをすれば彼女の立場を悪くしかねない。

「はい。そのようです」

「同行した戦士の周辺も洗わせてみたのだが、不審なところはなかった。今回は、本当に彼女自身のうっかりが招いた事故だったようだね。でも」

 ジュリオス様の表情が、すうっと引き締まる。

「魔物の被害に悩む国は多い。藁にも縋る思いで、我が国が魔将軍を退けたその力を手にしようと目論む輩もいないとも限らない」

「……やはり、そういう動きがあるのですか」

「いや、あくまでも可能性の話だ。が……」

 声を落としたジュリオス様の眉間には、陛下そっくりの皺が刻まれていた。

「優秀な魔導師や神官、強い騎士や戦士は他国にもいる。だが、神託を受けて異世界から召喚された『聖女』は、世界広しといえども唯一人しかいない。陛下もそれを懸念されている」

 心配なら、本人の意志など後回しにして、さっさと城の奥にでも閉じ込めてしまえばいいものを、とジュリオス様は怖い事をさらっと呟いた。

 城の奥、それはただ単に場所を示す言葉ではない。そこは、王妃を筆頭に王の寵愛を受ける女性が暮らす場を意味する。

 確かに、俺は彼女が誰かと結婚し、分不相応の実力を求められる職を辞し、夫の庇護の元で穏やかに暮らすことが彼女にとって一番いいことだと思っている。

 だが、側室となれば話は違う。いずれ陛下が迎えるだろう王妃との確執、次の王位を巡る争いに否応無く巻き込まれるだろう。そうなった時、『聖女』という地位を失った『側室』の彼女を誰が守るのか。

「ウォルター」

 不意に名を呼ばれて畏まると、ジュリオス様はこちらの懸念を察したように頷いた。

「彼女は、我が国の為に元の世界から引き離され、もう二度と戻ることは叶わないのだ。彼女には幸せになって貰いたい。だが同時に、現在彼女が最も望んでいることを、叶えてやる訳にはいかないのだよ」

「分かっております」

「陛下も、何が一番彼女の為になるか色々とお考えのようだが、人の心の内のことだ、確たる答えはない。ただ、どのような方針を取るにせよ、お前は執事として彼女を支えてやることだ」

「はっ……」

 そう言われてしまえば、自分が彼女の執事を続けていいのだろうか、と悩んでいたことなど、口に出すことなどできない。

「それから……」

 不意にジュリオス様の眉間に再び皺が刻まれた。

「その眼鏡は何とかしろ」

「恐れながら、数年前までこの眼鏡を掛けてあなた様にお仕えしていたではないですか。一体、何がそんなに駄目なのですか」

 そう問えば、ジュリオス様は不愉快そうに目を細めた。

「以前も、せっかく整った顔立ちが似合わぬ眼鏡のせいで勿体ないことになっている、と思っていたが。今のお前がその眼鏡をかけていると、真面目な顔をしてふざけているように感じる」

 帰りには、必ず眼鏡屋で修理してもらった銀縁眼鏡を受け取って帰らなければ。ああ、ついでに予備の眼鏡も購入しておくとしよう。

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