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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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22.久しぶりの我が家

「お帰りなさいませ、リナ様」

 久しぶりの聖女家わがや。出迎えてくれた使用人達の見慣れた顔を前に、ホッと安堵の溜息を吐く。

トレウ村へ地方視察に赴くまでは、帰りたくないと思ったこともあったのに、今はこの少し古めかしくて寒々しい印象のあるお屋敷を目にして、何だか懐かしい気持ちで胸がいっぱいになる。

 もし、あの時、何もかも振り切って夜の山に踏み込んでいたら、ここへ戻って来ることもなく、こうやって温かく出迎えてくれた人々の顔も見ることができなかった。そう思うと、思わずじんわりと目頭が熱くなってきた。

「随分とお疲れになられたでしょう。昼食をご用意しております」

 侍女のノアさんにそう言われて、とっくにお昼を回った時間にもかかわらず、まだ昼食を食べていなかったことに気付いた。王女様のお部屋でお茶とお茶菓子をいただいたとはいえ、空腹を感じなかったのはきっとあれから心ここにあらずだったからだろうな。

「……どうしたんスか、その眼鏡」

 そんな声がして振り向けば、馬車から荷物を下ろすのを手伝っていた下働きのジャンさんが、笑いを堪えるように口元を歪めながらウォルターさんを見上げている。

「どうでもいい。さっさと運べ」

 不機嫌そうに睨みを利かせても、銀縁眼鏡だった頃の迫力は今のウォルターさんにはない。

 というか、せめてその黒縁丸眼鏡にするのなら、銀髪をきっちり撫で付けているその髪形も少しは変えればいいのに。ほら、ベテラン侍女のノアさんも、思わず口元を押えて視線を反らしているじゃないの。


 食堂でいつもより遅い昼食をとる。

 給仕をしてくれたのはウォルターさんではなく従僕のアレムさんだった。あの面白眼鏡を間近に見ながら食事をしていて吹き出さない自信がなかったので、良かったと胸を撫で下ろす。

 広い食堂で一人食事をするのは寂しい。ここ半年で慣れたとは思っていたけれど、トレウ村でファリス様やレイチェルさん、オレアさんと食卓を囲んでいたここ数日の楽しさを味わった後では、寂しさが余計に身に沁みる。

 料理長が腕を振るってくれた手の込んだ料理も、時間をかけて味わうのではなくて、この苦痛を早く切り上げる為に、次々と口に押し込み飲み込む感じだ。

 昼食が終わって部屋に戻ると、ノアさんが着替えを手伝ってくれる。仕事用のシンプルなドレスから、屋敷内で過ごす時用のゆったりとしたワンピースに着替えると、ホッとするのと同時に疲れが押し寄せてきた。

「ちょっと疲れたので、お昼寝していいですか?」

 半ばぼうっとする頭でそう言えば、ノアさんに怪訝な顔をされた。

 その顔を見て、ああ、またハンナさんと過ごしていた時の様にノアさんに接してしまった、と自分の失敗に気付く。

 けれど、私が改めるよりも早く、ノアさんは「かしこまりました」と頭を下げて、素早く支度を整えて部屋から出て行った。

 帰って来て早々、またやっちゃった、とじくじく痛む胸を押えながらベッドに入る。

 まだ身体の疲れは残っていて、更に精神的な疲労も溜まっていたにも関わらず、心の中がわさわさして、目を閉じてもなかなか眠れなかった。


『わたくし達、あなたを応援するわ。いいわね、リナ』

 王女様の台詞が頭の中にこびり付いている。

 本当ですか、と涙を浮かべるキャスリーン嬢に、姉御肌丸出しで頷く王女様。

 いくら王女様とはいえ、ご自分に関係ない貴族同士の縁談に口を出せるものなんだろうか、と心配になる私を振り返って、王女様は突然こう言い放ったのだった。

『リナ。あなた、ファリスと結婚しなさい』

 ――ええっ!!

 以前、あの男だけは止めておきなさい、気を付けなさいと言ったのは外でもない、王女様じゃないですか。それなのに、なんでいきなりそんなことを……。

『勘違いしないでね。何も、本当に結婚しろと言っている訳じゃないわ。あの男とキャスリーンとの縁談が流れるまでの偽装よ』

 ……偽装。その言葉に、ふとリザヴェント様の顔が脳裏を過った。

 偽装婚約とその後の解消に至るゴタゴタで、私とリザヴェント様との間には以前にはなかった溝ができ、それはまだ完全には埋められないままだ。

 それなのに、今度はファリス様と?

 ただでさえ、アデルハイドさんにお別れを言いたいという私の我儘を叶えてくれる為に、ファリス様は降格処分を受け、エドワルド様は中央神殿を追放になってしまった。

 もうこれ以上、旅の仲間だった人達の優しさに付け込んで、利用するような真似をするのは嫌だ。

 ……でも、感涙を浮かべるキャスリーン嬢を前に、そんなことできません、とキッパリ断ることはできなかった。

 好きな人と結婚したい、というキャスリーン嬢の気持ちは痛いほど分かるから。

 私だって、もし許されるならアデルハイドさんとずっと一緒にいて、城の厨房裏で絵を描いていた時のような穏やかな幸せに、ずっとずっと浸っていたい。

 でも、もうあの時間は二度と取り戻せない。アデルハイドさんがこの国に戻ってきて、昼間から酒を飲んでは私と絵を描いてのんびり過ごすようなことは、この先も絶対に無い。そして、私が『聖女』という立場も与えられた役割も捨ててアデルハイドさんを追いかけることも、きっとできない。

 だから、自分や家の立場なんかよりも、クラウスさんを好きだという思いを抑えきれず、何とかファリス様との縁談を破談にしたいと私に会いに来たキャスリーン嬢の強い気持ちが正直眩しい。

 聖女という身分を与えてくれて、この国で生きる為の場所や力を与えてくれて、温かく見守ってくれている周囲の人達を裏切ることはできないと自分の思いを抑え込んだ私からしたら、キャスリーン嬢の無鉄砲さは本当に眩しくて、目が眩みそうだ。

 ……でも、王女様の部屋を出てからずっと悶々としているのは、きっと、私の想いが叶えられることはないのに、キャスリーン嬢だけがその我儘をきいて貰えようとしていることが不満だから。

 王女様は、私には協力するとは言ってはくれないくせに。

 思わずそんな気持ちが込み上げてきて、ぎゅっとシーツを握り締める。

 こんなことで王女様を恨むなんて馬鹿げている。分かってる。分かってるよ、でも……。

 胸の内に沸いた暗い感情を慌てて押し殺すようにぎゅっと目を閉じると、涙が幾筋も眦を伝った。


 気が付くと、日が傾く時刻だった。なかなか寝付けなくて寝返りばかり打っているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 起きて寝室を出ると、机の上に筆記具とメモ帳が置かれていた。知らないうちに侍女さん達が荷を解いて、汚れた訓練着などは洗濯に回してくれたらしい。

 そう言えば、メモ帳の内容をきちんと清書しないといけないんだった。

 その作業は、登城して対魔情報戦略室でやってもいいけれど、その分ギルドへ足を運ぶ時間も減るし、やらなきゃいけないことが終わらなければ次の地方視察へ出るのも遅くなってしまう。

 昼寝をして少し元気が出てきたし、少しでも仕事を片付けておこう。

「すみません。紙を用意してもらえますか?」

 控えていたノアさんにそう頼むと、彼女は畏まりましたと微笑んだ。

 机に向かい、メモ帳を開いて、さてどれから取り掛かろうかと頭の中で計画を立てていると、ノアさんが質のいい紙の束を持ってきてくれた。

「ありがとうございます」

 何に使うかまで言っていなかったのに、ちゃんと宰相閣下に提出できる品質の紙を用意してくれるだなんてさすがだなぁ、と感心しながら受け取ると、ノアさんはほんの少し寂し気な笑みを浮かべた。

「リナ様。このお屋敷に来られた頃に戻られたようですね」

「えっ……」

 そう言われて、また貴族らしからぬ言葉遣いでノアさんに接していたことに気付いた。

 またやっちゃった、と自己嫌悪で俯く私に、ノアさんは穏やかな表情で首を横に振った。

「勘違いなさらないでください。責めているのではありません。私共は、リナ様が心穏やかにお過ごしになられるのならば、それが一番だと思っております。ですから、どうか、あまり思い詰めたりなさらないでください」

 ……なんだか、心を見透かされていたような気持ちになった。

 それはそうかも知れない。だって、この家に移ってから半年、私はノアさん達の前でずっとウォルターさんから貴族らしい言動を求められ、神経をすり減らしながら過ごしてきた。思わず泣いてしまって、顔を背けて誤魔化したけれど、使用人さん達にはそんな場面を何度も目撃されていた。

 主として、使用人に対するに相応しい言動を取るべきです、と何度ウォルターさんに注意されても、城でハンナさん達と過ごしていた時の癖が抜けない。気持ち的にも、自分よりも年上の相手に命令口調を使うのは気が引けた。

 嫌だな、こんなの嫌だな。そう思いながらも、ウォルターさんが言うことが正しいのだからと気を張って、自分らしくない自分を装ってきた。

 けれど、あの夜。ウォルターさんから、この半年やってきた仕事を全否定されるようなことを言われた時、何かがプツンと切れてしまった。オレアさんに慰めてもらいながら泣いて、立ち直れたと思っていたけれど、やっぱり緊張の糸は切れたままだったみたいだ。

 思い返してみれば、あれからウォルターさんにもずっと丁寧口調で話していたような気がする。この屋敷に来た最初の頃のように。でも、それを指摘されることも、注意されることもなかったな。何でだろう……。

「これからは、このお屋敷内ではリナ様がなさりたいように過ごしてくださいませ。執事が何を言おうとも、お気になさらずともよいのですよ。私達はリナ様の味方ですから」

「ノアさん……」

 胸がジンとして、目頭が熱くなる。

 何故急に彼女がこんな風に言ってくれるようになったのかよく分からない。でも、ノアさんはこれまでよりずっと優しい笑みを浮かべて、心から私の事を心配してくれているように見えた。

「ですから、どうか早まったりなさらないでくださいね?」

「……え?」

 首を傾げる私の前で、ノアさんは不意に顔を背け、フリルのついた前掛けの裾でそっと目元を拭った。

 早まる、って何? ……一体、何の事?

 ファリス様との偽装結婚? でも、それってまだ、王女様とキャスリーン嬢しか知らない秘密の計画だ。ノアさんが知っているはずがない。

 それとも、トレウ村で夜中に隣国へ逃げようとしたことがバレたのかな。ファリス様にはうまく取り繕ったつもりだったけれど、やっぱりウォルターさんの目は誤魔化せなかったのかも。

 あ、だから、私の言動が貴族らしくないものに変わっても、ウォルターさんは何も言わずに見逃してくれていたのかも知れない。トレウ村での諸々について、未だにお叱りがないのも、きっと彼なりに私のことを気遣ってくれているんだろうな……。

「あの、ウォルターは?」

「今は所用で外出しております。戻りましたら、すぐこちらに参りますよう伝えておきます」

「あ、ううん、いいんです」

 私のせいで二日ほど家を空けていたから、きっと仕事が山ほど溜まっているんだろう。それもこれも、私が聖女家の切り盛りなど何一つできないからだ。

 それに、ウォルターさんは時々、元主人のジュリオス様に呼び出されることもあるらしい。

 もしかしたら、私が結婚してこの聖女家が消滅した後、ブライトン公爵家に戻る為に色々とやっておくこともあるのかも知れない。

 そう思い、不意にまた結婚というキーワードから悩ましい現実を思い出して、気持ちが重くなった。


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