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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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21.恋バナでは済まされない

 貴族の間では、政略結婚がほとんどで、恋愛で結ばれる人たちの方が圧倒的に少ないらしい。

 私も、この世界の基準における結婚適齢期に突入していて、今現在我が家の優秀な執事を筆頭に、様々な場面で結婚話を振られることが結構ある。皆、私が貴族社会について疎いと思ってか、諭すように色々なことを教えてくれる。まるで、今でもアデルハイドさんを理由に結婚を渋る私を諌めるみたいに。

 だから、キャスリーン嬢のように、自分の恋を貫く為に政略結婚を断ろうとするなんて、褒められたものじゃないことは分かる。それでも、自分の意志を貫こうとしている彼女のことを、我儘だなんて批難できない。

 私だって、アデルハイドさんのことが忘れられなくて、寿退職を勧めるウォルターさんの言葉に傷ついて、衝動的にこの国から逃げてやろうかと思ったくらいだから、キャスリーン嬢の気持ちも分かる。これが常識だからと言われて、はい分かりました、とそう簡単に割り切れる問題じゃないんだよね、恋心って。

 ……とはいえ、ファリス様はこの国の貴族でも人気の高い独身男性の一人だ。国王陛下やジュリオス様といった、より条件のいい独身男性が留学先から帰国されて、一時の圧倒的な人気に翳りが見え始めたとはいっても、まだまだファリス様を慕う貴族令嬢は多い。

 そのファリス様との結婚を棒に振ってでも、慕い続けたい人っていったい……。

 誰ですか、と思わず口に出して言ってしまいそうになって、慌てて口を噤む。初対面で、しかも会う前から迷惑を掛けてしまった人に、いきなりそういった突っ込んだ質問をできるほど、私は無神経にはできていない。

 驚きのカミングアウトに何と答えていいか分からず、沈黙が流れる。その沈黙を破って先に口を開いたのはキャスリーン嬢だった。

「……という訳ですので、私はこれで失礼いたします」

「えっ、ちょ、ちょっと待っ……!」

 小さく礼をして立ち去ろうとするキャスリーン嬢の前に慌てて立ち塞がってから、次の対応に困って、背中を汗が滝のように流れ落ちていく。

 怪訝な表情で至近距離からそのおっきな目で睨まれましても……! でも、このまま彼女を帰してしまっていいものか。ファリス様の為にも、ここは縁談がこれで終わりにならないよう、何か言っておくべきじゃないだろうか。

 ああっ! でも、何も適当な言葉が出て来ない!!

「……ファリス様はっ!」

 何でもいい、何でもいいから、とにかく今ここで縁談を破棄すると決めつけることだけは避けて欲しくて、いい加減無い脳みそをフル回転して言葉をひねり出す。

「っ、そう、ファリス様はあなたに可愛らしい髪飾りを……」

「あなた方、そこで何をやっているの?」

 突然、投げかけられた冷ややかな声に、言葉が喉の奥で凍り付いた。

 振り向くと、廊下の向こうから侍女を従えた王女様が歩いてくるところだった。眉を吊り上げ、宝石のように美しい瞳には、近頃では見たこともないほど厳しい色が浮かんでいる。

「これは、王女殿下」

 サッ、と身を引き、深々と礼をするキャスリーン嬢。その前で、私は喉の奥で消えた言葉を出し切れなかった不満感でもやもやしていた。

 ……そうだよ、ファリス様が彼女にあんなに可愛い髪飾りをお土産に買ってきたって知ったら、彼女の気持ちも少しは変わるかも知れないじゃない。例え好きな人がいても、その気持ちを胸に仕舞って、ファリス様と幸せになろうって思い直してくれるかも知れない。

「リナ。あなた、わたくしとの約束がありながら、こんなところで立ち話をしているなんて」

「も、……申し訳ございません」

 またも自分の思考に囚われて立ち尽くしていた私は、我に返って慌てて王女様に頭を下げる。

「あなた、確かヴァセラン伯爵令嬢ね」

 相当怒っているのか、王女様は私の謝罪を無視すると、キャスリーン嬢に向き直る。

「はい。キャスリーンと申します」

「そう。では、あなたもいらっしゃい」

「……え?」

 小首を傾げる愛らしいキャスリーン嬢に、王女様はまるで得物を前にした捕食者のような目をしながらニヤリと笑った。

「何だか、随分と面白そうな話をしていたようだから、わたくしも是非その会話に混ぜて貰いたいわ」

 みるみる顔を引きつらせるキャスリーン嬢。そして、そんな二人を前にしながら、自分の顔も彼女以上に引きつっていることは鏡を見なくても明らかだった。


 王女様付きの侍女が淹れてくれたお茶が胃に沁みる。

 これまで私が城に与えられていた部屋や、現在の聖女家の屋敷とはランクが違うのが一目瞭然なほど豪奢な王女様の部屋。そのソファに肩を竦めて座る私の隣で、キャスリーン嬢はやや青ざめながらも気丈に背筋を伸ばしてお茶を飲んでいる。私よりも年下なのに、伯爵令嬢としての矜持を守る為、毅然と顔を上げている様子を見ていると、その健気さに胸を打たれた。

 ごめんなさい。私があの時、呼び止めたりしなければ……。

 王女様がどこから私達の会話を聞いていたのか分からないけれど、キャスリーン嬢の話はただの恋バナとして済ませられる話じゃない。貴族の結婚は、互いの家の関係や勢力争いにも関わってくる。まして、キャスリーン嬢は伯爵家、ファリス様は侯爵家。勿論、ファリス様の家の方が大きいし目上に当たるから、キャスリーン嬢から縁談を破棄するのはきっと難しいんだろう。

 だからキャスリーン嬢は、王家の庇護下にあり、既存の爵位に当てはまらない聖女である私を利用して、ファリス様との結婚話を白紙に戻そうと思ったに違いない。

 職場も同じで、仕事中はほぼ行動を共にしているのを、私がファリス様を好きで、束縛できるよう国王陛下にお願いしていると勘違いしている令嬢達もいる。キャスリーン嬢はきっと、そういう人達の話を信じてしまったんだろうな。

 困ったなぁ。アデルハイドさんのことをいまだに引きずっている私としては、できればキャスリーン嬢の恋を応援してあげたい。でも、だからといって私がファリス様と結婚したいだなんて嘘を吐いて、横槍を入れる訳にはいかない。そんなことをしてこの縁談を破談にしてしまっても責任なんて取れないし、ファリス様には残念な中年になってしまう前に結婚して欲しいし。

 ……ああ、もう、どうすればいいんだろう。何がファリス様やキャスリーン嬢にとって一番いいのか分からない。

「あら。二人とも、随分静かだこと。わたくしに遠慮なんかせず、さっきの会話の続きをしてもらって構わないのよ?」

 王女様が麗しい顔に溢れんばかりの好奇心を浮かべている。なんだかこういう意地悪っぽい表情を見ていると、やっぱり国王陛下とご兄妹なんだなぁと改めて思う。

「そんな。王女様のお耳に入れるようなことではなかったのです。些細な世間話だったんですから」

 ヘラッと笑いながらそう誤魔化そうとした私に、王女様は陛下そっくりの意地の悪い笑顔を浮かべた。

「わたくしが何も知らないとでも思っているの? リナ」

「……え? ……っとおっしゃいますと?」

「キャスリーンは、ファリスの縁談の相手でしょう? その大切な昼食会が、あなたのせいで中止になった。彼女は、あなたを糾弾していたのではなくて?」

 ……そう、だと私も思ったんですけどねぇ。

「あの、それは……」

「それは違います、王女殿下。私は、ファリス様との縁談をお断りしたくて、聖女様にファリス様と結婚して下さるようお願いしていたのです」

 ……えええっ!? 言っちゃったよ、この子。

 ぎょっとして、冷や汗ダラダラ掻いている私の横で、吹っ切れたような表情のキャスリーン嬢は、まっすぐに王女様を見つめている。

「断りたい?」

 目を見張った王女様の顔には、次の瞬間にはふつふつと堪えきれない嬉しさが浮かび上がっている。

「断りたいですって? それは本心なの?」

「はい」

 キャスリーン嬢がきっぱりとそう答えた瞬間、王女様はガタッと身を乗り出した。

 嬉しそうですね、王女様。とっても嬉しそう。こういう話、大好物ですもんね……。

「それはどうして? やっぱり、ファリスの女癖が悪いから?」

 ああ、王女様。そんな身も蓋もない……。

「……いえ。そうではなく、他にお慕いしている方がおりますので」

 そ、それも正直に言っちゃうの? キャスリーン嬢!

 驚きのあまり腰を浮かしかけた私の前で、王女様はキャスリーン嬢の両肩をローテーブル越しに掴みかからんばかりの勢いで畳み掛ける。

「まあっ! それはどなたなのっ!?」

 そっ、そこまで訊きますかっ、王女様!!

 さすがに、キャスリーン嬢は言葉を詰まらせた。うんうん、そうでしょう。それは流石に答えられないよね……。

 俯いて沈黙するキャスリーン嬢を見つめる王女様は、不意にスウッと綺麗な目を細めた。

「そう言えば、あなた。従兄妹にあたるクラウス・シトランとは随分と仲が良いそうね」

 その言葉を聞いたキャスリーン嬢の顔が、みるみる赤くなっていく。

 分かりやすっ! ……っていうか、そうなの? そういうことなのっ!?

 したり顔の王女様と、真っ赤になった頬を両手で押さえて落ち着きをなくしたキャスリーン嬢を前に、私は天を仰いだ。

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