9.神官エドワルド
今回は神官エドワルド視点のお話です。
――エドワルド様には関係ないことですから。
彼女から投げかけられた言葉が、意外に深く胸に突き刺さったことに、自分自身で驚いていた。
グランライト王国は、光を司る神の守護を受ける国だ。
自分は七歳の時に相次いで両親を亡くし、生家の子爵家を叔父に乗っ取られる形で追い出され、当時の神官長に拾われ神職に就いた。
一度路頭に迷った経験からか、自分は失敗を極度に恐れるようになっていた。失敗すれば、せっかく与えられた神職という居場所を失うことになるかも知れない。
だから、真面目過ぎるとかお堅いだとか揶揄されても、決して原則からはみ出すようなことはしてこなかった。
こんな性格だから、王女が危険だと止める周囲の反対を押し切って婚約者と地方視察という名目での婚前旅行に出かけ、彼の目の前で魔王の手下に攫われるという事態になった時には、それみたことか、と内心せせら笑ったものだった。神官のくせに不謹慎な思考だということは分かっている。
しかし、魔王が王女をただ愛でる目的で攫ったのならともかく、彼女を人質に我が国を脅迫するような事態になるのはまずいと思った。なにせ、国王陛下は王女を溺愛していたから、彼女の為だったらどんな犠牲も厭わない選択をする恐れがあった。
遠く離れた魔王の城がある土地まで、誰がどうやって王女を救出に向かえばいいのか。
国王陛下をはじめ首脳陣は答えの出ない御前会議を延々と続けていたけれど、結局自分達だけではどうすればいいか結論は出なかったようだ。ある日、神殿に神託の儀式を執り行うよう命令が下った。儀式によって神殿の祭壇の上部にある鏡が眩い光を放ち、神託は下された。
すぐに、神官長をはじめとする高位神官が集まり、神託を解析する。鏡に映しだされた光景から、神が我々にお伝えになりたい言葉を読み解くのだ。過去に下された神託の膨大な資料を参考にしつつ、神が我々をどう導こうとしているのか模索する。
映し出されたのは、見たこともない世界。男女別に同じ格好をした若者たちが大勢行き来する大きな建物の一角。階段をまさに降り切ろうとしていた少女が光に包まれる。
次いで、騎士や魔導師ら四人の青年たちと共に、旅装姿の少女の姿が映し出される。そして、魔王の城らしき建物から、少女が王女を救い出す場面。
どれもハッキリと顔は確認できなかったが、議論を重ねた末、高位神官は全会一致で結論を出した。
異世界から少女を召喚し、騎士、魔導師、戦士、神官と共に王女を救出に向かわせれば、王女を救出することができる。これが、神託の内容である、と。
異世界から人間を召喚するには、古代魔法が用いられる。現在、我が国でその古代魔法を使える実力があるのは、天才と呼ばれている魔術師リザヴェントただ一人だ。
自分より三つ年上のこの魔導師が、実は少し苦手だったりする。男にしておくには勿体ないほど綺麗な顔立ちをしているのに、無口で無表情で何を考えているか分からない。おまけに、ちょっと変わっている。
「その少女が、王女救出には絶対に必要なのか」
「そう神託が下されましたから」
「……なるほど。『最終兵器』というわけか」
意味不明なネーミングに取り敢えず曖昧に頷いたものの、彼がその後も使用するその『最終兵器』という言葉は、召喚された少女の実力と余りにかけ離れたものだった。
異世界から召喚された少女を目にした瞬間、湧き上がってきたのは言い知れない違和感だった。
……彼女が?
神託の少女を召喚する際に定める空間座標軸は、数名の神官が三日かけて割りだし、天才魔導師に正確に伝えられていたはずだ。だから、間違えるはずはない。
……はずはないのだけれど、湧き上がってきた不安はすぐには消えてくれない。
「どうした?」
同じく旅のメンバーに選ばれた幼馴染の騎士ファリスにそう問われたけれど、正直に事情を話すことはできなかった。
ただの気のせいだ。そう思おうとしても、不安はなかなか拭い去れない。そして、その不安は、旅が始まってリナの実力を知れば知るほど大きくなっていった。
旅の疲れもあり、ただでさえ眠気を誘う神学の講義中に船を漕ぎ出したリナに毛布を掛けてやりながら、彼女に詫びたい気持ちを何度飲み込んだか知れない。間違ったという確証もないのに謝れば、彼女や皆を不安にさせるだけだ。
自分の融通の利かなさから、彼女を命の危険に晒したこともあった。けれど、治癒術を制限し、本当に必要な場面で使えるようにしておくという原則は間違っていない。第一、剣も持てない状態になっているなら少しは自分でマズいと判断しろよ、という気持ちが勝って、素直に謝ることができなかった。どうしようもない性格だ、と自分で思う。
厳しい旅ではあったが、最終的に王女を救出し、誰一人欠けることなく帰還することができた時は、ああ、やっぱりリナで間違ってはいなかった、と密かに胸を撫で下ろしたものだった。
神殿は城内にあるけれど、基本あまり神官は神殿内から出ない。だから、リナが城からいなくなっていることに気付いたのは、普段感情を全く表に出さないあの天才魔導師が、青ざめた顔で神殿にやってきた時だった。
「じゃあ、彼女は一体どこへ行ったというのです?」
「それが、まだ分からん。お前が知らないとなると、……後はアデルハイトか」
どうやら、ここに来る前にファリスのところへ行ってきた様子だった。
「彼なら多分城下ですね。ギルドに行けば会えると思います」
そう答えると、魔導師リザヴェントはいそいそと神殿を出て行った。もう夕刻だというのに、本気で今から戦士を訊ねて城下へ向かうつもりか、と驚かされた。
駄目な子ほど可愛いという感情もあるらしいが、ならば何故今まで彼女が城からいなくなっていることに気付かなかったのか。やっぱり、天才の頭の中は計り知れない。
その後、彼女がこの国でも辺鄙な田舎に移住したことを知らされた。リザヴェントは勿論、ファリスもその措置に抗議したのには驚かされたけれど、自分は沈黙を守ったままだった。
首脳陣が決めたことに、一介の神官が楯突いたところで、何かが変わる訳じゃない。それどころか、自分の様に後ろ盾がない者が余計なことをすれば、どんな報復をされるか分かったものじゃない。宰相の甥で次期侯爵のリザヴェントや、伯爵家子息で若手騎士の筆頭であるファリスと、神殿を放逐されれば帰る家もない自分とは、置かれている立場が違う。
それに、田舎と言っても、功労者であるリナにはそれなりの待遇が用意されているはずだ。領主の館で、何不自由ないのんびりとした田舎暮らしを満喫しているのだろう。
……分かっている。自分がどんなに自分勝手な理由を並べ立てているか。許してもらえなくて当然。神職に相応しくない愚か者だ。
けれど、結局、自分はリナの為に何の行動も起こさなかった。
魔王軍の動きが活発になっている。王女を奪い返された報復を企んでいるらしい。そんな情報がもたらされて、城内は不穏な空気に包まれていた。
そんな中、数日間自分が地方神殿の視察に派遣されていた間に儀式が執り行われ、再び神託は下されていた。その時不在だった自分は、高位神官による神託の解析に参加することは許されなかった。
そして、解析が終わり公表された神託の内容は、またリナに危険な旅を強制するものだった。そして、自分は神官として、その神託に従うよう彼女に働きかける立場にある。
ファリスが、つい昨夜城に戻ってきたばかりのリナを訓練場で打ちのめしたので治癒して欲しい、という依頼を受けた時には、彼が良からぬことを企んでいるのではないかと疑った。彼女が実力不足であることを周囲に見せつけて、旅のメンバーから外そうとしているのではないか、と。
慌てて駆け付けると、久しぶりに見るリナは私達に特別恨みを抱いている様子はなかった。けれど、かと言って共に死地を乗り越えた戦友との再会を喜んでいるというふうでもなかった。
自分可愛さから、リナの為に何の行動も起こさなかったことが、自分なりにずっと気にかかっていた。だから、自分らしくもなく、素直に謝罪の言葉を口にしたというのに。
……関係ないですから。
そう、その通り。きみと私達は、あの死に物狂いの旅を共に乗り越えたけれど、決して深い絆で結ばれた訳じゃない。
明らかに取り繕った笑みを浮かべ、他人行儀なことを言ってワザとらしく頭を下げるリナ。そう言えばきみは、旅の間も幾度か、きみらしくない、まるで誰か別の人の言葉を借りたようなことを言っていたよね。そうじゃなく、きみが今思っている本当の気持ちをぶつけて欲しいと思うには、私たちの距離は開きすぎているのだろうね。
これから、前回よりも更に危険な任務を、共に乗り越えなければならないというのに、こんなことでは……。
何とかしなければと思いつつ、どうしていいか分からずに、ただ首を横にふるしかできない。
横に立っている幼馴染に、あなたの方がずっと女性慣れしているんだから、睨んでないで気の利いたことの一つくらい言ってくれよ、と無言で訴えたのだけれど、彼が言ったのは、
「明日から出発まで、毎日稽古をつけてやるからな。逃げるなよ」
という情け容赦ない言葉だった。