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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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19.地方視察の報告

 よっぽど疲れていたのか、目が覚めても体がだるくて頭がすっきりしない。

「お目覚めですか、リナ様」

 ……あ~あ。足元から聞こえるウォルターさんの声がなかったら、完全に二度寝するつもりだったのに。

 タイミング的に、私が目覚めるのを待ち構えていたらしいウォルターさんの様子からして、起きるべき時間はとうに過ぎていると推測できる。

 気合いを入れて半身を起こし、眠い目を擦っていると、目覚めの紅茶がすっと目の前に差し出される。

「どうぞ」

「……どうも」

 受け取って、半分寝ぼけながらカップに口をつける。

「本日のご予定ですが、身支度が整い次第、対魔情報戦略室において宰相閣下に地方視察の報告を行う予定となっております」

 はあ……。やっぱり、対魔情報戦略室には顔出ししないといけないのか。宰相閣下の執務室に直接伺って報告を済ませるって訳にはいかないのかなぁ。駄目なんだろうな、やっぱり。

 飲み終わった紅茶のカップをウォルターさんに戻す。その時、視界の端に映ったものにふと違和感を覚えて、思わずその顔を二度見してしまった。

「眼鏡が……」

「日常生活に支障が出る為、スペアを使用しています」

 ウォルターさんは、これまでとは全く違う、太い黒縁眼鏡をかけていた。しかも、何故かレンズが丸い。禿げヅラチョビ髭とセットの、コントなんかでよく見るキャラがかけているのと同じものだ。

 ……何てこったい。これじゃ、せっかくの男前が台無しだよ。

 細身の銀縁眼鏡をかけていた時はインテリ風のカッコいいお兄さんだったのに、今はお笑い芸人顔負けのコントで身体を張っているアイドルみたいになってしまっている。

「……その眼鏡、似合ってないよ」

 気が付くと、心の声がポロリと口から出てしまっていた。

「子供の頃から数年前まで使っていたものですが、お気に召しませんか」

 ウォルターさんの表情がどこか少し愕然としているように見えるのは、丸い黒縁眼鏡のお笑い補正のせいに違いない。真面目な顔をすればするほど、噴き出しそうになってしまう。

 というか、数年前までそれ使っていたんですか……? 絶対人生損していたと思いますよ?


 一旦ウォルターさんが部屋から退出し、侍女さんに手伝って貰って着替えをする。

 自宅にあるはずの、いつも仕事用に使っているシンプルなドレスが何着か用意されていた。どうやら、ウォルターさんのスペア眼鏡と共に、聖女家から取り寄せられてきたらしい。

 着替えて髪を整え、化粧を済ませる頃に、ウォルターさんが朝食を運んできてくれた。

 その朝食が終わるか終らないかという時だった。その人が襲撃してきたのは。

「リナ!」

 勢いよく開いたドアから遠慮の欠片もなく踏み込んできたのは、この国の王女、ネリーメイア様だった。相変わらず惚れ惚れするほどお美しい。

「聞いたわよ。また色々とやらかしたようね」

 またどこから情報を仕入れてくるのだろう、この王女様は。

「何? 一人前に落ち込んでいるの? 元気がないわね」

「昨日の疲れが取れていないのか、まだ眠いんです」

「そんな、まだ若いのに年寄りみたいなことを言わないで欲しいわ」

 呆れたように溜息を吐く王女様。……きっと元気がないのは、身体の疲れが取れないだけじゃなくて、精神的な理由の方が大きいと思うんですけど。

「それで、どうされたのですか? このような時間から」

 これまで、仕事終わりを待ち伏せするように呼び出されることはあったけれど、こんな風に王女様ご自身が部屋までやってくるのは、以前城で暮らしていた時以来だ。

 王女様は心外だとばかりに目を見開くと、拗ねたように頬を膨らませた。

「あなたが帰ってきたと聞いて、わざわざ顔を見に来てあげたの! それに最近、お茶に誘っても、あなた、忙しいって断ってばかりだったでしょう? でも、今回こそは付き合って貰うわよ。どうせ今日は、視察の報告を終えたら、時間は取れるのでしょう?」

 どうかなぁ、と思いつつ、やや離れた壁際で直立不動の姿勢のまま畏まっているウォルターさんに視線を送ると、小さく頷かれた。

「……分かりました」

 本当は、早く家に帰ってゆっくり休みたいんだけれど、王妃様のいないこの王城で相変わらず女主人的に権力を持っている王女様の誘いを、理由もないのに断る訳にはいかない。

 それに、他の貴族令嬢を交えたお茶会は苦手だけれど、王女様と二人でお喋りするのは楽しいし。

「よかった。じゃあ、また後でね」

 嬉々として去って行きかけた王女様が、ふとウォルターさんの前で足を止めた。

「あら、ウォルター。懐かしいわね、その眼鏡」

「はっ……」

 王女様は、しげしげとウォルターさんの顔を見上げている。

「何故またそれに戻したの? 最近かけていた物の方が似合っていたのに」

「壊れてしまいましたので、修理できるまではこれを身に付けることになりました」

「ふうん、そうなの。あなたでも、眼鏡を壊すようなことがあるのね。……で、どうして壊したのかしら」

「ちょっとした事故がございまして」

「あら、そうなの? 大変だったわね」

「ご心配いただき、恐悦至極に存じます」

 気のせいだろうか。親し気に言葉を交わしているのに、何故か二人の間に妙な緊張感が漂っているように見える。

 確か、ウォルターさんは、陛下や王女様と従兄弟になるジュリオス様の従者をしていたらしい。ジュリオス様は陛下だけでなく王女様とも仲が良いそうだから、以前からウォルターさんのことも知っているのだろう。

 昔からの知り合いで気安く会話できる間柄とはいえ、片や王女様、片や公爵家の元従者で聖女家の執事だ。身分の差があり過ぎるから、ウォルターさんが緊張しているのは分かるとして、王女様まで緊張しているように見えるのは何故だろう。

 もしかして、王女様、ウォルターさんの眼鏡があまりに似合わないのがおかしくて、笑いたいのを堪えています……?


 避けては通れないと分かっていても、やっぱり気が重い。

 後ろ向きになりがちな気持ちを叱咤激励しながら対魔情報戦略室に足を踏み入れると、クラウスさんを始め同僚の文官さん達が顔を上げた。

 彼らが向かっている机の上に積まれているのは、主に魔王軍の動きや各国の魔物被害の情報だった。そういうリアルに重要な情報は、クラウスさん達優秀な文官さんが取りまとめている。

 地方視察から戻った私に、ご苦労様でした、と労ってくれる人もいたけれど、ほとんどの人が目礼しただけですぐに自分の仕事に戻ってしまう。そういう場面を見ると、改めて思い知らされる。私がこの職場でどれだけ異質な存在かということを。

 持っていたメモ帳を胸に抱きかかえている腕に、ぎゅっと力を込める。

 宰相閣下は、私が対魔情報戦略室に着いた時には不在だった。けれど、間もなく現れると、部屋の上座に置かれている室長の席に着いた。

「待たせたね。朝議が長引いて、遅くなってしまった」

「いえ。私も来たばかりですので」

 気にしないで下さい、と首を横に振ると、宰相閣下は人の良さげな顔に笑みを浮かべ、それで、と催促するような視線を私の胸元に向けた。

「これが、トレウ村周辺で確認できた魔物の情報です。本当は、もっときちんと清書して提出したかったのですが」

 胸に抱え込んでいたメモ帳を恐る恐る差し出すと、受け取った宰相閣下は無言で表紙を捲った。

 一枚、また一枚ページが繰られる度に、鼓動が大きくなっていく。緊張のあまり、掌や脇に温い汗がじんわりと滲んできた。

 いつの間にか、宰相閣下の顔から笑みが消えていた。真顔になった宰相閣下は、ふととある箇所で手を止めた。

「……これは?」

「あ。これは、白月草です」

 メモ帳の途中に挟み込まれていた、紙と同程度にペッチャンコになった草花を、宰相閣下がつまみ上げる。すっかり忘れていたけれど、メモ帳の間に挟んで押し花にしておいたんだった。

「これが、魔鹿の毒に効く薬の原料か」

「はい。トレウ村の近辺に群生しているところがあると、村の子供たちに教えてもらいました」

「この薬草を原料にした薬は、どのくらい生産され、どのくらいの規模で流通している? トレウ村以外の場所で生えている箇所はあるか?」

 いきなりそう訊かれて、固まってしまう。

 巷で販売されている薬なんて、王女救出の旅の時にしか使ったことはない。それに、そもそもその旅の時には、出発時にある程度のものは買い揃えられていたし、買い足す必要が出てきたのは魔族の国に近い国まで進んだ時だったから、この国の流通事情なんて私には全く分からない。

 宰相閣下の視線が、私を通り越して背後へ向かう。

「白月草は、南部の山間部でよく見られる植物です。ですが、我が国では魔物の毒による被害はそれほど頻繁に起こるものではありません。ですので、魔物狩りを生業とする戦士の間では薬として利用されているようですが、恐らく民間ではその知識もほとんど知られていないのではないでしょうか」

 立ち上がったクラウスさんが、すらすらと答える。

「魔鹿以外の魔物の毒に対する効果は?」

 また宰相閣下の視線が私に向けられた。

 ……ああ。そこのところをオレアさんに確認しておけばよかった。

「では、次回ギルドで戦士から聴取するように」

「分かりました」

 返事をしながら、やっぱり私って詰めが甘いなぁ、と自己嫌悪に陥る。

 ふむ……、と息を吐き出してメモ帳を閉じた宰相閣下は、机の上で手を組んだ。

「なかなか、興味深かった」

「え……?」

「次はどこへ行ってみたい、という希望はあるか?」

 そう問いを投げかけてくる上目遣いの宰相閣下を見つめながら、自分の表情筋がコントロール不能になっていくのを感じた。

「……行かせて貰えるんですか?」

 あんなに迷惑を掛けて、もう二度と王都から出して貰えないと覚悟していたのに。

「そなたにその気があるのなら、私から陛下にそう申し上げておこう」

「よろしくお願いします!」

 抑えようとしても抑えきれない喜びで、思わず声が弾んだ。

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