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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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14.馬車の中で二人きり

 早朝の出立にも関わらず、トレウ村の人達の大半が見送ってくれた。子供達の寂しそうに曇る表情を見ていると、鼻の奥がきゅんと痛くなって涙目になってしまう。

「また来てくださいね」

 社交辞令なのか本気なのか分からない別れの言葉に、曖昧に笑いながらぎこちなく頷く。

確約なんてできないのに、必ずまた来ますね、だなんて調子のいいことは言えない。きっと、村の人達も本気じゃないんだろうから、適当に答えておけばいいんだろうけれど。そういう融通が利かないところが、自分でも困った奴だなぁと思う。

 ただ、どんな形であれ、もう一度この村に来たいという気持ちがあることだけは嘘じゃない。この村では、初めてこの国の魔物事情について学ぶことができたし、自分自身の今後について色々と考えさせられた。もし、自分なりの幸せを掴むことができたなら、もう一度この地に立って、悩んでいた自分を懐かしく振り返ってみたい。

 ……そんな素晴らしい未来を迎えられるように、これから頑張らないといけないんだけれどね。


 そして案の定、馬車の中は沈黙に包まれていた。

 馬車は、往路とは違い、村長が手配してトレウ村に一番近い街から急遽借りてきたものらしい。御者もいないから、オレアさんが御者台で手綱を握っている。領主所有の豪華な馬車とは見た目だけでなく造りも違うらしく、舗装されていない田舎道の衝撃が結構ダイレクトに伝わってくる。

 向かいの席に座ったウォルターさんは、意図的に私と目を合わさないようにしているらしく、何度かちらりと視線を送ってみても、ずっと窓の外に顔を向けていた。

 フロワーズ領に着くまで時間はたっぷりあるのだから、真夜中の散歩という名目の脱走未遂について改めて事情聴取があると思っていたのに、ウォルターさんはずっと黙ったままだ。オレアさんに手を借りて馬車に乗り込んでくる時、「申し訳ございません、失礼いたします」と目礼しながらそう言ったのが、私が聞いた彼の最後の声だった。

 やっぱり、不慮の事故とはいえ、怪我をしてしまったことを恥じているのかな。人間、どんなに注意していてもうっかりミスすることなんてあって当然だと思うけれど、いつも完璧なウォルターさんのことだから、怪我をしてしまった自分を許せないのかも知れない。

 ともあれ、叱られないで済むのならそれに越したことはない。張りつめてきた気を緩めて窓の外に目を向けながら、次に押し寄せてくるのはこれからの生活のことだった。

 これからまた、王都でこれまでのような生活に戻るのかと思うと気が重い。でも、どんなに嫌なことがあっても、この国で得たものを全て捨てて身一つで生きていく覚悟も、その為に命懸けで国境を越えようという勇気もなく、あと一歩が踏み出せなかったのは自分なんだから仕方がない。

 ――ここに残るって決めたんだろ? だったら、歯を食いしばって生きていくんだ。馬鹿にした奴を見返そうなんて思わなくていい。どんな形でも幸せになれば、それでいいんだからな。

 オレアさんに言われた言葉が胸に沁みる。

 ……幸せって、何? どうしたら、私は幸せになれるの?

 そもそも、それが分かっていなければ、その幸せを手に入れようもない。どこに向かって生きていけばいいのかも分からない。

 ここ半年間は、『聖女家』に慣れることや貴族らしい生き方を身に付けること、『対魔情報戦略室』の仕事をこなすことに精一杯だった。不安や不満はあっても、じゃあどうすれば解決するかなんて考える余裕もなかった。

 でも、このままじゃいけないんだ。このままこの国の貴族の誰かと適当に結婚させられるのが嫌なら、そうしなくてもいいと周囲を説得できるだけの存在にならないと。……ああ、でもそれってどういう存在なんだろう。どうすればなれるの? という以前に、どうなればいいのかさえ分からない。

 溜息を吐いた時だった。視界の片隅に、不自然に揺れる何かを捉えたのは。

 ……えっ。

 ぎょっとして視線を向けると、ウォルターさんが目を閉じ、馬車の揺れに合わせるように舟を漕いでいる。

 うそー。ウォルターさんが居眠りしてる?

 普段、全く隙の無い人の無防備な姿に、思わずまじまじとその寝顔を見つめてしまう。いつもは怖くてまともに顔を見られないけれど、相手が寝ている今はじっくりと観察し放題だ。

 やっぱり、ウォルターさんは綺麗な顔立ちをしている。リザヴェント様やファリス様のような華やかさはないけれど、スッとした鼻筋から目元にかけてのラインがとても綺麗で、知性が滲み出ている。今は壊れたせいでかけてないけれど、銀縁眼鏡が似合うんだ、これが。

 よく見ると意外と睫毛が長くてお肌も綺麗だなんて、男の人なのにずるいよ。あ、頬の上の所が線のように赤くなっているのは、もしかして階段から落ちた時に眼鏡で引っ掻いたのかな。目に入らなくて良かったよ、ほんと……。

 食い入るように見つめていると、一際大きい馬車の揺れと同時に、いきなりガクンとウォルターさんの身体が揺れた。

「ふおっ……!」

 思わず変な声を上げながら、咄嗟に飛びつくようにして倒れかけたウォルターさんの身体を支える。

「……ん」

 げ、やばい、起きた……!

 冷や汗を掻いて手を放すと、ウォルターさんは目を閉じたまま、ゆっくりとこちらへ倒れ掛かってきた。

そのまま倒れるに任せて放置する訳にもいかず、向かい合わせになっている席の間に膝を着いた状態で、私は倒れてきたウォルターさんの上半身を抱きかかえるように受け止めた。

 その状態で固まったまま、冷や汗が全身から噴き出してくる。もし今、ウォルターさんが目を覚ましたら。これじゃあ私、寝込みを襲って抱きついている変態みたいじゃないか。

「あ、あの……」

 疑われる前に言い訳をしようと声を掛けてみるも、私の耳元にあるウォルターさんの口からは、気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。

 ……何か変だ。ウォルターさんがわざと眠った振りをする訳がない。かといって、どんなに疲れていても、本来のウォルターさんなら私の前でこんなに深く眠りこけたりなんかしない。

 もしかしたら、あの薬のせいかも。

 骨折の痛みを和らげる為にと、出発の前に村長がウォルターさんに薬のようなものを飲ませていた。それに、眠くなる作用が含まれていたのかも知れない。薬って、飲むと眠くなる作用があるものって元の世界にもあったし。

 階段から落ちた後、ずっと顔を顰めて痛みに耐えていたウォルターさんの表情は、今は随分と楽そうになっていて顔色もいい。痛み止めが効いている証拠だ。

 ゆっくりと身体をずらしながら、ウォルターさんの身体を座面に横たわらせる。背が高いから窮屈そうだけれど仕方がない。クッションを頭の下に敷いて、私が羽織っていたショールを広げて掛けてあげる。

「やれやれ……」

 元の位置に腰を下ろすと、思わずそんな溜息が出た。

 それにしても、どうしてウォルターさんはファリス様と一緒にトレウ村まで来たんだろう。執事だからって、そこまでするものだろうか。それとも、クラウディオ陛下の命令だったのかな。

 小さな寝息を立てて眠りこけているウォルターさんの寝顔は子供みたいで、今更ながら目を逸らした。きっとウォルターさんは、私なんかに寝顔を見られたくないだろう。

 ウォルターさんは昨日、ファリス様と一緒にフロワーズ領からトレウ村まで、何時間も馬を駆りっぱなしだったんだよね。執事だから普段馬に長時間乗ることって滅多にないだろうし、きっと物凄く疲れていたに違いない。それなのに、夕食の給仕をした後に私の荷造りまで手伝ってくれて、今朝もまだ夜明け前から起きて、私の行方を捜してくれていたみたいだし。その上、眠気作用のある痛み止めを飲んで馬車に揺られたら、爆睡してしまうのも無理はない。

 出来が悪くて頼りない主人に仕えているばかりに、いつも貧乏くじばかり引く苦労性の優秀な執事。そう思うと、何だかウォルターさんが不憫に思えてきた。

 私だけが辛いんじゃない。ウォルターさんだって、至らない私のフォローをし、私に代わって聖女家を取り仕切ってくれている。私が誰かと結婚すれば、ウォルターさんは今の大変な状況から解放されるんだ。だから私に結婚を勧めたのかも知れない。もういい加減私の尻拭いばかりするのは懲り懲りだって、今回の件で堪忍袋の緒が切れたんだろうね、きっと。

 思えば、王女救出の旅の時にも、再び城に呼び戻された後も、旅のメンバー達には随分と迷惑を掛けてきた。貴族の身分を与えられ、これでやっと誰かに守って貰わなくても良くなったと思っていたのに、それからも私はウォルターさんをはじめ有能な周囲の人々に支えられながら暮らしてきたんだ。

 なのに、そんな生活を息苦しいだとか、アデルハイドさんに優しく包んで貰っていた過去を振り返ってばかりだとか、随分と自分勝手だった。もういい加減、そんな弱い自分からは卒業しないと。


 馬車がゆっくりと停まり、窓から馬に乗ったファリス様が声を掛けてきた。

「疲れただろう。街で昼食がてら休憩を取ることにしようと思うのだが……!?」

 ファリス様の目が、座席に横になって眠っているウォルターさんをとらえ、ぎょっとしたように目を見開く。よほど驚いたのか、語尾が跳ね上がっていた。

「……眠っているのか?」

「はい。この辺りには神官っていないんでしょうか。今は痛み止めが効いているようだからいいんですけど、城に帰るまでそのままは辛いと思うんです」

 予定では、夕方までにはフロワーズ領に到着するらしいけれど、それまでに薬の効力が切れてしまうかも知れないし。

「領主の館から少し離れた場所に小さな神殿があるが、そこへ寄るとなると遠回りになってしまう。俺としては、一刻も早くリナを王都へ連れて戻りたいのだが」

 渋るファリス様に、オレアさんが横から声を掛けてきた。

「だったら、俺が神官をこの街まで連れてくる。その間、騎士様も聖女様も、この街でゆっくり休憩しているといい」

「いいの?」

「勿論。その代わり、馬は借りるけどな。この街の市にはよその国の変わったものがたくさん売られているから、ゆっくり見て回るといい。来る時には素通りしただけだったが、聖女様も街の様子に興味津々って感じだったもんな」

 あらら。トレウ村に向かう途中、馬車の窓から王都とは雰囲気の違う街の様子をガン見していたのを、オレアさんにしっかり見られていたらしい。

「では、そうするか」

 溜息交じりに呟いたファリス様から馬の手綱を受け取ると、オレアさんは街に通じる道から逸れて走り去っていった。

 代わりに御者台に座ったファリス様が、馬車を街へと進める。

 サステート領の中心街サストは、ちょうど昼時を迎えて賑わいは最高潮を迎えていた。

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