12.戦士オレアの心情
今回は、戦士オレア視点でのお話です。
傍らで膝を抱え、肩を震わせて泣く小さな小さな女の頭や背中を撫でてやりながら、ふと半年前に別れの酒を酌み交わした親友の顔を思い出した。
お前、こんなに想われているのに、そんな女を捨てていったのかよ。
もし、時を遡ることができるのならば、あの時叩き斬られていようとも、あいつの身体をドアから引き剥がし、あいつとこの子の間を隔てていたドア板を砕いてやるのに。
俺は、基本的にこの国が好きじゃない。妻とギルドと、金払いのいい依頼者以外は。
俺達ハイデラルシアの民は、国を失い、長い流浪の末にこの国、グランライト王国に辿り着いた。だが、この国の支配者は、生きる為の術を何も持たない俺達が集団で一所に住み付くことを良しとしなかった。戦闘神の末裔だという伝説の残る屈強な俺達がこの国で纏まり勢力を拡大すれば、厄介なことになると思ったのだろう。
結局、戦士として独立して生きていける者達は各地に散らばり、女子供老人の集団は王族の生き残りに率いられ、大金と引き換えにようやく北の廃村に住み付くことを許された。
俺は、三つ年上の兄がギルドに登録して戦士となったことで、その集団から別れ、王都で暮らすことになった。
だが、俺達ハイデラルシア出身者はこの国の人間から恐れられ、忌避された。十歳ほどの子どもでもこの国の大人より大柄な体格と、荒々しい気性が敬遠されたのだろう。今でこそ、ハイデラルシア人は戦士として重宝され、珍しがられることもなくなったが、当時は露骨に嫌な顔をされたり、全く相手にされないなんてことが多々あった。
そんな暮らしの中で、俺はこの国が大嫌いになっていた。裏路地で絡んできたこの国のゴロツキどもを、日頃の鬱憤晴らしにボコボコにしてやったこともある。そんな荒れた俺を見ていた兄からはよく言われた。祖国を失った俺達を受け入れてくれたこの国の為になることが、同郷の仲間の居場所を守ることに繋がるのだと。だが、当時の俺は、何故自分に冷たいこの国の為に尽くさなければならないのかと反発してばかりだった。
けれど、戦士としてギルドに登録し、依頼を受けて金を稼ぎ、その金で暮らしを立て、酒場で騒げるくらいの余裕ができた頃には、いつの間にか俺の中に渦巻いていた不満は少しずつ解消されていた。
それでも、この国のことを好きになれなかったのは、魔族の国から遠いというだけで平和ボケしたような暢気なこの国の人間を見ているのが腹立たしかったからだ。そういう危機感の無い人間達が俺達に憐れみの目を向けてくる度に、この国とて魔族に襲われないという保証などどこにもないのだと怒鳴ってやりたくなる。もしそうなったら、呆気なくこの国は亡びるだろう。勿論、俺達が命を掛けて守ってやる必要などない。そんな日が来たら、俺達はまた、別の国に落ち延びるだけだ。
アデルハイドを初めて見たのは、魔王軍から逃れて各国を流浪している時だった。負傷している騎士達に囲まれ、気品ある女性を気遣い、幼い女の子の手を引いて歩くその姿は、俺と同じ年の頃にしてはやけに大人びていて目を引いた。
――こうなってしまっては、王族様といえど、我らと同じだ。
近くにいた大人がそう呟くのを聞いて、気の毒に思ったことを覚えている。そして、その少年が、最後の砦で見かけた軍の最高司令官の息子だと知った時には、俺はその姿を見失っていた。
次にその姿を見たのは、この国に辿り着いたばかりの頃だった。あいつは、まだ子供だというのに、ハイデラルシアの民が今後この国でどうやって生きていけばいいのか周囲の大人達と話し合い、この国の人間と交渉していた。
――どんなに辛いことがあっても、生きてくれ。生きていれば、いつか祖国の土を踏める日が来るかもしれない。
力強くそう説くあいつに、大半の者が無理だと失笑しながらも、胸の奥に希望の火を灯せたことは確かだった。
そして、俺は兄と共に王都に残り、あいつは女子供老人を連れて北の地へ向けて去っていった。
後になって気付いた。あいつの傍に、あの品のいいご婦人の姿がどこにもなかったことに。
三度目に見た時には、アデルハイドは俺と同じ戦士になっていた。すでにギルドでも名の知れた戦士になっていた俺の兄を頼ってきたあいつは、一年前に戦士となっていた俺をあっという間に追い越していった。
さすが、ハイデラルシア軍最高司令官の息子だ、生まれ持った力量が違う。だが、あいつはそう言われることを極端に嫌がった。
――親父は、民を、国を守れなかった。
ボソッとあいつがそう呟くのを聞いたことがある。
軍の最高司令官でありながら魔族に敗北した父親のことを負い目に思っているせいだろうか。あいつは、ギルドで賞金を稼ぐハイデラルシア出身の戦士に、北の村で肩を寄せ合って暮らす人々への支援を呼びかけた。そして、誰よりも精力的に大金を稼ぎ、その大半をハイデラルシアの民の為に惜しげもなく使った。
祖国が滅びたのだから、もう王族など関係ない、とあくまで一戦士として扱うよう望みながら、あいつは根っからの王族だった。辛い現実を平然と受け止めながら、常にハイデラルシアの民の為に生きてきた。そんなあいつを見てきたからこそ、俺達はこの異国の地で、便利屋のように使われ理不尽な扱いを受けようとも、じっと堪えて生きて来られたのかも知れない。
魔族に攫われたというこの国の王女を救出する旅に出て、あいつは驚くほどの大金を手に戻ってきた。それからしばらくは元のように戦士として暮らしていたが、その頃から何となく、以前のあいつとは少し雰囲気が変わったような気がしていた。
新たな神託が下ったと再び城に呼び戻されたあいつは、しばらくして城を襲撃した魔将軍を倒した。俺たちの祖国を蹂躙した魔王軍の総大将を倒したという快挙に、俺達は泣いて喜んだ。
その朗報に呼応するかのように、テナリオでハイデラルシアの王子が祖国奪還の兵を挙げた。同胞の戦士の中には、その軍に加わるべく旅立つ者も出始めた。
俺もテナリオへ行くべきか。だが、俺にはこの国に妻がいる。迷った挙句、俺は城からギルドの宿屋に戻ってきたあいつを尋ねた。
途中、城からあいつを追いかけてきたという女がドアの外で泣き喚いて話は中断してしまったが、必死で訴える女の悲しげな声を聞いているうちに、妻にあんな悲しい思いをさせたくないという気持ちになり、この国に残ることに決めたのだった。
ある日、魔族の国やその周辺国に出るような魔物の絵姿や情報を書き込んだ本を持って、ギルドに現れた『聖女様』を見た誰かが呟いた。
――おい。あれって、アデルハイドを追いかけて城から来た女だぜ。
……何だと? 俺は目を疑った。
あの時、突然ドアの向こうから聞こえてきた声。そう、必死であいつに出て来てくれと訴えるその女を、俺は声しか知らなかった。
……まさか、こんな女が?
まるで子供じゃないか。アデルハイドといい関係になるぐらいだから、てっきり声だけ可愛い大柄でグラマーな女だとばかり思っていた。
聖女様は見目麗しいお堅い騎士を従え、見当違いのことばかり言ってみたり、不安そうに周囲を見回したり、貴族らしくもなければ聖女らしい威厳もない。こんな女のどこがいいのか、と正直腹が立って、俺も随分と無礼な態度を取り続けた。
一度その目で魔物狩りの実態を見たほうがいいと半分冗談で聖女様に提案したら、何故か俺も地方視察に同行することになってしまった。そこで、聖女様のいつも以上にやらかしてくれる姿と、それでも懸命に魔物についての情報を集めている姿に、いつの間にか絆されている自分がいた。
山中で聖女様が見たがっていた魔熊の痕跡を見つけ、つい夢中になって追っていたが為に、彼女とはぐれてしまった時にはさすがに焦った。遠くで悲鳴のようなものが聞こえて振り返った時には、その姿はどこにもなかった。
先に山を下りたのかも知れないと村に戻ったが、帰ってきていないと聞いて俺は再び山に飛び込んだ。もし聖女様に何かあったら、俺や妻の身が危うい。それに、俺のせいでアデルハイドの大切な人の命を失わせるわけにはいかない。
意外にも、聖女様は逞しい一面を持っていた。一晩山中の洞窟で雨をやり過ごし、襲ってきた魔鹿を魔法で撃退していた。だが、あの方向音痴と判断力の無さには、呆れかえって笑いしか出て来ない。なぜ、わざわざ村とは反対側の山奥へ向けて進み続けないといけないのか。魔力切れでぶっ倒れていなければ、俺も見つけられていたかどうか分からない。
朦朧とする意識の中でアデルハイドの名を繰り返す聖女様に、胸が締め付けられた。あれから半年近くが経つのに、まだあいつのことを忘れられずにいるのか。傍に、いつもあんなにいい男がいるというのに。
だから、可哀想だとは思ったが、諦めさせるために厳しい事を言った。あいつはもうこの国に戻って来ないと。背中で泣かれたが、心を鬼にして耐えた。聖女様がこの国で他の誰かと幸せになれば、あいつも心置きなく王族としての務めを果たせるというものだ。
案の定、王都から戻ってきた騎士様には殴られた。可哀想に、聖女様は自分のせいだと俺を庇い、騎士様に頬を叩かれてしまった。泣きだした聖女様を前に狼狽える騎士様は見物だった。そんなに大事なら、さっさと自分だけのものにして安全な所に閉じ込めておけよ、と言いたい。
それにしても、騎士様と一緒に来た執事という男は酷かった。聖女様が知れば傷つくようなことを平気で言い、主である彼女を完全に馬鹿にしていた。聖女様が悩みながらも、必死でこの国の為にやろうとしていたことまで、あの執事は完全否定した。その上、聖女様に結婚を強いた。今でもアデルハイドのことを忘れられずにいる聖女様に。
廊下で漏れ聞こえる会話に耳を澄ませながら、部屋の中に飛び込んであの男を殴り倒したいという衝動を抑えるのに必死だった。
だから、夜中、聖女様がこっそり村長の家を出て行く気配を感じて後を追いながら、このまま彼女をアデルハイドの所へ送り届けてやろうと思うようになっていた。まさかあいつも、聖女様がこの国でこんな酷い目に遭っているとは思っていないだろう。
だが、聖女様は俺や家族のことを案じて、首を横に振った。
……ああ。きっとあいつは、この健気さに惚れたんだろうな。
俺の傍らに座り込み、膝を抱えて泣く彼女を見つめながら、何となくそう思った。
小さな肩が震えるのをやめ、嗚咽が寝息に変わってしばらく経った頃。真っ暗だった村の一角に明かりが灯った。
……ふふん、今頃気付いたか。
方向からいって、明かりが灯ったのは村長宅だ。今頃、あの執事が聖女様の姿がないことに気付いて、慌てふためいているかと思うと、笑いが止まらない。
いい気味だ。せいぜい、気を揉むがいい。
それでも、人に迷惑を掛けたくないこの聖女様の為に、出発予定の日の出に間に合うように、戻ってやらなければいけないだろう。
それには、あとわずかしか時間がない。でも、それまでは、俺がアデルハイドに代わって、この小さな身体を支えていてやろう。