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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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5.一番会いたかった人

 ――リナ。

 懐かしい声で名前を呼ばれて、目を開けるとそこには会いたくて会いたくて仕方のなかった人の姿があった。

「……アデルハイドさんっ!?」

 えっ、どうしてこんなところにいるんですか? いつ、この国に戻ってきたんですか? テナリオは? 魔族との戦いはどうなったんですか?

 声にならない私の言葉を全部聞こえているかのように微笑んで、アデルハイドさんは口を開く。

 えっ、何? 何て言ってるか聞こえない。

 ああ、でもやっぱり、私を助けに来てくれたのはアデルハイドさんだった。アデルハイドさん……。


 ハッ、と目を開けると、そこには暗闇が広がっていた。

 ……アデルハイドさん?

 見回してみても、そこにはアデルハイドさんどころか、私以外の人間の気配はない。

 夢だったと受け入れるには、あまりに残酷な現実だった。日が落ちて真っ暗になった山の中、誰でもいいから助けて欲しいこの状況で、この世で一番会いたい人が助けに来てくれたと思っていたら、それがただの夢だったなんて。

 雨音も雷鳴も、いつの間にか止んでいた。その代わり、真っ暗な闇の向こうから正体不明の音だけが聞こえてくる。

 ザワザワと音を立てるのは、風に木の葉が揺られて鳴る音? それとも、近くに沢があって、水が流れている音なのかも知れない。

 今聞こえてきた悲鳴のような声は、何の鳴き声だろう。魔物だったら、この暗闇の中からいきなり襲い掛かってくるかも知れない。恐怖に駆られ、咄嗟に腰帯に括り付けていた短剣に手を伸ばす。

「そうだ。火……」

 炎の魔法で火を熾せば、周囲の様子も見える。でも、私の魔力では、リザヴェント様みたいに長い間灯になるような火の玉を作り出すことはできない。

 取り敢えず、手探りで鞄をあさり、メモ用の紙を一枚台紙から破り取った。台紙に一番近い部分だから、まだ何も書いていない白紙のはずだ。

 それを細長く丸めて、魔法でその先にそっと火を点ける。その微かな明かりで周囲を見回してみても、薪にできそうなものはない。せいぜい、地面に転がる石の隙間や壁際に、枯れた木の葉が風に吹き寄せられて積もっているくらいだ。

 それでも、諦めるよりはましだ。湿っていない地面に手の届く範囲の木の葉を集め、消えそうになっていたメモ用紙の火を何とか移す。後は、急いで周囲からありったけの木の葉を集め、火が消えないように少しずつくべていく。

 壁際の木の葉をかき集めていると、その下から小振りの木の枝がいくつも出てきた。先の細い部分を小さく折って火にくべ、その上に太い部分をおく。太い木の枝に火が付いたら、少しの間火は安定して燃えてくれる。

 ……王女救出の旅の時は、こんなこともできなかったんだっけ。

 ふとその時のことを思い出して、そんな自分が懐かしくなる。

 前の自分は今よりずっと駄目だったけれど、その代わり今の自分みたいなヘマはしなかった。成長しているんだか、後退しているんだか。そう思うと情けなくて自分が嫌になり、大きな溜息が出た。

 洞窟の周囲を照らし出した明かりを頼りに、たき火の材料を探す。でも、洞窟の外は雨で濡れていて、落ちている木の葉も木の枝も使い物にならない。

 もう、夜もだいぶ更けているんだろうか。それとも、陽が落ちたばかりなんだろうか。いつの間にか眠ってしまっていたから、時間の感覚が分からない。空を見上げてみても、雨は止んではいるけれど空は雲に覆われているのか、月も星も見えない。

 火に手をかざし、そのじんわりと温かい熱を感じながら、自分の身体がいかに冷え切っていたかということに気付く。

 とにかく、明るくなるまでは動くべきじゃない。松明を作る材料もないから、足元も見えないし、夜の山中を歩くのは危険だ。

 洞窟の中で、ありったけの木の葉と岩の隙間に入り込んでいた小枝をかき集め、それを少しずつくべながら、膝を抱えて明るくなるのを、ただひたすら待った。


 山の中を歩き回ったせいか、またいつの間にかうとうとしていたらしい。

 ガサッ

 下草が揺れる音がして、驚いて顔を上げると、白んできた闇の向こうに、何か小さな影が動いているのが見えた。

 ……あ、……あれはっ!?

 猫くらいの大きさの、鼻が尖っていてつぶらな瞳の、縞模様の動物。

 アライグマだ。……茶色い部分が黒くて、黒い部分が赤いけど、完全なアライグマだ!

 丸っころくて、鼻をフンフンいわせながらうろついているその動物は、ふと私に気付いてピクンと耳を動かした。キョトンとした表情が、何とも言えず可愛らしい。その愛らしさに和みながら身を乗り出すと。

 シャーッ!

 突然、そいつは真っ赤な目を見開き、全身の毛を逆立てて牙を剥いた。

「ひゃあっ!」

 驚いて仰け反ったら、足元の石に足を取られてよろめいてしまった。

 私が目を逸らしたその隙に、そいつは下草に飛びこんで姿を消した。

「……何、あれ」

 ひょっとして、あれが噂の魔熊だったんだろうか。

 魔族の国で遭遇した魔熊は、人の何倍もある真っ黒なヒグマみたいな奴だった。それと同じ魔熊とは思えない奴だったけど……。ま、アライグマとヒグマも、どっちもクマってついているみたいなものなのかも知れない。


 完全に夜が明けて周囲が見えるようになったので、洞窟から出て大きく伸びをする。ずっと固い岩の上で膝を抱えていたので、全身が痛い。

 何とか今日中に人がいるところまで辿り着かないと、今夜もまた山の中で一晩を明かす自信はない。

 寝不足と空腹と寒さで、体力は限界に近付いている。それでも、斜面を下っていけば必ず山から出られる。そう信じて、一晩明かした洞窟を後にして歩き出す。

 急な斜面を、生えている木を支えにして下っていく。危うく崖になっている所から落ちそうになって、木の幹に捕まってホッとしたことも何度かあった。

 すると、どこからか水が流れる音がする。その音を頼りに足を運べば、木々の間から川が流れているのが見えた。

 水は高い所から低い所へ流れる。だから、この川沿いを水の流れる方向に向かって進めば、いずれは海に辿り着く。そこまでの間には村か町があるはずだし、人に会えたら助けて貰えるはずだ。

 ホッとすると同時に、喉が渇いてきた。空腹は満たせないけれど、脱水は命にも関わる。

 川に近づくには、少し急な斜面を降りて行かなければならない。生えている木の枝を掴んで身体を支え、手を伸ばして次の木の枝を掴む。

 そうやって、ようやくたどり着いた川の縁にしゃがみ込み、澄んだ水を手にすくって飲んだ。

「……っ、はぁ……、おいしい」

 何度も何度も水を口に運び、空っぽの胃が冷たい水で満たされて顔を上げた時、何かが視界の隅を掠めた。

 ん? と振り向くと、やや離れた川沿いに、一頭の魔鹿が立っていた。水を飲みにやってきたらしく、流れの縁に立って水面に水をつけたその魔鹿は、ふと気付いたように視線をこちらに向けた。

 ……あ、気付いた。

 その後、私は何の疑いも無く、その魔鹿が脱兎のごとく逃げ去ると思い込んでいた。だって、これまで遭遇した魔鹿は例外なく、私たちの姿を見るや全力で走り去ったから。

 だから、そいつが頭の角をこちらに向け、短い脚で地面を掻いたのを見て、全身から汗が噴き出すのを感じた。

 ……な、……何でっ?

 明らかに、その魔鹿の行動は、戦闘態勢に入っていることを表している。

 腰帯に佩いてある短剣に手を伸ばしつつ思ったのは、こんな短い得物で戦って、もしあの角に触れたら大変なことになるということだった。手なんかだったらまだいい。もし顔が爛れたら? 角に突かれて怪我をして、そこから毒が身体に入ったら?

 私はオレアさんみたいに、長い腕で馬鹿でかい戦斧を振り回して魔鹿を仕留めることなんてできない。でも、自分で戦わなくちゃ、ここには代わりに戦ってくれる人なんていない。

 だから、私が取るべき道はひとつしかなかった。

 大きく息を吐いて腹を据えると、水を掬うような形に差し出した両掌に意識を集中する。その掌に感じる熱が塊になったところで、地面を蹴って突進してくる魔鹿めがけて投げつけた。

 ドウッ、と炎が魔鹿を包み込み、まるで尻尾を踏まれた犬みたいな声を上げた魔鹿は、地面に横倒しに倒れた後、もがくように起き上がってよろめきながら逃げて行った。

 ……はあぁぁ。よかったぁ。倒すことはできなかったけれど、逃げてくれて助かった。

 安堵の溜息を吐いた途端、ガクンと視界が揺れ、引きずられるように地面に尻餅をついた。

 やっぱり、魔力の少ない私には、昨日から数度目の魔法に加えて空腹と睡眠不足が重なって、この辺りが限界だったらしい。

 まあ、でも、少し休めば大丈夫。

 そう思っていた私は、やっぱり甘かった。自分の意志に反して身体は泥のように疲れ切って、立ち上がろうとする意識とは裏腹に体は地面に倒れ込んでしまう。

 ……眠い。

 さっきの魔鹿が戻ってきたらどうするんだ。いや、それよりももっと恐ろしい魔兎みたいなのがでてきたら。また雨が降ってきたら。そう思うと、こんな所で寝てはいけないと分かっているのに、目を開けていられない。

 …………アデルハイドさん。

 絶対に来ない、でも一番助けに来て欲しい人の名前を何度も呟きながら、もがくように宙に手を伸ばす。

 すると突然、その手が誰かに掴まれた。

「おい、大丈夫か?」

 低い男の声に、一瞬、意識が覚醒する。

 ……えっ?

 目を開けると、焦点が合わない視界に、黒髪の男の人が見えたような気がした。

 ああ、また夢か。それにしても、やっぱり性懲りもなくアデルハイドさんが助けに来てくれる夢を見るなんて、私も大概、諦めが悪いなぁ……。

 しみじみとそう思いながらも、夢ででも会えたことが嬉しくて仕方が無い。

「……えへっ。……アデルハイドさん。……やっぱり、助けにきてくれたんだぁ」

 会いたかった。ずっと、待っていたんだからね。

 差し出された逞しい腕に甘えるように縋りつきながら、私は甘い甘い幸せに浸っていた。

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