2.うちの執事さんは
「この国にとって必要な情報を得る為に、サステート領への視察をお許しください」
そう願い出ると、クラウディオ陛下は二つ返事で許可をくれた。
「そなたがそれほど意欲を見せるとは珍しい。良い報告を楽しみにしているぞ」
やる気を見せた私に期待してくれた陛下のお気持ちに応えるべく、次に私がすることはサステート領視察にいい顔をしないファリス様はじめ色んな人を説得することだった。
「リナ。あんな奴の挑発に乗って、サステートくんだりまで行くことはない。ダイオンに、もっと協力的な者を紹介して貰えばいい話だ」
対魔情報戦略室に戻れば、待ち構えていたファリス様に、当然のように反対された。
「でも、オレアさんの言う事も、尤もだと思うんです。やっぱり、この国の現状をこの目で確かめないと、本当に必要なものは見えてこないんじゃないでしょうか」
結構大真面目にそうファリス様を説得していると、いきなり背後から鼻で笑われた。振り向かなくても分かる。笑ったのは、同じ対魔情報戦略室のメンバーの一人、クラウスさんだ。
クラウスさんは、基本、こちらから話しかけないと何も言わない人だ。その上、例え話しかけたとしても、それは仕事に関係があるのか、そんな話をしている場合じゃない、そんなことよりあの件はどうなった、などとまともに取り合ってくれないので、私の中では大いに苦手な人になっている。
だから、鼻で笑われたことも、例え「私、何か間違っていますか?」なんて聞いても、まともな返答なんかくれないことは分かっていたから、敢えて聞こえていない振りをした。
「しかし、お前にもしものことがあったら……」
ファリス様は、困ったように眉を顰める。
魔将軍との戦いの後、似合っていると褒めたせいか、ファリス様はあれからずっと短髪のままだ。
誠実系イケメンにそんな風に心配されるなんて、それだけで幸せな気分になる。役得だなぁ、としみじみ思う。きっと、この世界に召喚されなかったら、元の世界でこんなハイレベルのイケメンさんになんか、絶対に相手にされていないから。
「ファリス様も一緒に来てくれるんだから、大丈夫ですよ。……あ、でも、もしかして無理なんですか?」
「……い、いや、無理じゃない。お前がついてきて欲しいなら」
「あー、でも、ファリス様にそんな田舎までついてきてもらうなんて心苦しいです。オレアさんが一緒に来てくれるそうですから、大丈夫で……」
「いや! 俺も行く。絶対行く。寧ろ、俺を連れていかないなら、お前をサステートへなんか行かせないからな!」
そんな遣り取りの間にも、何度かクラウスさんの呆れたようなわざとらしい溜息が聞こえてきた。
どうも、すみませんね。お仕事の邪魔をして。
ファリス様は一緒についてきてくれることが決まってからは協力的になったけれど、問題はリザヴェント様とうちの執事さんだった。
リザヴェント様は魔導室長という責任ある地位にいるので、そう簡単に城を離れる訳にはいかない。それなのに、どこで聞いたのか、私がサステート領に視察に行くと耳にしたと、対魔情報戦略室まで乗り込んできた。
「私も一緒に行く」
まるで当然と言わんばかりに言い放ったリザヴェント様は、いくらそれは無理だと言っても聞く耳を持たない。
こうなったら、こっちが何を言っても無駄だということは、これまでの経験で嫌と言うほど分かっている。なので、早々に助けを求めた。
話を聞いた宰相閣下が根気強く説得してくれたお蔭で、リザヴェント様は渋々といった様子で諦めてくれた。
その代わり、リザヴェント様が選んだ魔導師を一人、護衛として連れていくこと、という条件付きだったけれど。
そして、うちの執事さんは……。
我がサクマ家で執事をしてくれているウォルターさんは、銀縁眼鏡が良く似合うインテリ系の男前さんだ。年齢は二十四歳らしいけれど、まるで四十も過ぎた大人のような落ち着きがある。
でも、クラウディオ陛下から直々にサクマ家の管理を託されただけあって、とっても厳しい人だ。それは、お屋敷で働いている人達に対してだけじゃなく、主である私に対しても、常に『聖女』という地位に相応しい言動を求めてくる。
だから、身分に関係なく年上の人には敬語を使っていたことも、初対面でいきなり指摘され、改めるように厳しく指導された。その身分に相応しい立ち居振る舞いを身に付けないといけないからと、使用人に『お願い』ではなく『命令』することも求められた。
それは、これから貴族として生きていく私にとって必要なことだと分かってはいるけれど、お城でハンナさん達とお友達感覚で、なあなあの関係で暮らしてきた私には、気の休まらない日々の始まりだった。
最初は、至らない私のせいだと、注意される度に謝って項垂れて反省していたけれど、そのうち段々と腹が立ってきた。外では出来る限り貴族として取り繕っているんだから、家の中ぐらい気を抜かせて欲しい。侍女さん達とも、もっと楽しくやっていきたいのに。
でも、それを言わせてくれない迫力がうちの執事さんにはあって、結局彼の小言を聞きたくないが為に最近では彼を避けるようになっていた。
……こんな時、ハンナさんがいてくれたらいいのに。
うちの侍女さん達は、完全にウォルターさんの言いなりだ。ウォルターさんがこういう方針で行くと決めたら、私が嫌だと言っても聞こえない振りをする。
もしかしたら、ハンナさんは分かっていたのかも知れない。もしここにハンナさんがいたら、ウォルターさんと対立してしまっていただろう。そうなったら、私の為にもサクマ家の為にもならない。だから、ハンナさんは城に留まる道を選んだんだと。
ウォルターさんはきっと、また馬鹿な真似をしてくれた、と怒っているだろう。さすがに陛下から許可を得た視察に反対はしないだろうけれど、ご機嫌を損ねるとややこしくて嫌になる。
案の定、うちの執事さんはどこから情報を得てくるのか、私が城から屋敷に戻った時には、すでにサステート領視察の件を知っていた。
「一体、何を考えておいでです?」
銀縁眼鏡の奥に光るウォルターさんの青い目が怖い。オールバックにぴっちりと撫で付けた銀色の髪に、きっちりとやや簡素な貴族の平服を身に付けているウォルターさんは、少しの隙も無い。
仕事のできる完璧な男、というオーラを醸し出しているのに、執事という立場上、私に対しては常に丁重な態度をとる。でも、どこか慇懃無礼なんだよね。ほら、私を見下ろす目つきが、こっちを完全に馬鹿にしているし。
彼が、屋敷の内外で私がやらかす貴族らしくない行動に、頭を抱えていることも知っている。そして、そのフォローや後始末を完璧にしてくれていることも。
それには、本当に感謝しているし、頭が上がらない。でも、その度に、何時まで経っても彼の理想の主人になれない自分に嫌悪感が募る。
「王命を果たす為には、必要なことだと思ったからよ」
さすがに、ウォルターさんの目を見て言う勇気がなかったので、コートを脱がせてくれた侍女さんの方を向きながら答える。貴族の女主人らしく、精一杯ツンとすましてみせるけれど、中身は完全に追い詰められたネズミみたいに震えていた。
「左様でございましたか。ですが、そう急いでお決めにならずともよろしかったかと」
ふーん、なるほど。陛下に許可を得ないうちだったら阻止もできたのに、ってことか。ギルドから城に戻ったその足で、陛下から許可を貰ってて良かった。
「三日後には出発するから、準備をお願いね。サステート領の隣のフロワーズ領までは転移魔法で行くから、荷物はなるべく少ない方がいいみたい」
「分かりました。では早速、私もすぐに支度を整えます」
「は……?」
驚きのあまり、ついまじまじとウォルターの顔を見てしまった。
「なんで、あなたも支度をするの?」
「と、おっしゃいますと?」
「連れていかないわよ。勿論、うちからは誰も」
冗談じゃない。サステート領まで行って、貴族らしい振る舞いがどうのこうのと口煩く指導されたくはないもん。
「ですが、身の回りのことはどうされるのですか?」
「サステート領主の館から、何人か人を派遣してくれるらしいわ。それに、ファリス様も魔導師様も一人で来るのに、私がうちから執事や侍女を連れていく訳にはいかないでしょ?」
そう、私は完全にサステート領で羽を伸ばすつもりでいた。
お城での生活も結構息苦しいものがあったけれど、まだ異世界から来た平民だからと大目に見てくれていた分、楽だったと思う。
でも、『聖女』 になってからは、その地位と身分に相応しい振る舞いが必要になった。そして、何故か自宅であるお屋敷での方が、厳しい視線に晒されて息が詰まりそうになっていた。。
職場でも、クラウスさんをはじめ、「仕事もできないくせに、聖女ってだけで陛下に甘い顔されやがって」という目で見てくる人は多い。そう言う人のほとんどは、小さい頃から知識や教養を身に付け、出世競争を勝ち抜いて文官になった人達だ。だから、きっと私みたいに特別扱いされている人を見ていると腹が立つんだろう。逆の立場なら、私だって腹を立てている。
だから、少しだけ、ほんの少しだけ、現実逃避したかったのもある。
それに、サステート領で魔物の実態をこの目で見て、いい資料を纏めることができたら、ちょっとだけ私の株も上がるかも知れないし。
それはなりません! なんて猛反対されるかな、と覚悟をしていたけれど、やけにあっさりとウォルターさんは身を引いた。それはそれで、何となく気味が悪い。
それでも、私はまるで修学旅行に出かける前のように、侍女さん達に「あれも要るかな? これも要るかな?」と相談したり、新しいスケッチ用のペンをおろしたりと完全に浮かれていた。
そうそう、向こうでは動き回らなきゃいけないから、クローゼットに眠っている訓練着も持っていかなくちゃ。ウォルターさんに見つかったらまた何を言われるか分からないから、鞄の一番下にこそっと押し込んでおかなくちゃね。