1.マリカじゃないからこうなった
城を出た後のリナのお話です。
やっぱり、彼女は彼女らしい人生を歩んでいきます。作者共々、今後とも応援よろしくお願いします。
大粒の雨が苔むした石の上に弾け、垂れた木の葉を容赦なく叩く。一瞬、空気を震わせて光った雷光が、数秒遅れて雷鳴を轟かせた。
口から漏れた悲鳴は、地鳴りのような雷鳴にかき消された。湿った袖口を耳に押さえつけるようにして、恐ろしい轟音と恐怖から少しでも逃れられるようにと目を閉じる。
……何で、こんなことになっちゃったの。
涙目で呟いても、誰も応えてはくれない。そう言えばこの世界に来てからこの台詞が浮かんだのは何度目だろう。
ここは、グランライト王国の国境に程近い山の中。木々が生い茂り、人の大きさほどの石が転がり、人の気配のない山中の、自然にできたらしい洞穴の入り口。
雨に濡れない程度に入り込んだ場所で、私は膝を抱えて座り込んでいた。
『聖女』という新たに創られた地位を与えられ、城を出て暮らすようになってから半年と少し。その間も、相変わらず色々やらかしてはきたけれど、ここまで本気で危機に陥るようなことはなかった。
……本当に、どうしようもない奴だよね、私って。
でも、自己嫌悪に陥ったところで、何の解決にもならない。とにかく、無駄に動いても体力を消耗するだけだと判断し、取り敢えずここで雨が止むのを待っているところだ。
そもそも、城で魔族や魔物に関する情報を取りまとめる『対魔情報戦略室』に勤務していた私、佐久間理奈こと『聖女』リナ・サクマが、何故国境の山の中で一人雨宿りをするような事態に陥っているのかというと。
城を離れ、城下の北にある王領の屋敷に移った私は、一か月後、『対魔情報戦略室』の一員として働き始めた。
国王陛下、つまり、今から三カ月前に正式に即位されたクラウディオ陛下が、私達『対魔情報戦略室メンバー』にまず望んでいたことは、魔族や魔物の特徴・特性を解りやすく記した辞典の制作だった。
だから、私は以前アデルハイドさんと作った講義用の資料を基にイラスト入りの原案を作成し、他のメンバーにも協力して貰って一冊の本に纏めた。それが、今からふた月前のことだ。
予定では、その辞典を参考に、グランライト王国国内で魔物狩りを行う新たな戦士を育成し、国防の一翼を担わせるはずだった。
ところが、その本をギルドに持ち込んだところ、それを見た戦士から予想外の厳しい評価を食らってしまった。
「こんな魔トカゲとか魔熊なんてレベルの魔物、この国にはいねぇよ。テナリオくんだりまで行って本気で魔王から土地を奪い返そうなんて奴らだったらともかく、俺らみたいに国境の山ン中に棲みついているような小物を相手にしているような奴らにゃ、てんで役には立たねぇ代物だな」
なんて散々馬鹿にされてしまい、同行してくれていたファリス様がそれを聞いて激怒し、危うく乱闘騒ぎになるところだった。
で、勿論、そんな役にも立たないものを作った私を、陛下が評価してくれるはずもない。
「やり直しだな」
当然のように一蹴され、この国で魔物狩りをする戦士を育成するための資料を作成せよ、と新たな王命が下された。
でも、私は実際、この国で住民を悩ませている魔物がどんなものか知らない。
王女救出の旅の時も、この国で魔物に遭遇したという記憶がない。旅のメンバーが私の目に入る前に退治してくれていたのかも知れないし、それともそもそも街道沿いのような人の多い場所にはあまり出没しないのかも知れない。
だったら、この国における魔物狩りの実態を良く知る人物に教えて貰おうと、ギルド職員のダイオンさんに適任者を紹介してもらった。
そして紹介されたのが、オレアさんという人物だった。
オレアさんは、アデルハイドさんを彷彿とさせる黒髪に空色の瞳、大柄な身体をした青年戦士だ。見た目の特徴通り、彼はハイデラルシア出身の人だけど、すでにこの国の人と結婚して家庭を築いている為、テナリオへは行かないらしい。
オレアさんは、アデルハイドさんほどではないものの、腕の立つ戦士として有名な人だった。けれど、如何せん、私に協力する間は稼ぎのいい仕事を請け負う時間を奪われるので、かなり非協力的だった。
ギルドの受付前にある待合所の一角で、ファリス様に付き添われながら、この国の魔物事情について聞き取りを行い、情報を書き留めていく。
でも、体格のいい髭面のこわもてに、不機嫌そうに魔物の特徴を喋られても、こっちだって冷静にイラストなんか描ける訳がない。しかも、オレアさんの喋った特徴から想像して描いた絵を見せても、
「はぁ? 何だそれは。全っ然違う」
とあっさり一刀両断されることが続けば、こっちだって自信も喪失するし、嫌にもなってくる。
……それに引き換え、アデルハイドさんと一緒に絵を描いていた時は楽しかったな~、なんて現実逃避したりして。
予想通り、しばらくして切れたオレアさんは、いきなり立ち上がると、壁に貼りだしてある依頼票を眺め始めた。もしかして、こっちの話は終わったものと看做して、ご自分のお仕事探しに戻っちゃいました?
どうやら、ついに彼を完全に怒らせてしまったみたいだ、と溜息を吐きながら、さっきから苛々しているファリス様が爆発しませんように、と心の中で祈っていると。
依頼票の一枚を、壁からビッと破り取って、オレアさんはそれをこっちに差し出してきた。
「一度、現状がどんなもんか、その目で見たほうが早いんじゃねぇか?」
依頼票の縁取りが青いのは、それがこのギルドで一番易しいランクの依頼だということを表していることぐらい、ダイオンさんから聞いて知っていた。
促されるように目の前に突きつけられた依頼票を手に取り、書かれている内容を読み上げる。
「村近辺の畑を荒らす魔鹿の駆除依頼。最低駆除頭数は五頭。成功報酬は五頭で金貨一枚。それ以上は一頭につき銀貨二枚。依頼場所は……サステート領トレウ村」
「サステートだと?」
それまで腕組みをしたまま、むっつりと黙り込んでいたファリス様が不穏な声を上げる。
その声に反応して、受付前のホールでたむろしていた戦士たちが、一斉にこっちを振り返る。
私達の前に立ちはだかるように立つオレアさんの背後から、五人近い戦士がこっちを睨みつける様は、かなり怖い。まるで全員を敵に回しているみたいだ。
「リナ。サステートは国境に近い田舎だ。お前がわざわざ出かけて行くようなところじゃない」
うん。そのくらいは、私もこの国の地理を勉強して知っている。でも、だからといって、「じゃあ、魔物の写真か動画撮ってきて」なんていう訳にはいかない。この世界でそんなことができるのなら、絵を描くのが仕事な私も要らない訳で。
でもなぁ。実際に見に行くって言っても、ファリス様はああ言ってるし、うちの執事さんが何と言って怒るか分からないし、陛下が許可を出してくれるか分からないし、あの人は、この人は……、なんて考えていると、持っていた依頼書を手からスッと引き抜かれた。
視線を上げると、私から依頼書を取り上げたオレアさんが鼻で笑った。
「現状を知ろうとも思わない奴が、戦士育成だとよ。笑わせるぜ」
まるで、頭を殴られたような衝撃を受けた。
目の前で、いきなり立ち上がったファリス様が、「無礼な!」などと叫びながらオレアさんの胸元を掴んで睨みつけ、それに応じて戦士達が身構え、一触即発の事態になっていることなんて、私の視界には入っていても、意識はさきほどのオレアさんの言葉に囚われていた。
そうだよ。この国の為に働くには、まずこの国の現状を知らないと。
私がこの数か月取り組んで完成させた最初の本は、アデルハイドさんの知識を纏めたものだった。それも、魔王軍との戦いを想定し、魔王軍を構成する強い魔物ばかりを取り上げたものだ。
でも、この国で求められているのは、さっきの依頼書にあったように、住民の生活を脅かす害獣のような魔物の駆除だ。実際に被害に遭っている地域に行って、実際にこの目で魔物を見て、実際に魔物を狩ったことのある人に話を聞かないと、本当にこの国にとって必要な知識は得られない。
よし、決めた! ここは一つ、この国における魔物狩りの現状とやらを、この目でしっかり確かめてやろうじゃないのっ!
……なんて、柄にもなく張り切った結果、山の中で迷子だなんて、本当に私らしいというか、私ぐらいだよね、こんなおバカな事態に陥る人なんて。
雨音は激しさを増し、地面に転がる石と石の間を流れる雨水は、透明色から茶色く濁ったものに変わってきた。日が傾いているのか、それとも雨雲が厚くなっていたのか、周囲はかなり薄暗くなっている。
雨に濡れた服のせいか、身体が冷えてきた。腹の虫が盛大に鳴き声を上げ、つられて私も泣きたくなってくる。
……助けて。誰か、助けに来てよぅ。
そう祈るような気持ちで助けを求める。その時、最初に脳裏に浮かんだのは、やっぱりアデルハイドさんの優しい笑顔だった。