7.騎士ファリス
今回は騎士ファリス視点でのお話です。
王女救出のメンバーに選ばれる騎士は、若手で最も実力のある者だ。
そう聞かされていたから、そのメンバーに選ばれた時は正直誇らしさも感じたが、それよりも当然だという思いが強かった。
小さな頃から同年代の子たちの中でも平均以上に何でもできたし、ほんの少し努力すればトップの成績を修めることができた。見た目もよかったから、愛嬌を振りまかなくても好意を抱かれたし、そういった人脈をうまく利用すれば事前に敵を排除することもできた。
ちょっと微笑めば、大概の女は落ちる。未亡人や遊び好きな令嬢から王宮の侍女まで、浮名を流す相手には事欠かなかった。次男という貴族の子弟でも気楽な立場にいたから、自分でも随分と派手にやらかしていたと思う。
だから、この王女救出作戦の核となるという、異世界から召喚された少女が初めてだった。俺をここまで振り回し、戸惑わせ、苛々させたのは。
女性とは思えない短い髪。何の特徴もない薄い顔立ちは、聞いた年齢よりもずっと幼く見える。正直、彼女が侍女だったら、きっと俺の目に留まることすらない。そんな印象の薄い子だった。
正直、女として意識することは全くなかった。大抵、男を惹きつける女性というのは、女性として輝こうと努力をしている。彼女からは、そんな努力の痕跡は何一つ感じられなかった。
リナと旅のメンバーとの顔合わせの際、同じく旅のメンバーに選ばれた神官エドワルドが、浮かない顔で魔導師リザヴェントを見つめていたのに気付いて声を掛けた。
「どうした?」
「……いえ。別に」
そう言う割には、拳をぎゅっと握りしめているところを見ると、何でもない訳ではないらしい。だが、幼馴染の俺にも、エドワルドがその理由を語ることはなかった。
召喚から驚くほどの短期間で、我々は城を発った。
そして、それから数日後。初めて野宿をすることになったその夜、問題が発覚した。
「何? 火が点けられない?」
火打石を持ったまま、いつまでも動こうとしないリナに気付いた戦士アデルハイトが驚愕の声を上げた。
「……すみません」
しょげるリナは表情も雰囲気も暗い。こっちまで気落ちするくらい暗い。腹が減っているので、余計に苛々する。
今まで朝と夜の食事は宿の近くにある食堂で済ませ、昼は携帯食で簡単に済ませていたから気付かなかった。彼女が、こんなことさえできないということに。
じゃあ、とナイフを渡して芋の皮を剥けと言えば、ピーラーでしか剥いたことがないと言う。何だ? ピーラーって。それでも無理矢理やらせてみれば、案の定手を切って芋が血塗れになった。
俺は騎士団で野営の経験があるし、アデルハイトも傭兵として各地を渡り歩いているから料理の経験はある。正直、俺達二人がやってしまえば手っ取り早いし、ストレスを感じることもない。だが、だからと言ってリナに何もさせなければ、いつまで経っても彼女は何もできないままだ。もしこの先、俺やアデルハイトに何かあった場合、生き残るためにも彼女には旅を続ける知識と実力を身に付けさせておかなければならない。
まるで騎士団で不器用な騎士見習いを教育しているようだった。一度教えてもなかなか覚えられなくて同じ間違いを繰り返すリナに苛々して、怒鳴りつけて手を挙げかけたこともある。それでも、あかぎれで痛々しい状態の手で真剣に鍋を掻き回しているリナの横顔を見ていると、何故か胸の奥がじんと熱くなって、殺伐とした気持ちが幾分落ち着いたものだった。
リナを死なせない為にも、彼女に自分の身を守れるだけの力を身に付けさせなければ。
誰からという訳でもなくそういう意見がまとまり、各々が得意分野を担当して彼女を鍛えることになった。俺は剣術と馬術を受け持った。彼女はこれまで誰かの馬に相乗りしていたが、いつ何時、自分で馬を駆って逃げなければならない事態が発生するとも限らない。
旅の途中、時間の許す限り俺たちは彼女を鍛え続けた。幾ら戦闘に参加しないとはいえ、日中馬に揺られ、野宿する時には料理の支度から片づけまで行い、その上我が国の精鋭揃いに代わる代わる教育を受けるのだ。その厳しさにいつ音を上げるだろうと思ったが、泣くことはあっても、彼女がそれを拒否することはなかった。自分でも、死なない為には必要なことだと理解していたのだろう。
それより、もう少し身形に気を使えよ、と言いたかった。髪は水浴びをしてそのままほったらかしだから、バリバリに乾燥して痛んで赤茶け、あらゆる方向に跳ねまくっている。日焼けした肌は赤くなっているし、ヨレヨレの同じ型の服を洗っては交互に着続けている。そんな余裕がないことは分かっていたものの、俺達男性陣のほうがよっぽど身形に気を付けているのには、呆れを通り越して可笑しいくらいだった。
魔族の国へ入ると、リナを庇い切れないこともあり、彼女も魔物と戦うことが増えていった。怪我をすることもあったが、俺たちの方が酷い怪我を負っているのを見て、こちらに神官の治癒術を優先させ、痛みに堪えて震えている姿が小動物みたいで憐れだった。
そしてようやく王女を救出したというのに、リザヴェントが魔力を消耗し過ぎて移動魔法が使えないという失態をやらかした。やつは、魔力が回復するまで戦闘に加わるなと何度言っても、王女やリナが魔物に襲われそうになると魔法を使ってしまう。お蔭で数日間、ほとんど眠ることもできず、地獄のような日々を過ごす羽目となった。
そしてようやく城に帰還した俺は、最後の戦闘で負った傷から入った毒が元で高熱を発し、二週間ほど生死を彷徨うことになってしまった。折角喜びに沸いている城内の雰囲気に水を差したくはなくて、倒れてからすぐに実家の伯爵家に戻った俺は、自分の病状を伏せてもらっていた。
半月ほどでようやく熱が下がり、更に一週間ほど療養してから騎士団に復帰した。その時、リナの姿が見えないなとは思ったが、きっと貴族待遇で城内に部屋を与えられ、王族方と交流して過ごしているのだろう、と思っていた。
数日後、深刻な表情をしたリザヴェントに、リナがどこにいるか知っているかと問われるまでは。
恨まれていても仕方がない、と思っていた。
あれほど厳しい旅を強いておきながら、用済みだからと平民扱いで城から田舎へ移すなんて、厳格な身分制度に染まり切った首脳陣の考えそうなことだ。
けれど、その首脳陣に逆らえる力を持っていない己の非力さに、逆らおうとして初めて気付いた。これまで人生楽勝だなんて高を括っていたが、結局は長いものに巻かれていただけなのだと思い知らされる。
なのに、久しぶりに姿を見せたリナは、俺のことなど歯牙にもかけていませんよ、と言わんばかりに飄々とした顔をしていた。それが何だか腹立たしくて、思わず旅をしていた時のような厳しいことを言ってしまう。
リナは田舎でもそれなりに鍛錬を積んでいたようで、腕の筋肉は衰えていなかった。偶然だったが、身体のほうも順調に発育しているようだということが分かって何よりだった。旅の間、ついうっかり川で水浴びをしているリナの姿を見てしまったことがあるが、まるで子供のような体つきだったので少し心配していたのだ。
騎士団を視察に来たトライネル様がこちらに話しかけてきたのは驚いた。数年間辺境伯として国境の守りに就き、その功が認められて先月着任されたばかりの新任将軍だ。体つきは俺よりやや小柄ながら、恐ろしく強くて頭も切れ、部下の信頼も厚いというまさに将軍たるにふさわしい人物。もし、彼が辺境伯ではなく騎士団に所属していたら、間違いなく彼が王女救出メンバーに選ばれていただろうと専らの噂だった御方だ。
すると、俺の声につられるように将軍の方を振り返ったリナの顔に、これまで見たこともない表情が現れた。
ぼうっとして頬は赤く色づき、目はキラキラと輝いてまるで花が咲いたようだった。体の前で握り合わせた手をモジモジさせながら、恥じらうように将軍を見つめている。
……こいつ、この俺様の目の前で、他の男に惚れやがった!
色男として名高い俺のプライドが、大きく傷ついた瞬間だった。
別に、リナに手を出そうなんて気はなかったし、これからもそうするつもりもない。しかし、何故だか腹の虫が治まらない。何なんだ、このやりきれない感情は。
そのムシャクシャした感情のままリナに稽古をつけた結果、心ならずも手加減なしに打ちのめしてしまったことを、ふと我に返って激しく後悔したのは言うまでもない。