69.これが私だから
例えば、これが小説の主人公なら、全てを今ここで投げ捨てて、アデルハイドさんを追いかけて行くんだろうか。
……もし、私がマリカだったら。
馬車に揺られながら、流れていく景色を眺める。空を見れば、いつも私を見守ってくれていた大切な人の眼差しを思い出して、ただ泣きたくなった。
魔将軍というカリスマ的な存在を失って混乱しているといっても、魔族は人間とは比較にならない圧倒的な力を持っている。だから、魔族に奪われた土地を奪還するのは、極めて難しい。ましてや、その土地から魔物を排除し、人間が安心して暮らせる国にするなど、途方もない時間と労力が必要だ。
……だから、アデルハイドさんが目的を果たして戻ってくるのは、いつになるか分からない。
ううん、この国に戻って来るという保証なんてどこにもない。もし、ハイデラルシア王国が再興されたら、アデルハイドさんは軍部でも重要な地位に就くだろう。そして、その地位と身分に相応しい女性と、結婚することになるんだと思う。
遠く離れたこの国に、わざわざ戻って来る理由もない。この国に残していったハイデラルシアの民を呼び寄せるには、代わりに部下を派遣すれば済むんだから。
冷静に考えれば考えるほど、胸が押しつぶされそうになる。
ねえ、アデルハイドさん。あなたが私にしてくれた事を考えれば、少しは私を特別扱いしてくれていたって、己惚れていいですか?
あなたが私にしてくれたことは、旅の仲間だったから、というには余りに多いですよね。だから、つい勘違いしそうになってしまうけれど、いいですか?
もし、ダイオンさんが言ったことが本当なら。傍にいて、私を守りたいと思ってくれていたのなら。私の為を思って、黙って行ってしまったのなら。 宰相閣下の言う通り、私を魔族との戦いに巻き込まない為に、ハイデラルシアを復興させようとしているのなら。
あなたにとって、私は特別な存在なんだって思ってもいいですか?
……それとも、やっぱり、私は亡くなったという妹さんの代わりでしかなくて、あなたが庇護し続けていたハイデラルシアの民と同じように、ただ守ってあげるべき弱い立場の人間だったんでしょうか。
多分、そっちの方が正解ですよね。だって、あなたが私を特別だと思ってくれる、その理由が分からないから。
あなたへのこの気持ちに、いなくなってしまう、と知って初めて気付いた鈍感な私も悪いんです。もっと、早く気付いていれば、あなたの本当の気持ちを確かめることもできたのに。そうしていれば、今とは違う結末になっていたかも知れませんね。
主人公マリカなら、御者に命じて城下町へ馬車を走らせて、停めた馬車から飛び降り、ギルドへ駈け込むんでしょうね。あなたがすでにこの国を発ってしまっていたとしても、きっと諦めずにどこまでも追っていくんだと思います。
でも、私にはそんなことできません。だって、今、私が手にしている地位も職務も、あなたが与えてくれたといってもいいものだから。だから、そんな大切なものを投げ出して、あなたを追いかけていくなんて、そんなことしてはいけないですよね。
…………嘘です。ただ、そんな勇気がないだけなんです。
追いかけていって、あなたに拒否されるのが怖い。地位と共に与えられた責任を放棄して、私に期待してくれている人の怒りを買い、信頼を失うのが怖い。ただの己惚れで突っ走って、私の為に泥をかぶってくれた人達の思いを無駄にして、全てを失った後、路頭に迷うのが怖い。
物語なら、主人公の都合のいい場面でお話は終わるけれど、私はこの先もずっと、この世界で生き続けなければならないから。
私は臆病で、己の身が可愛い、本当に情けない人間なんです。こんなにあなたのことが好きなのに、その為に全てを捨てる勇気がないんです。
そんな私にできることは、あなたがいつか戻ってきてくれると信じて、待ち続けることぐらい。
……ああ、なんだかなぁ。結局、私って同じ事を繰り返してる。
好きになって、でも、気持ちを伝えられずにいて。また、マリカに持っていかれたなるみ君の時みたいに、いつか風の噂に、あなたが結婚したって話を聞くんでしょうか。
そうなっても、仕方ないですよね……。
でも、その時がくるまで、待っていてもいいですよね? アデルハイドさん。
馬車の中にただ一人なことをいいことに、気が済むまで泣き続けた。
化粧が崩れないようにとハンカチで目頭を押えていたけれど、結局は無駄な努力だった。涙と鼻水でハンカチはすぐにビショビショになってしまって、鏡が無いから分からないけれど、顔もえらいことになってしまっていると思う。
今、私がいるこの世界は、どこからどこまでが『最強少女マリカ』の世界と同じで、どこからが違うのか、もう分からない。
もしかしたら、私が召喚されたことで、全てが変わってしまったのかも知れない。それとも、同じハプニングと同じ人物が存在していただけで、元々小説の世界とは別の世界だったのかも知れない。
言えることは、もう、主人公マリカと自分を比較して悲観することもなければ、もしマリカだったらと思い悩むこともないってことだ。
いつか、エドワルド様が言ってくれたように、もし、仮に召喚されたのが私じゃなかったら、今とは随分とかけ離れた現在があった。でも、それは、もう現実になることのない現在だ。今、神託の少女としてこの世界にいるのは、私。それを否定することなんてできないし、すること自体が無駄なことなんだ。
私は、私の意志に従って、私ができる限りのことをして生きていく。
アデルハイドさんへの思いを抑え込んで、この国に留まると決めたのも、私。
この国で、自分にできることをして生きていくと決めたのも、私。
そして、いつかアデルハイドさんが他の女性と結ばれたという話を聞くまで、待つと決めたのも、私。
私の事だから、自分が決めたことだからと言っても、やっぱり後悔はするんだろうな。
後から、やっぱりああしておけばよかった、こうしていればよかった、だなんて、未練がましく愚痴を零したりもするんだろう。
でも、これが私だから。これからも、こんな情けなくてややこしい自分と折り合いをつけながら生きていくしかない。
窓の外に見える景色は、いつの間にか遠くに見えていた城下の町並みが消え、なだらかな坂の向こうに、緑の木々に囲まれた大きな建物が見えた。
もうすぐお屋敷に着くのかも知れない。慌てて手で涙を拭い、ハンカチの乾いている箇所を探して鼻の下を拭う。
アデルハイドさんを思って泣いている暇はない。これから、新しい生活が始まるんだから。
これからもきっと、これまでより大変なことがたくさんあるんだろう。それを一つ一つ乗り越えて、もし、いつかアデルハイドさんが戻ってきてくれた時、堂々と隣に立てるような、立派な大人になっていたい。
……さあ。まずは、新しいお屋敷で待っている人達との、人間関係を築くところから始めないと。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。