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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
66/135

66.というわけで

 ダイオンさんに案内されて、私とファリス様は二階にある応接室に通された。

「本当に、申し訳ありません」

 自分のしたことに対してなのか、それともアデルハイドさんのしたことに対してなのかよく分からないけれど、ダイオンさんは何度も私に頭を下げた。

 謝られると、返って感情が昂ぶってきて、また涙が出てきそうになってしまう。

「……もう、いいんです」

 そう答える声も、自分でも嫌になるくらいふてくされていて、顔を上げたダイオンさんが傷付いたような表情をしているのに気付いて胸が痛む。でも、ダイオンさんのことを気遣えるほど、今の私には気持ちに余裕がなかった。

 素直に引き下がろうと決めたのに、今になって沸々と怒りにも似た感情が込み上げてくる。

 どんな理由があったとしても、アデルハイドさんが最後の最後まで私に会うことを拒否した、という事実が、胸に深く突き刺さって痛みを発し続けていた。こっちが好意を抱いている分、その悲しみは大きい。この痛みから逃れる為には、いっそアデルハイドさんを恨んだほうがいいのではと思えるくらいに。

「これは、私の勝手な想像でしかないのですが」

 ダイオンさんは、躊躇うように言葉を詰まらせながら、やがて決心したように口を開いた。

「アデルハイド様は、リナ様を守る為に、ご自身は身を引くご決心をなされたのだと思います」

 ……何? それ。ダイオンさんにそんな推測で慰められたって、全く救われないんですけど。

「本当は、アデルハイド様はリナ様のお傍を離れたくはないのですよ。ずっと傍にいて、危険な目に遭わないように守ってあげたいと思っているはずです」

「では、何故この国に残る道を選ばなかった? 例え、ノヴェスト伯爵家の養子にならずとも、あの男なら戦士として、この国で家庭を築き家族を養うだけの力は十分にあるはずだ」

 不満げに表情を歪めるファリス様に、ダイオンさんはゆっくりと首を横に振る。

「あの御方は、何があろうとハイデラルシアの王族なのです。ですから、主筋である王子が国を復興させようとしているのを知りながら、それを無視してご自分の幸せを追求することなどできないのです」

 ダイオンさんは困ったように苦笑いを浮かべた。

「……じゃあ、一緒に連れて行ってくれればいいのに」

 もしダイオンさんの言う通りなら、「俺がリナを守る」って、どこへでも連れて行ってくれればいいんだ。

 思わず呟いた私の声を聞いたダイオンさんは、急に厳しい表情になった。

「テナリオは、リナ様が想像なさるよりずっと危険地帯なのです」

「分かっています。魔族の国に近いから強い魔物も出るし、治安も悪いって」

 ファリス様にもそう言って怒られたから、今はちゃんとその危険を認識している。けれど、ダイオンさんはそう答えた私に表情を緩めることはなかった。

「それだけではありません。テナリオは、今はハイデラルシアの王子を支援してくれています。ですが、状況が変わればテナリオ側からいつ手を切られるとも限らないのです」

「そうなんですか……?」

 思わぬ情報に驚いて声が掠れる。テナリオって、ハイデラルシアの味方じゃなかったの?

 戸惑っている私を見て、ファリス様が苦笑する。

「戦闘能力の高いハイデラルシアの民が国を復興させれば、国境を接することになるテナリオにとって脅威にもなるからな。魔族とだけ戦ってくれている間はいい。だが、ハイデラルシアが国力増強の為に、テナリオの財に手を伸ばし始めたら……? そういう不信感が生じれば、何がどう転ぶか分からん」

「ファリス様のおっしゃる通りです。現在、ハイデラルシアは、だた魔族に対抗する為の駒でしかない。つまり、テナリオでのハイデラルシア民の立場はまだ弱いのです。そんな国に、誰も頼る者のいないリナ様を一人残して、アデルハイド様が戦いに赴けると思いますか?」

「それは……」

「それに、もしその戦いの最中に、アデルハイド様の身に何かあればどうするのですか」

 考えたくもないことだけれど、そんな最悪の事態だって有りうるんだ。だって、どれだけアデルハイドさんが強いと言ったって、戦う相手は魔族なんだから。

「テナリオの東部には、魔族との戦いの拠点となる砦が築かれつつあります。ハイデラルシアの民に加えて、各地から命知らずの荒くれ者が集結し、それと共に婦女子が危険に晒される事件が増加しているとか。ですから、そんなところへ、リナ様を連れていける訳がありません」

 もし、そんな場所に一人残されてアデルハイドさんが戦いに出てしまったら、と思うと、思わず身震いしてしまう。城内でさえ嫌な目に遭ったり、迷って高いところから落ちたりするのに、そんなサバイバルなところで生きていける自信が無い。

「だが、それとリナに会おうとしないことと、どう関係があるというのだ。あのようにリナの気持ちを踏みにじっておいて、リナを守る為に、だと?」

 膝の上に置かれたファリス様の拳が、細かく震えている。

「あの御方は、一度決めたらなかなかご自分の意志を曲げることはありません。きっと、会わないことが、リナ様の為になると決断されたのでしょう」

 大きく溜息を吐くと、ダイオンさんは私に向き直った。

「リナ様。せっかくここまで来ていただいたのに、申し訳ございませんでした。心からお詫び申し上げます」

「そんな。ダイオンさんに謝って貰う事じゃありませんから」

 慌てて首を横に振ると、ダイオンさんはそっと目を伏せた。

「いえ。正直に申し上げれば、私もハイデラルシアの民の一人として、アデルハイド様の御心が乱されることを懸念しておりました。ですから、本当はリナ様をアデルハイド様に会わせたくないと思っておりました」

「えっ……?」

 ああ、でもそうなんだ。だからダイオンさんは、アデルハイドさんがここにはもういない、と匂わせるようなことを言ったり、ドアの前で泣いている私に諦めるよう声を掛けたりしたんだ。

「きっと、リナ様の顔を見てしまったら、決心が揺れ、テナリオへ連れて行くことになってしまうかも知れない。それを、アデルハイド様は恐れているのだと思います。けれど、もしそうなったら、アデルハイド様は、ご自分の使命に加えて更に重い荷を背負ってしまうことになってしまいます」

 ただでさえ、魔族と戦って祖国を取り戻し復興させるという、重過ぎる使命を背負っているのに、そこに私までお荷物として乗っかってしまったら。

 何でも一人で背負ってしまう、優しくて責任感が強くて、我慢強いアデルハイドさん。でも、いつか背負い過ぎた荷物の重みで、自分の命を押しつぶしてしまうかも知れない。

 そう思うとゾッとした。

「どうか、このまま見送って差し上げてください」

 ダイオンさんの顔は、城下町のギルド職員ではなく、ハイデラルシア王家に仕える騎士のものだった。そこには、私に対する同情は欠片も見当たらない。ただ、ひたすらに仕える主を案じる部下がそこにいた。

 ……もし、マリカだったら、アデルハイドさんと一緒にテナリオへ行くことができただろうか。自分の身は自分で守れるだけの力はある。多少の困難も自分で打開できる。だから、例え置いていかれても、追いかけて行きますって。

 でも、この胸の中でいつの間にか大きく育っていたアデルハイドさんへの気持ちは、マリカのものじゃなくて、私のものだ。だから、要は私がどうするのかという問題で、マリカは関係ない。

 私が、私の意志で決めることだ。


「……あれで、本当に良かったのか?」

 城の正門が目視できるほどに迫った時、ギルドを出てから今までほとんど黙ったままだったファリス様が、背後からそう声を掛けてきた。

 首を捻ってファリス様の方を見上げると、何とも複雑そうな表情のファリス様と目が合った。

「直接会って別れが言いたい、と言ってはいたが、本心は違うと思っていた。なのに、リナはアデルハイドに対して一度も、連れて行ってくれとは言わなかったな。本当に、それで良かったのか?」

「例え、そうお願いしていたとしても、きっと連れて行っては貰えませんでしたよ」

 だって、お別れを言うだけだって何度言っても、結局ドアを開けて貰えなかったどころか、声さえ聞かせてくれなかったのに。

 それだけ、アデルハイドさんの決心が固かったってことなんだろう。ドア越しに声ぐらい聞かせてくれても良かったのに、とも思う。でも、例え声だけでもアデルハイドさんの反応があれば、あのまま引き下がることができていたかどうか自信が無い。きっと、出てきてくれるまでここから動かない、なんて言ってアデルハイドさんを困らせていたんじゃないかと思う。

「腹は立つが、本当に徹底した男だな」

 ファリス様の声は少し怒っているようだったけれど、どこか賞賛しているような響きでもあった。

「リナを守る、か。ふふん、なるほど。それであの時も……」

「え?」

 不意に喉を鳴らして笑いだしたファリス様を、何事かと見上げる。

「三日前、リナと城内でばったり会っただろう? その時、リナの向こうにいるアデルハイドを見かけた。すぐに姿を消したから、てっきり偶然通りかかったのかとその時は思ったのだが。そうか、リナのことが心配で、ずっと後ろをついてきていたんだな。堂々と部屋まで送れなかったのは、テナリオへ連れていくのを拒否してリナを泣かせたからだったんだな」

 あの時、ファリス様が私の背後を気にするような視線を送っていたのは、アデルハイドさんがいたからだったんだ。

 泣いて厨房裏のドアから飛び出した私を、アデルハイドさんは気付かれないようにずっと追いかけてきてくれていたんだ。ダイオンさんとの話があるって言っていたのに、部屋まで送るから待てっていう言葉を無視して出て行った私を、アデルハイドさんは……。

 胸が張り裂けそうになって、滲んできた涙をそっと手の甲で拭った時だった。

「……さて、と。早速お出迎えか」

 ファリス様の自嘲気味な声に我に返ると、正門の前に数人の騎士が待っているのが見えた。そのうちの一人、あれは騎士団長じゃないのかな?

 それに気付いた瞬間、全身から汗が噴き出した。……やっぱり、やっぱりファリス様、これってヤバい事だったんじゃないですか?

「リナ」

 耳元で名前を囁かれて、思わず肩を震わせる。長い腕が伸びてきて、大きくてしなやかなファリス様の手が、鞍を掴んでいる私の手を上から包み込んだ。

「お前は、何も悪くない。俺が勝手に、お前を城下へ連れ出したんだ」

「……え?」

「いいな?」

 え、いや、それは良くないですよ。だって……。

 反論する間もなく、ファリス様がいきなり馬を駆る速度を上げた為、喋ると舌を噛みそうになって何も言うことができない。

 正門の前まできて勢いよく馬を止めたファリス様は、自分だけさっさと馬から降りると、待っていた騎士さんの一人に手綱を渡して騎士団長の前に立った。

「ファリス。貴様、自分が何をしたのか分かっているのか?」

「勿論です」

「ならばいい。中でじっくりと話を聞こうではないか」

 ファリス様の両脇を、別の騎士さん達が挟むようにして正門を潜っていく。まるで、罪人が連行されていくみたいだ。

 待ってください! と追いかけたいのに、未だ馬上にいる私にはそれもできない。痛い目に遭うのを覚悟で飛び降りようと身を乗り出した時、騎士団長がこちらを振り返った。

「馬から下ろしてやれ。王子殿下がお待ちだ」

 ……えっ、うぇええっ!? 王子殿下からの呼び出し?

 馬から降りたくないと、思わず鞍を思いっ切り握り締めた。

 何だか、大事になっちゃったんだけど。一体、これからどうなるんだろう……。


 騎士さん達に案内されて連れて来られたのは、より城の中枢に近い第一会議室だった。内装も豪奢で、天井にはこの国の創世記らしい天井画が描かれている。上座には、明らかに国王の指定席という感じの特別な椅子が一段高いところに置かれていて、そこには今、王子殿下が座っていた。

 私が来るのを待ちかねていたという様子ではなく、皆さん話し合いの真っ最中だったらしい。宰相閣下やトライネル様といった要人の方々と話し込んでいた王子殿下は、私の到着を告げる侍従さんの声にチラリと視線を向けてきたものの、また手元の資料に目を落としてしまった。

 あ、無視された。別に、このままずっと放っておかれてもいいんですけど。

 そう思っていると、いきなり声を掛けられた。

「帰ってきたか。思ったより早かったな。さては、振られたか」

 …………は?

 恐縮して畏まった姿勢のまま、耳を疑った。今、何ておっしゃいましたか?

 まるで王子らしくない王子殿下の言葉に呆然として、どんな反応を示していいか分からず固まってしまった。けれど、王子殿下は私の答えなど必要ではなかったらしい。

「ラウラス。この者は確か、そなたの養子むすこの婚約者と聞いていたが」

 王子殿下の視線を受け止めた宰相閣下は、冷めた表情で私を見据えた。

「はっ。しかし、どのような理由があるにせよ、他の男を追って城を無断で出るような真似をされたからには、この者をハイランディア侯爵家に迎え入れることはできません」

 ああ、そうか。私はまだ、リザヴェント様の婚約者だったんだよね。それなのに、自分の気持ちのままに突っ走って、お詫びしても許されないぐらい失礼なことをしてしまった。

「……あの、申し訳ございませんでした」

「謝らなくても結構。その代わり、婚約は解消する。二度とあの子の前に姿を見せないで欲しい」

 宰相閣下の声は静かだけれど、それだけに怒りの大きさが窺えた。

 ただでさえ、私のことを侯爵家の妻に相応しくないと思っていた宰相閣下。身分の壁を越えて救いの手を差し伸べたのに、こんな形で裏切られて、内心どれだけ怒り狂っていることだろう。申し訳無さ過ぎて、いっそこのまま消えてしまいたい。

「だそうだ」

 それなのに、全く空気を読まないあっけらかんとした様子でこちらに向き直った王子殿下は、不意にニッと口角を吊り上げた。

「というわけで、私の側室になれ」

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