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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
65/135

65.どうか、神様

 まさか、こんな形で城の外に出ることになるなんて、夢にも思わなかった。

 ドレスを着ている為、ファリス様が騎乗している鞍の前に横抱きにされた状態で、私は正門を潜って城を出たのだった。

 ファリス様に付き従う騎士さん達の顔には戸惑いと不安が入り混じっていて、総じて皆さん表情が暗い。それを見て、私を騎士団の公務に同行させるのは拙いんじゃないかと急に不安になってきた。

「あの、ファリス様?」

「何だ」

 見上げると、ファリス様はそれまでの緊張感のある引き締まった表情から一転、フワリと微笑んだ。

「その。……大丈夫なんですか?」

「リナが心配することは何もない」

 本当かなぁ。だって皆さん、心配そうな顔してるし。

 でも、心配することは無いと断言されてしまったからには、もうこれ以上重ねて同じ質問はできないし。

 馬に揺られながら、緩やかな坂の下に広がる街を見下ろす。いつか、城の塔の上から見下ろしたその街並みが、だんだんと大きく目前に迫ってくる。

 ダイオンさんと初めて出会った日、西門から城下町を眺めながら、荷車にでも忍び込んであそこへ逃げ込んだらどうなるだろう、と考えたこともあったっけ。あの時は、周りに迷惑を掛けることも自分の信用が失われるのも嫌だったし、それに一人で生きていく自信もなくて、とても一歩を踏み出せなかった。

 それが今、私が城から脱走しないように警戒していたファリス様に連れられて城下町に向かっているなんて、何だか不思議な気持ちだ。

 あそこに、アデルハイドさんがいる……。

 そう思うと、それまでの不安もどこかに消えてしまい、次第に胸が高鳴ってくる。

 もうすぐだ。もうすぐ、アデルハイドさんに会えるんだ。


 でも、アデルハイドさんは一体どこにいるんだろう。

 大通りを進む馬上で、人々の好奇の視線に晒されながら、私はまた不安になってきた。

 まさか、宿屋を一軒一軒しらみつぶしに当たるのだろうか。それとも、部下の騎士さんを総動員して聞き込みをして回るんだろうか。だとしたら、ファリス様や騎士さん達に大変な手間をかけさせてしまうことになる。

 けれど、そんな心配はいらなかった。大通りに面したとある煉瓦造りの建物の前で馬を止めると、ファリス様は馬からひらりと飛び降り、まるで子供を抱き上げるように軽々と私を馬から抱え下ろした。

「お前たちはここで待て」

 近くにいた騎士さんに自分の馬の手綱を放り投げてそう指示を出すと、ファリス様は私の背に手を添えながら、その建物を指さした。

「ここだ」

「……え?」

「あいつは大概、ここにいる」

 ファリス様の声に促されるように見上げると、入り口にギルドの看板が掲げられていた。

「この建物の三階には、ギルドでも屈指の実力を持つ登録者が利用できる部屋があるのさ」

 そう言いながら、ファリス様はギルドの入り口のドアを開いた。


 ギルドの中は喧しいほど賑やかだったのに、大声で喋りながらこちらを振り向いた戦士が口を閉ざすと、それが伝染するように広がり、ものの三十秒ほどで室内が静まり返ってしまった。

「……あれ、城の騎士だろう? こんなところに一体何の用だ」

「それより、あの後ろのは一体何だ。場違いもいいところだぞ」

 周囲が静かになってしまった為、ひそひそ話がこっちにまで聞こえてくる。

「まさか、城から駆け落ちしてきたとか」

「何? それでギルドで稼いで暮らしをたてようって算段か?」

 聞き捨てならない会話まで聞こえてきたので、慌てて否定しようとした時だった。

「まさか、リナ様?」

 ギルドの受付カウンターの職員通路から飛び出してきて、ガタイのいいお兄さん達の間をすり抜けながら近づいてきたのは、ダイオンさんだった。そう言えば、ダイオンさんはギルドの職員さんだったっけ。

「どうしたんですか。こんな所においでになるなんて」

 若干焦った表情を浮かべながら、ダイオンさんは私とファリス様を何度も交互に見つめた。よほど驚いたのか、いつもにこやかに落ち着いているダイオンさんが、かなり挙動不審に見える。

「アデルハイドさんに会いたくて、ここに連れて来てもらいました」

 そう答えると、ダイオンさんは驚いたように目を丸くして息を飲むと、目を伏せながら首を横に振った。

「それは、……残念ながら」

「えっ……」

「アデルハイド様は、もう……」

 ここにはいないの? まさか、もう城下町を出てテナリオに向かってしまったの……?

 奈落の底へ突き落されるような絶望感に、足の力が抜けてよろめきそうになった時だった。

「嘘を吐くな!」

 いきなりファリス様が長い腕を伸ばして、ダイオンさんの胸元を鷲掴みにして吊し上げた。

 ザワッとその場にいた人々がざわめき、数人の戦士達が携帯している武器に手をかけて身構える。よく見れば、その人達は全員、黒髪に空色の目をした人達だ。同郷のダイオンさんが危険に晒されている、助けなければと思っているのだろう。

 ギルドの受付前ホールは、一気に不穏な空気に包まれた。

 ……ちょ、ちょっと、止めてください、ファリス様。さすがに騎士団副団長がギルドで大暴れなんて、洒落にならないんじゃないですかっ?

 慌てて腕に縋りついてダイオンさんを離して貰おうとするものの、一見細く見えるのにファリス様の腕はビクともしない。

「あの男がここの三階にいることは分かっているんだ」

「それは……」

 低い声でファリス様に凄まれて、ダイオンさんの目が泳ぐ。嘘を吐き通せない正直な人の典型のような反応だ。

 私には、その反応だけで充分だった。

「リナ様!」

 焦ったように叫ぶダイオンさんの声を背中で聞きながら、私はホールの斜め奥に見えていた階段めがけて駆け出していた。

 よかった。まだ、ここにいるんだ、アデルハイドさん……!

 ドレスで通るには狭すぎる木製の階段を、息を切らしながら駆け上がる。ドレスの裾が足にまとわりついて、何度も転げ落ちそうになりながらも、何とか三階まで辿り着いた。


 一階とは打って変わって、三階は静まり返っている。その廊下で、私は途方に暮れて立ち尽くしていた。

 部屋は複数あって、どの部屋にアデルハイドさんがいるのか見当も付かない。でも、一階に戻ってダイオンさんに訪ねたところで、あの様子では素直に教えて貰えるとは思えない。

 仕方が無い。私は腹を括ると、大きく息を吸い込んだ。

「アデルハイドさんーー!」

 長く伸びる廊下に響き渡るように、大声でその名を呼ぶ。すると、奥の部屋から、ガタン、という音が聞こえてきた。

 あの部屋だ!

 そのドアに駆け寄りながら、苦しいくらいに胸が高鳴る。ああ、よかった。やっと会えるんだ……!

 ――ところが、待っても待っても、ドアは開かない。

 ……どうして?

 興奮していた気持ちに冷水を浴びせられたような気分になった。もしかして、中にいるのは違う人で、ただ私の声に驚いて反応しただけなのかも知れない、と不安になりながら、そっとドアをノックしてみる。

「……アデルハイドさん?」

 返事が無い。中にいるのが別人なら、違うという答えが返ってきそうなものなのに、それも無い。

「リナです。アデルハイドさん、中にいるんですよね? 開けますよ?」

 ドアノブを握って回そうとするものの、ビクともしない。普通は、中から鍵が掛かっていたとしても、ドアノブはある程度ガチャガチャ動くものだ。それが全く動かないってことは、……もしかして、開けられないように、中からがっちり握りしめられているってこと?

「ちょっ……、アデルハイドさん!?」

 あまりに予想外の出来事に、一瞬呆然と立ち尽くす。

 何なの、この状況。どうして、喧嘩した後で部屋に籠城した弟みたいなことしているんですか、アデルハイドさん……!

 こっちも意地になってドアノブを両手で掴み、渾身の力を込めて回そうとするけれど、相手は国随一の戦士にして魔将軍を倒したアデルハイドさんだ。私ごときの力で敵うはずもない。

「どうして、出てきてくれないんですか?」

 体重をかけてドアノブを回し続けていると、悔しいやら悲しいやらで、涙が溢れ出てきた。

「もう、一緒に連れて行って、なんて言いませんからっ。最後に、……っ、最後にっ、直接顔を見て、お別れさせてくださいっ……」

 しゃくりあげながらそうお願いしたのに、相変わらずドアノブは動く気配もないし、何の言葉も帰って来ない。

「アデルハイドさんっ」

 ドアノブから手を離し、拳をドアに叩き付ける。何度も何度も、このやりきれない気持ちをぶつけるように。手が痛くなったけれど、それでも心の痛さに比べたらずっとマシだった。

 どうして、……どうして? ここまで来たのに、どうして会ってくれないの? どうして一言も応えてくれないの?

「……っ、……うぁああっ!」

 まるで、子供みたいな鳴き声が、私の喉から出てきた。こんな風に声を上げて泣くなんて、いつ以来だろう。こんな風に泣いてしまうくらい、気持ちが溢れ出て抑えが利かないなんてこと、これまであっただろうか。

 足の力が抜けて、ドアの前に座り込んでしまった。それでもドアを叩きながら嗚咽を漏らし続けていると、不意に背後から名を呼ばれた。

「リナ様」

 ドアに縋って泣いていた体勢からゆっくりと振り返る。いつの間に三階へ来たのか、近づいてくるダイオンさんは困ったように眉間に皺を寄せていた。その後ろに続いてやってくるファリス様は、逆に目を吊り上げて殺気立っている。

「どうか、そこまでになさってください」

「……っ」

 ダイオンさんに優しく諭されて、荒れ狂っていた気持ちが次第に静まっていく。

 と同時に、自分がしていたことの愚かさに気付いた。アデルハイドさんがこんなにまで私に会うことを拒否しているというのに、部屋にまで押しかけて、泣いて縋って。これじゃまるでストーカーじゃないか。

 ファリス様が、前を行くダイオンさんの肩を掴んで押しのけると、大股で近づいてきた。

「リナ、離れろ。俺がドアを蹴破ってやる」

「お、お止めください!」

「止めるなっ、放せっ。おい、アデルハイド! お前一体、どういうつもりだ!」

 怒り心頭といった様子のファリス様と、それを止めようとするダイオンさんがもみ合う姿を見つめながら涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がる。

「あの、……もういいんです」

 本当は、全然よくなんかない。胸の内では、このまま諦めるなんて嫌だと本心が泣き喚いている。

 でも、もう仕方がないじゃない。何故、そこまでアデルハイドさんが私を避けるのか納得できないけれど、これ以上我儘を言って困らせたくはない。

 それに、もうこれっきりになってしまうのだとしたら、アデルハイドさんの中に残る私の印象を、もうこれ以上悪くしたくはなかった。……これまでのことで、もう充分、最悪なものになってしまっているのかも知れないけど。

「……最後に、ちゃんと顔を見て、お別れと、それからお礼を言いたかったんです。でも、会って貰えないのなら仕方が無いです」

 ドアに向き直り、その向こうにいるアデルハイドさんに語り掛ける。

「これまで、何度も危ないところを助けて貰って、精神的に支えてくれて、ずっと見守ってくれていたこと、本当に感謝します。ありがとうございました」

 ドアに口づけするくらい唇を寄せて、アデルハイドさんに伝えたかったことを口にする。

「どうか、お元気で。ご武運をお祈りしています」

 ……でも、一番伝えたかった言葉は、結局言えずに飲み込んでしまった。こんな風に会うことを拒否された上で告白できるほど、私のメンタルは図太くない。

 最後にドアに額を押し当てて目を閉じる。どうか、神様。アデルハイドさんが無事に祖国の復興という目的を果たせますように、と願いを込めて。

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