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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
63/135

63.逃亡の末に

 あまりのショックに、泣くことさえできずにただ呆然と立ち尽くしている私を両脇から支えてくれたのは、アンジェさんとフレアさんだった。

「リナ様。大丈夫ですか?」

「さあ、こちらにお掛けになってください」

 椅子を勧められ、ぐったりと腰を下ろすと、二人は左右に分かれて私を挟むように膝を着いた。

「お気持ちはお察しします、リナ様。ですが、どうか元気を出してください」

「そうですよ。リナ様には、私達がついております」

 私のことを思って、懸命に励まそうとしてくれている二人の気持ちが伝わってきて、胸がジンと熱くなる。

 すると、優しく背を撫でてくれていたフレアさんが、不意に目を吊り上げて怒りだした。

「それにしたって、あんなに親しくされていたのだし、直接別れの挨拶にぐらい来ればいいのに。苦楽を共にした仲間に対して失礼ですわ。ですよね? リナ様」

「あ、……そ、そうですよね」

 そ、そうだ、そうだ。特別な感情を抜きにしても、挨拶なしで行ってしまうなんて充分失礼だ。

 すると、反対側からアンジェさんが身を乗り出してきた。

「そうですよ。それに、リナ様にとって頼もしい護衛でもあったのに、突然いなくなられたら私達だって困ります」

「……え?」

 アンジェさんが今言った台詞の意味が分からずに目を見開くと、フレアさんが困ったように溜息を吐いた。

「やはり、リナ様はご存じなかったんですね。アデルハイド様が、公爵家の御子息がこちらに乗り込んで来た日以来、このお部屋の周辺を警戒してくれていたことを」

「うそ……」

 だって、全然気づかなかった。

「ご存じなくて当然ですわ。だって、リナ様はずっと、このお部屋の中にいらっしゃったのですから」

「早朝や授業の休憩時間、それから夜もこの周辺を歩き回って警護してくれていたんですわ。授業の間は侯爵家から派遣された教師がいる。まさか侯爵家を敵に回してまで踏み込んでくる馬鹿はいないだろう。けれど、もし何かあればすぐに自分を呼んでくれと、私達にもおっしゃってくれて」

 ……その時、私の頭の中で、様々なことが繋がった。

 何故、以前アンジェさんが噂話の中で、アデルハイドさんのことを「護衛の戦士」だなんて表現したのか。

 何故、早朝、エドワルド様に会いに行こうと部屋を抜け出した時、すぐにアデルハイドさんに見つかってしまったのか。

 何故、授業が中止になった後、厨房奥にいた私を見て、アデルハイドさんがあんなに驚いた様子を見せたのか。

 ……ずっと、見守っていてくれたんだ。私に危険が及ばないように。私が勝手に部屋を抜け出して、どこかで危ない目に遭わないように。

 胸の奥から熱いものが込み上げてくる。それを全て涙で流してしまうには、それはあまりに大きくて熱すぎる。泣くだけでは足りない。どれだけ泣いても、きっともう抑えきれない。

 アデルハイドさんに会いたい。もう一度だけ。もう一度だけでいいから。

 その思いは、もう溢れ出して止めることができなかった。


 ……そして。

 背後で上がる悲鳴のような叫び声を聞きながら、私はドレスのスカート部分を掴んで持ち上げながら、廊下を全力疾走していた。

 今なら、まだ間に合うかも知れない……!

 きっと、アデルハイドさんは城を出た後、すぐにテナリオに向かう訳じゃないはず。城下街で旅の準備を整えてから出発するはずだ。

 ハンナさんは昼食の準備に手を取られていた。他の部屋から応援要請が来て、フレアさんが部屋を出て行った。そして、ハンナさんに呼ばれてアンジェさんが私の傍から離れた、その一瞬の隙を突いて、私は部屋を飛び出したのだ。

「……リナ様―!」

 私の名を叫ぶ声と共に、誰か止めて、と助けを求める声が混じる。

 捕まってたまるか。私は、アデルハイドさんに会いに行くんだ!

 けれど、ただでさえここ半月以上ろくに運動していない上に、ドレスでは思ったように動けず、すぐに息が上がってしまう。でも、今ここで走るのを止めたら、アデルハイドさんにもう二度と会えなくなるような気がして、気力を振り絞って足を前へ動かし続けている。

 以前、早朝に神殿へ行くのにアデルハイドさんに教えて貰ったルートを通れば、途中で城の裏手に出られる扉があるはず。そこから外に出て、西門を突破できれば……。

 最初、それは物凄く完璧な逃走計画に思えた。でも、途中で衛兵に見つかりそうになって別の角を曲がり、元のルートに戻る為に曖昧な記憶と当てにならない勘に頼って走り回った結果、自分が一体城のどこにいるのか分からなくなってしまった。

 ……なんということだろう。

 壁に手を突いて荒い息を整えながら、人気ひとけのない廊下を眺めて呆然と立ち尽くす。

 影ながら見守ってくれていたアデルハイドさんがいなくなった途端にこれだ。……やっぱり、やっぱり私には、アデルハイドさんが必要なんだ……!

 まるで迷子になった子供みたいに、泣きじゃくりたい気持ちになる。

 何なんだろう、私って、こんなに泣き虫だったっけ? アデルハイドさんへの気持ちに気付いてから、リザヴェント様やファリス様に反抗してみたり、部屋から逃亡したり。私って、本当はこんなに人様に迷惑を掛けるような、自分勝手なことをするのが嫌だったはずだ。だから、ずっと自分の感情を抑えて生きてきたのに。

 手の甲で、額の汗と、堪え切れずに目尻から流れ落ちた涙を拭う。

 一体、ここはどこなんだろう……。

 この廊下には人の気配は全くないのに、程近いところから喧しい音が聞こえてくる。固いものを打ち付けたり、何かを引き摺ったりするような音。それから、野太い人の話し声や、怒鳴り声。

 その音のする方、つまり廊下の先へ足を進めると、どこからか吹き込んでくる風が額や首筋に浮いた汗をひんやりと冷やしていく。

「……ここって、もしかして」

 壁や床に走る幾筋もの亀裂。微かに、焦げ臭い煙の残り香が鼻を刺激する。

 どうやら私は城内を滅茶苦茶に走り回った挙句、以前の部屋があったフロアの周辺に迷い込んでしまったようだった。

 距離的には、この場所と今の部屋がある場所はそれほど離れていない。つまり、ほぼ同じような場所をグルグル回っていたことに気付いて、自分の馬鹿さ加減にガックリと力が抜ける。

 こんな格好で衝動的に部屋を飛び出して、城外に出てしまったアデルハイドさんに追いつけるはずもないのに。何て馬鹿なことをしているんだろう、私は……。


 吹いてくる風に誘われるように薄暗い廊下の角を曲がると、いきなり目の前に青空が広がっていた。と同時に、吹き付ける突風にドレスのスカート部分が煽られてよろめき、慌ててすぐ傍にあった木製の柱を掴んで身体を支える。

「……えっ」

 その先には、床も天井もなかった。木製の足場が組まれ、二階分下のフロアで作業員らしき男の人達が、瓦礫や建材等を運んだり、他の場所に足場を組んだりしている。私が掴んでいるのは、取り壊されずに残された建物を補強する為に組まれた柱のようだ。

 へぇ。こんな風にして、お城の壊れた部分を直しているんだ。

 興味津々で下の様子を覗き込み、その高さに思わず身震いして柱にしがみ付く。何の段差もなく終わっている床を踏み外しでもしたら、大変なことになってしまう。

 ああ。でも、ここで危うく、死ぬところだったんだよね……。

 あの日、ヴァルハミルに足を掴まれて逆さづりにされ、挙句に魔族の国へ連れ去られそうになったあの時――。全身血塗れの大怪我を負っているにも関わらず、背後から剣を振るってヴァルハミルを倒してくれたアデルハイドさんの姿が脳裏に甦る。と同時に、胸がキュンと熱くなって、知らず知らずのうちに目頭が熱くなってきた。

 と。

「おい! そんなところで何やってんだ!」

 いきなり、下からそんな怒鳴り声が上がった。

「危ねぇぞ。まさか、あそこから飛び降りるつもりじゃないか?」

「何であんなところに貴族のお姫さんが入り込んでるんだ?」

 眼下の工事現場に、わらわらと人々が集まってくる。何故かその視線は、ほぼ全てが私に向けられていて……。

「キャアアアッ! リナ様っ!」

「駄目ですっ、早まらないでください!」

 そして何故か、作業員達の背後から走ってきて、こっちを見上げて悲鳴を上げるアンジェさんとフレアさん。

 ……えっ。何? 私ひょっとして、ここから飛び降りようとしていると思われているの?

 いやいや、ないない。そんなこと、する訳がない。

 確かに、アデルハイドさんが突然別れも告げずに、短いメモだけ寄越して城を発ってしまったことは物凄くショックだったよ。でも、だからといって、ここから身を投げようだなんて考える訳ないじゃない。

 そうじゃなくて、アデルハイドさんを追いかけようとした結果、迷いに迷ってこんなところに来てしまっただけなのに。

 しがみ付いていた柱から片手を離して、違う違うと手を振ってみせたのに、煽られたように更に鋭い悲鳴が上がる。

 駄目だ。ここにいたら、益々大騒ぎになってしまう。……っていうか、アンジェさん達に見つかっちゃったらいけないんだった。早くここから移動して、とりあえず西門へ辿り着かなくちゃ。

 柱から手を離し、身を翻した時だった。一際強い風が吹いてきて、重量感のあるドレスのスカートが大きくまくれ上がった。

「うわっ!」

 まずい、これじゃ、下にいる人に下着が見えちゃう。

 慌てて押えようとした時、風にはためくスカートに煽られてたたらを踏んだ足の踵が、床の端から滑り落ちた。

 聞こえた悲鳴は、私が上げたものだったのか、それとも下から聞こえてきたアンジェさんかフレアさんのものだったのか。

 頭の中が真っ白になる。咄嗟に伸ばした手が、床の端を掴んだ。

 けれど、私の力で落下する自分の身体の重さを支えきれるはずもなく、一度大きく身体が揺れた勢いで、あっという間に手は床から離れてしまった。

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