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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
62/135

62.そんな別れの告げ方

 結局、リザヴェント様の気持ちを利用する形で守って貰った上に、庇護して貰う必要が無くなったと同時に振るという、身の程知らずの非道な真似をしたのは私だ。

 だから、突然泣かれてどうしていいか分からないからって、この居心地の悪い空間から逃げちゃいけない。リザヴェント様のお気持ちを真正面から受け止めつつ、ちゃんと私の本心を伝えなければ。

「本当に、申し訳ありません」

 とにかく、ここは謝るべきだと頭を下げ、顔を上げると、リザヴェント様は長い指で目頭を押さえていた。形のいい唇が、少しピクピク震えている。

 ひょっとして、普段は滅多に感情を表に出さない人だけれど、リザヴェント様って本当は物凄く感受性豊かな人なんじゃないだろうか。この完璧な外見と、国随一の魔導師という実力に騙されそうになるけれど、真っ直ぐで子供みたいに純粋な部分があるように感じる。

 だから、そんなリザヴェント様を傷付けるのは怖かったし、嫌だった。でも、ここでちゃんと私の気持ちを伝えておかないと、このままではお互いの為にもよくないと思う。

 だから、意を決して口を開いた。

「……その、リザヴェント様のお気持ちは嬉しいのですが、私は、他に一緒にいたい人がいるんです」

 思い切ってそう言った瞬間、部屋の空気が凍り付いた。

 ……いや、比喩なんかじゃなく、本気で寒い。吐く息が白くなるって、どれだけこの部屋の気温は下がっているんだろう。そして、その冷気は明らかに、リザヴェント様の方から吹き付けてくる。

「……あ、あの、リザヴェント様!」

 身の危険を感じて叫ぶと、まるで凍り付いたように目を見開いたまま固まっていたリザヴェント様が、我に返ったように目の焦点を私に合わせる。

「あ、ああ……」

 すまない、とリザヴェント様が呟くと、吹き付けてくる冷気が止み、次第に室内の寒さが和らいできた。助かった、と胸を撫で下ろす。

 感情のままに、無意識にこれほど強力な魔法を垂れ流すなんて、何て恐ろしい人なんだろう、リザヴェント様は。さっきとは別の意味での寒気を感じながら腕を摩る。

 でも、ここで萎えてはいけないと、気を取り直して再び口を開いた。

「そういう訳ですから、リザヴェント様のお気持ちにお応えする訳にはいかないんです」

「……誰だ、その男というのは」

 底冷えのする声を発したリザヴェント様の目には、もうすでに涙は無かった。その代わり、菫色の瞳の色がいつもより赤みがかって見える。

 ゾワッと全身の毛が逆立った。これは拙い状況なんじゃないかと本能が警告を発して口ごもり、何とかはぐらかそうとしたものの、リザヴェント様がそれを赦してくれるはずもなかった。

「……リナ」

「あ、……アデルハイドさんですっ」

 促されるように名を呼ばれて、咄嗟に白状してしまった。

 その瞬間、ずうん、と部屋全体が揺らいだ。……えっ、何? 今の地震?

「……なん、だと?」

 よろめいたリザヴェント様は、テーブルに手を着いて身体を支える。

「よりにもよって、あの男に……。一緒にいたい、だと? まさか、あの男についていくつもりか?」

 そう問われて、一瞬、返答に詰まる。

 ……アデルハイドさんには、何言ってやがる、ってお断りされたけれど。ファリス様にも、危険だし断られたのなら諦めろ、と斬って捨てられたけれど。

 でも、……どうしても諦められない。

「はい。そうしたいと思っています」

 そう答えた瞬間、また、地鳴りのような音を立てて部屋が揺れた。窓ガラスがビリビリと音たてて震えている。

 まさか、さっきのも今のも、リザヴェント様が揺らしたの……?

「……許さぬ」

 地を這うような声で唸ると、リザヴェント様は背筋が凍りそうなほど恐ろしい眼光で私を睨んだ。その表情は、綺麗な顔立ちだけにいっそう凄みを増し、私はまるで蛇に睨まれた蛙のように動くことも目を逸らすこともできない。

 その時、ようやく気付いた。今まで、と怒られていると思って見ていたリザヴェント様の厳しい表情は、決して本気で怒っていた訳じゃなかったんだ、と。

「テナリオに行くなど、絶対に許さん。そんな無謀なことを考えているようでは、婚約を解消する訳にはいかぬ」

「えっ……」

 ……嘘でしょ。

 思わず耳を疑った。

 何で? 婚約を解消して貰う為に、正直に私の気持ちを打ち明けたのに、何で、こうなるの?

「いいな」

 そう冷たく言い放ち、部屋から出て行くリザヴェント様の後ろ姿を、ただ呆然と見送るしかなかった。


 それからというもの、ハンナさんはまるで牢番みたいに私に目を光らせ、他の侍女さん達に言い含めて私を部屋から出さないようにしている。

 あれから、もう三日が経ってしまった。時間が過ぎていく毎に、アデルハイドさんがテナリオへ発つ時が刻々と迫っているかと思うと、胸が押しつぶされそうな気持になる。

 でも、あの後、少し冷静になって考えてみた。

 リザヴェント様もファリス様も、ただ純粋に私の身を案じて怒ってくれているんだろう。

 王女様救出の旅の時は、魔族の領土に入って余裕が無くなるまでは、皆が協力して私を危険な目に遭わせないよう守ってくれていたんだと思う。だから、危機感の無い私をお二人とも心配してくれているんだ。

 でも、私も、この世界では人間の国といっても危険なことはたくさんあると分かっている。元の世界と違って、この世界は弱肉強食。特に魔族の国に近いほど、魔族に国を滅ぼされた人々が難民となって逃げ込み、各地で山賊化して同じ人間から命と物を奪う。うかうかしていたら、身ぐるみ剥がれてしまう。そんなこと、私でもちゃんと知っているのに。

 ああ、でも、リザヴェント様は、ハイデラルシア村の人々をハイランディア侯爵家の領地にある神殿に受け入れてくれるそうだ。そのリザヴェント様の逆鱗に触れたら、その受け入れ話自体を白紙にされかねない。

 もしそうなったら、アデルハイドさんはテナリオに発てなくなってしまうし、ハイデラルシア村の人々は、今年もまた厳しい冬を北の不毛の地で迎えないといけなくなる。アデルハイドさんが、今後もずっとその重荷を背負っていくことになってしまうなんて嫌だ。

 ……やっぱり、アデルハイドさんのこと、諦めるしかないのかな。

 気付いてしまったこの思いに蓋をして、ファリス様やリザヴェント様が納得してくれるような、無難な人生を歩いて行くしかないのか。

 ……そんなの、嫌だな。

 ふとそんな思いが過ぎって自嘲する。この世界で、一人で生きていく能力も知識も何もないのに、私は何を自分勝手なことを言ってるんだろう。

 でも、やっぱりアデルハイドさんの傍にいたいという気持ちは変わらない。だから、振られてもいい。次にアデルハイドさんに会ったら、ちゃんと私の思いを伝えよう。それで駄目だったら、仕方が無いじゃない。

 過去、思いを告げる前に砕け散った二度の恋を思い出して、苦い気持ちが込み上げてくる。どうせ玉砕するにしても、今度はちゃんと自分の思いを伝えてからにしたい。

 長椅子に寝転んで、天井の幾何学模様を眺めながら、アデルハイドさんとの思い出を振り返っていると、自然と顔がにやけてくる。思い出だけでこんなに幸せな気分になるなんて、私ってなんて幸せな頭をしているんだろう。それとも、これが恋ってものなんだろうか。

 そんな能天気な私を、一気に奈落の底に突き落とすような出来事が襲おうとは、この時は知る余地もなかった。


「リナ様。宜しいでしょうか」

 行儀悪く長椅子に寝転がっている私の元に、フレアさんがやってきた。

「何ですか?」

「あの者が、リナ様にお渡ししたいものがあると申しております」

 そう言われて視線を向けると、ドア付近に背が高くてグラマラスなラテン系の女性が立っているのが見えた。

「あなたは……」

 慌てて身を起こして立ち上がると、乱れたドレスを手早く治して取り繕う。

 侍女のお仕着せが全く似合っていないその美女は、確かアデルハイドさん付きの侍女さんだ。名前は知らないけれど、顔はしっかりと覚えている。

「リナ様。突然、申し訳ありません。これを、アデルハイド様よりお預かりいたしましたので、お渡しに参りました」

 すらりとした長い腕が伸びて、手にした紙を差し出してくる。

「アデルハイドさんから?」

 ……手紙?

 こんなものを貰うのは初めてだ。何だろう。言いたいことがあれば、直接訪ねて来てくれればいいのに。

 それとも、アデルハイドさんは、リザヴェント様やファリス様に私と会うのを止められているんだろうか。

 その場で開いて読んでいいものかと迷ったけれど、侍女さんに促されるような視線を送られて、折り畳まれていた紙を開く。そこには、アデルハイドさんらしい太い線の、けれど意外に綺麗な字で、短い言葉が綴られていた。

 ……え、何、これ。

 強張った顔で紙から視線を上げると、侍女さんは困ったように眉を下げながら頷いた。

「アデルハイド様は、今朝、城を発たれました」

 この人は、何を言っているんだろう。アデルハイドさんが城を出た? そんなことあるはずない。だって、私に別れの挨拶もせずに行ってしまう訳ないじゃない。

「うそ……」

 本当は、うっそだあ~、って笑い飛ばしたかった。けれど、私の口から漏れたのは、何とも情けない掠れた声だけだった。

 その場に崩れ落ちそうになる感覚に襲われ、咄嗟に足に力を入れて堪える。血の気が引いていくのを感じながら、嘘だと言ってくれないかと縋るように侍女さんを見つめると、彼女は憎らしくなるくらいニッコリと綺麗な笑みを浮かべた。

「アデルハイド様が城を出られた後に、リナ様にその手紙をお渡しするよう言付かっておりましたので。では、私はこれで失礼いたします」

 去っていく侍女さんの後ろ姿を呆然と見送りながら、無意識のうちに震える手で、手紙とは呼べないほど呆気ない言葉の綴られた紙を握り締めていた。

 ――元気でな。幸せになれよ。

 ……たった、たったそれだけの言葉だけ。会いたいと望んでも手遅れなタイミングで寄越して、直接別れの挨拶さえ告げずに行ってしまうなんて。

 アデルハイドさんにとって、私の存在ってその程度だったの?

 前回の旅の後、アデルハイドさんは私よりも先にいつの間にか城から姿を消していた。でも、その時は別に何も感じなかった。たんまりと謝礼を貰って、颯爽と自分の本来の居場所に戻っていく。自分の思ったように生きているさっぱりした人だとは思ったけれど、寂しいとか悲しいとか、一緒について行きたいなんて思わなかった。だって、その時にはまだ、アデルハイドさんに特別な感情を持っていなかったから。

 でも、今回は違う。私は一緒に連れて行って欲しいってお願いしたのに。なのに、こんな別れ方をされたら、誰だって思うじゃない?

 ――私の事が、そんなにうざかったの? って。

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