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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
57/135

57.笑い飛ばすつもりが

 なるほど。噂話に尾ひれはひれが着くなんて言葉は聞いたことがあるけれど、こんな風にして事実とは違う物語が生まれていくんだなぁ。恐ろしい。

 唖然としている私の前で、アンジェさんが興奮したように頬を高揚させている。

「特に、騎士団副団長のファリス様が、かなり怒っていらっしゃるとか。城内の治安を司る者として、そのような非道な行いを見過ごすことはできないって」

「ご自分もかなりの遊び人だったのにねぇ」

 痛烈な突っ込みを入れるフレアさん。アンジェさんはそれに対して首を横に振って反論する。

「でも、最近すごく真面目で誠実な方になったって評判なのよ。それに、ファリス様は他人の恋人を無理矢理横取りしようとするなんて馬鹿な真似しなかったもの。同じ浮名を流す者として、許せなかったんじゃないかしら」

 うーん。最後の言葉はフォローになってないような気がするよ。

「ファリス様同様に騎士様方も怒っていて、恐れをなした公爵令息は登城することさえできないらしいわよ。いい気味だわ」

「本当に、ねぇ」

 キャイキャイと二人して噂話に花を咲かせるのを見つめながら、口を挿むことも出来ずに、ただただ呆然とするばかり。

 ああ、あの出来事は、ファリス様の耳にも入っているんだ。でも、お蔭でまたシザエルが乗り込んでくるんじゃないかっていう心配はしなくてもよさそうだ。あの様子じゃ、「異世界から来た平民に馬鹿にされたままで終われるか!」って怒鳴り込んで来そうだったもんなぁ……。

 安心してホッと溜息を吐くと、それに反応したようにアンジェさんがニッコリと笑顔を浮かべて、上目遣いにこちらを見つめてきた。

「最近、ファリス様の人気って凄いんですよ」

「へぇ。……まあ、そうでしょうね」

 髪が短くなってから、ファリス様はそれまでのチャラチャラした雰囲気が消えて、誠実そうなイケメンに見える。元がいいと、どんな髪型にしても良く見えるっていいなぁ。

 すると、アンジェさんは突然、爆弾発言を投下した。

「本当のことを言うと、私達、リナ様はファリス様の事が好きなんじゃないかって思っていたんです」

「へっ? イタっ!」

 驚いた拍子に、針で思いっ切り指を突き刺してしまった。

「大丈夫ですか?」

「はい。でも、何でそんな……」

 針で突いた指先を撫でながら涙目になっていると、フレアさんが含みのある笑みを浮かべた。

「リナ様は城に戻られて間もなく、オシャレをしたい、綺麗になりたいって言われましたよね。それは、丁度ファリス様と再会された直後でした」

 あ……。確かに間違ってはいないけど、それは丁度、トライネル様に初めて出会ったのと同じ日だったから。

 動揺が顔に出てしまったらしく、それを勘違いした二人は顔を見合わせて「やっぱり」と囁き交わす。

「いやいや、違いますって」

「またまた。隠さなくてもいいですから」

 ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべるフレアさんの横で、不意にアンジェさんが眉を顰めた。

「でも、困りましたね。リザヴェント様との婚約が決まってしまいましたから。リナ様もいけないんですよ。いくらリザヴェント様に愛を乞われたからといって、御自分の心に嘘を吐いてはいけません」

 ……もう。どうしてこう、この世界の人は人の話を勝手に解釈して突っ走るかなぁ。

「だから、そんなんじゃないんですってば」

「じゃあ、どなたのことが好きなんです?」

 フレアさんに真剣な表情でずずいと迫られて、思わず仰け反った。

「リナ様のご様子を見ていれば、リザヴェント様に特別な感情を抱いていないことぐらい分かります。でも、どなたか好きな御方がいることには間違いないんですよね?」

「ハンナさんには秘密にしますから、こっそり教えてください。神官のエドワルド様? それともまさか、あの戦士の……」

「止めてください!」

 段々と壁際に追い詰められたように息が苦しくなってきて、思わずそう叫んでいた。

 本当は、止めてくださいよ~、って軽く受け流すつもりだったのに、そうするだけの余裕がなくなっていた。

「……そんなこと聞いて、どうするんですか。……私には、……選択肢がないんですから」

 どうか、それ以上聞かないで。

 絞り出すようにそうお願いをしながら、ポカンと口を開けたままの二人を見つめる。その視界がみるみるぼやけて、情けないくらい間抜けな嗚咽が漏れた。

 明るく笑い飛ばすはずだったのに。これじゃ、まるで悲劇のヒロインじゃないか。余計に勘違いされて、またどんな尾ひれのついた噂を流されることか。

「リナ様……」

「申し訳ありません。お許しください、リナ様」

 二人が慌てて席を立ち、オロオロしながら謝ってくれていたけれど、どうしても顔を上げることができなかった。

 刺繍用の木枠を抱きしめている腕が痛い。それよりも、感情を抑えられない自分が情けなくて、締め付けるような胸の痛みの方が強い。

 そうだよね。思い返せば、私にはこれまでだって選択肢はなかった。

 元の世界では兄の言う通りに行動して、弟の我儘には逆らえず、願望は事前に却下された。

 この世界に来たのも自分の意志じゃない。王女救出の旅に出ろという王命も、例え抗ったとしても、無理矢理従わされていたに違いない。その旅の後は、城から出て暮らすことも確定事項だった。新たな神託が下って城に連れ戻されたのも無理矢理だったし。

 その都度、私はそれらを全て納得して受け入れてきたつもりだった。でも、本当は、本当のところは、心から納得していた訳じゃなかった。仕方が無い、そうするしかない、って諦めてきたんだ。これからもずっとそうやって妥協して生きていくのかと思うと、虚しくなってくる。

 でも、自分の生きたいように生きられるだけの力がないんだから、我慢するしかない。……そう、我慢するしかないんだ……。


 ……で、泣き疲れていつの間にかそのまま眠ってしまったらしい。

 目が覚めると夕刻で、裁縫の授業の後に予定が入っていたダンスのレッスンは取りやめになっていた。

 そして、ハンナさんをはじめ他の侍女さん達が、どこか痛々しいものを見るような目で、遠巻きにこちらを窺っている。腫物を触るようなその態度に、ああ、また余計な気を遣わせているなぁ、と心苦しくなった。

 用意された夕食を前に席に着くと、それ以前から何か言いたそうだったハンナさんが、意を決したように口を開いた。

「実は、リナ様が眠っていらっしゃる間に、リザヴェント様がいらっしゃいました」

 昼食時に習ったばかりのテーブルマナーを思い出しつつ、やや緊張しながらナイフとフォークを取り上げたところだったのに、手が震えて皿が耳障りな音を立てた。

「すみません。……あの、どういったご用件で?」

「勿論、リナ様のご様子を見にこられたのです。それから、……婚約指輪をお渡しする為です」

 やや言いよどんだものの、ハンナさんは私の目を見ながらそう語る。その顔には、いつもの笑顔はなかった。

「貴族の慣例では、婚約披露の夜会が開かれ、そこで婚約指輪を相互に送ることになっておりますが、そのような席を設けている時間はないので、と」

 ハンナさんが差し出した掌には、柔らかそうな厚手の布の上で輝く銀色の小さな指輪があった。リザヴェント様の瞳の色にそっくりな、紫の宝石が埋め込まれている。

「申し訳ございません。リナ様がお目覚めになられてから、直接お渡しした方がと申し上げたのですが、なにぶんお忙しい御方ですので……」

「いえ、いいんです。昼間から寝ていた私が悪いんですから」

 腫れぼったい目を細めて微笑みを返し、ナイフとフォークを持ち直して前菜を口に運ぶ。

「リナ様……」

 不意に切羽詰まったような声で呼ばれ、何か粗相をしただろうかと慌てて視線を戻すと、何故かハンナさんが蒼白な顔で立ち尽くしていた。

「えっと、あの……?」

「い、いいえ。分かりました。この件に関しましては、私が責任を持ってリザヴェント様を説得いたします」

 何が何やら分からないけれど、ハンナさんはそそくさと掌の布を畳むようにして指輪を包み、鏡台の上に置かれていた木箱に仕舞い込んだ。

 夕食が終わり、ゆっくりお風呂に入っている時にふと思った。あの時、すぐにでも食事の手を止めて、指輪を手に取って左手の小指に填めるべきだったのかも知れない。リザヴェント様との婚約を心から喜んでいる者なら、そういう行動を取ったはずだ。きっと、ハンナさんも私のそういう行動を望んでいたに違いない。

 ……でも、あの時にはそのことに思い至らなかった。それはつまり、自分から積極的にあの婚約指輪を指に填めようという気にはならなかったってことだ。

 だって、元々、偽装婚約の予定だったのを、リザヴェント様が無理矢理本当の婚約にしてしまったのに。そのせいで、私は本来する必要もなかった諸々の苦労を抱え込んで、辛い思いをしているのに。いくら寝ているからって、婚約指輪をハンナさんに預けて帰るなんて以ての外だ。

「本気で結婚したいなら、自分の手でこの指に嵌められるまで何度でも来いっつーの」

 左手の小指を握り締めつつ、感情的に吐き捨てた声が、まるで私の心の内を反映したように浴室に響いた。


 そんなこんなで五日ほどが経った。

 リザヴェント様が婚約指輪を渡しに来たら、どう応じればいいんだろう、という心配は無用だった。だって、あれから一度も訪ねて来ないんだから。

 寝不足と泣き疲れで昼間から眠ってしまったのを、授業のスケジュールがきつ過ぎたと判断されたのか、授業の内容は当初よりだいぶ緩やかになり、時間も短縮された。心なしか、教師達の言動も柔らかになったような気がする。ただ単に、私が慣れただけなのかも知れないけど。

 あれから、アンジェさんもフレアさんも私に気を遣っているように言葉を選んでいたけれど、城内の噂話を聞きたいとお願いすると喜んで話してくれた。

 顔と名前が一致しない騎士さんと貴族令嬢のロマンスとか、貴族と侍女さんの不適切な関係だとか、どうでもいい話が主だったけれど、その中に気になることもあった。

 独身の王子様が帰国したことで、年齢の釣り合う娘がいる貴族達が挙って王子様に近づこうとしている。その一方、婚約を破棄した王女様に息子を婿入りさせようとしている貴族も増えているらしい。

 全く、まだ魔王軍が攻めてくる可能性が全く無くなった訳じゃないのに、何て暢気なんだろう、この国の貴族様方は。

 けれど、それが権力闘争の一環で、彼らにとってもこの国にとっても、本当に重要なことなんだろう。

 そして、噂話を拾っていくと、どうやらトライネル様を筆頭に軍部や騎士団は王子様を積極的に支持しているらしい。そして、それを面白く思わない古参の貴族達が、エクスエール公爵を筆頭に王子様の悪口を国王陛下に吹き込んでいるらしい。

 侍女さん達の耳にも入るくらいだから、そんな嫌がらせはきっと随分とあからさまなんだろう。

 でも、王女様から聞いた話では、国王陛下は元々王子様とは疎遠で、王女様を溺愛しているらしい。だから、もしかしたら本当に王子様を廃嫡して、王女様を女王にする気になってしまうかも知れない。

 別に、それで国内が丸く収まるならそれでもいい。でも、……もし救国の王子になるはずだったクラウディオ殿下が国を追われるようなことになれば、物凄く責任を感じる。

 ……ああ、もう。何で、皆、仲良くしてくれないかなぁ。

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