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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
56/135

56.噂話って怖いな

 私を部屋に引きずり込んだハンナさんは、乱暴にドアを閉めた。ドアノブをぎゅっと握ったままで肩を上下させて呼吸を整えている。もしかしたら、エドワルド様達が踏み込んでくるのを阻止するつもりなのかも知れない。

 けれど、こんな状況にも関わらず、問題ないと判断したのか、エドワルド様達が後を追いかけて部屋に入ってこようとする気配はなかった。

 私と同じように思ったのか、ほうっ、と大きく溜息を吐いたハンナさんは、ドアノブから手を離すと、くるっとこちらに向き直った。その顔は、……頼まれていたトイレ掃除をやっていないと告げた時の、帰宅直後の母親みたいな表情で。

「リナ様。リナ様は、リザヴェント様と結婚なさりたくないのでございますか?」

 ……またその質問? 質問者は違うけれど、その答え辛い質問にいい加減嫌気がさしてきていた私は、無言のまま俯いた。でも、ハンナさんは私の答えを待つつもりはさらさら無かったようで、自分の思いを切々と語り始めた。

「いくら神託による王命とはいえ、リナ様を異世界から突然この世界に召喚したことを、リザヴェント様は気にしておいでのようでした。それに、リナ様が城を出られた後、ひと月ほど経って、仕事に忙殺されていてようやく城にリナ様がいないことに気付いたと、城内を駆け周り、城下のギルドにまで赴いて行方を捜しておいででした」

「……えっ。そうなんですか?」

 全部、初耳なんですけど。まさか、リザヴェント様がそんなことをしてくれていただなんて全然知らなかった。だって、再会した時だって一言もそんなこと言っていなかったし。

「王女救出の功労者を、異世界の平民だからといって地方の田舎に移らせたのは不当だと、国王陛下にも随分と抗議されたようです。けれど、結局その訴えは認められませんでした。最終的に、リナ様が地方での静かな暮らしを受け入れたのなら、とご自分を納得させておいでのようでしたが、その後も本当にリナ様をあちらの世界に戻す術はないのか、と、夜遅くまで古文書を調べておいででした」

「もしかして、ハンナさんが、元の世界に戻れる方法がない理由を調べてくれたのって、リザヴェント様に……?」

 私が城からザーフレムの田舎に移る前、リザヴェント様にあまりに呆気なく「元の世界に戻る方法はない」と言われ、絶望しつつも諦められずに気持ちが塞いでいたことがあった。そのとき、ハンナさんに元の世界に戻れない理由を解りやすく説明してもらって、納得できたと同時に諦めがついた。ハンナさんは侍女なのに、どうやって調べてくれたんだろうと不思議に思っていたのだけれど、そういうことだったのか。

「はい。リザヴェント様にご相談しました。リナ様が落ち込んでいると聞いて、もう少し丁寧に説明すればよかったと後悔しておいででした。本当はご自分の口で説明したかったようですが、とてもそのような時間は取れそうにないと。でも、その後いつの間にかリナ様が城からいなくなってしまわれたことがよほどショックだったのでしょうね。リナ様が城に戻られてからは、あの方はかなり無理をしてでも、リナ様の為に時間を割いておられますよ」

 ……うん。リザヴェント様が私の為に随分と便宜を図ってくれているのは感じていた。その上、そんな話を聞いてしまうと、そこまで思ってくれているのに結婚を渋っているのは悪いような気がしてくる。

 元々、私は小さい頃から特別扱いをされ慣れていない。だから、嬉しい反面気恥ずかしいような、逆に申し訳ないような、居たたまれない気持ちになってしまう。

「実は、リザヴェント様がそこまで異性を気に掛けるのは初めてのことだったのです。ですので、もしやリナ様が、侯爵家の懸案事項だったリザヴェント様の結婚相手になってくださるのでは、と密かに期待をしていたものですから、それが現実となって本当に嬉しくてたまらないのです」

「だから、今まで私に優しくしてくれたんですか?」

 思わずそう口に出してしまってから、ハッとした。その言葉は、ハンナさんの優しさの全てを利己的なものだと疑っていると言ったも同然だったから。

 案の定、ハンナさんは青ざめた顔で立ち尽くしたまま、ぎゅっと胸の前で手を握り合わせた。

「あの、違うんです。そう言う意味ではなくて」

「……いいえ。そのように受け取られても、致し方ありません。ですが、例えそのような下心があったとしても、決してそれだけの理由でリナ様にお仕えしていた訳ではありません」

「分かっています……」

 だって、ハンナさんの優しさは本物だってことは、いつも伝わってきたから。逆に、その優しさに裏があると捻くれた考えを持ってしまう私は最低だ。

「私は、リナ様にお幸せになっていただきたいのです」

 ……うん。ハンナさんがそう思ってくれているのは、伝わっていたよ。だから、ごめんなさい。

「その為にも、一日でも早く侯爵夫人に相応しい知識と教養を身に付け、名実ともに認められることが大切なのです」

 …………あれ?

 首を傾げる私の目の前で、急に何かに気付いたようにハッと肩を震わせるハンナさん。

「まあっ、もうこんな時間! 急いで朝食をご用意しますね。それから、お召替えを。本日の授業は、グランライト王国史からだそうでございます」

 はいっ! と分厚い教科書を差し出され、やや呆然としながら受け取る。……おいおい、朝食の準備が整うまで予習してろってことですか? っていうかハンナさん。エドワルド様に言われたこと、聞かなかったことにしてやしませんか?

 ……うん。どうやらハンナさんは、誰に何と言われようとも、私が侯爵夫人になることが幸せになる唯一の方法だと思っているらしい。そして、ちょっとやそっとでは、その考えを改める気もなさそうだ。


 ――これはきっと、自分にも責任がある。

「こんなもん、やってられるかあああぁぁぁっ!」

って、こっちを蔑むような目で見下している教師に向かって、分厚い教科書を投げつけ、部屋を飛び出す勇気のない自分には、今の状況に不平不満を述べる資格はないんだろう。

 結局、私はいい子でいたいだけなんだ。明らかに自分の能力以上の事を抱え込んで、ただひたすらコツコツ努力している姿を他人に見せて、頑張っているって同情を引きたいだけ。

 でも、それって本当に正しいんだろうか。何だか、他人も自分も裏切っているような気がする。結局ものにならなくて他人に迷惑を掛け、苦労した時間と労力が無駄になって自分も消耗するだけじゃないか。

 これは中間・期末テストの勉強だ。受験勉強だ。本来なら、元の世界でやっていたはずの勉強をやっているんだ!

 そう思おうとしても、何だかやる気が湧いてこない。やっぱり、どうしても進学したい学校があって、その合格の為に努力するからやる気も出る訳で。やりたくなーい、逃げ出したーい、無理無理っていう感情では踏ん張りが効く訳もない。

 だって、ハンナさんには悪いけれど、私の中で確信めいたものがあるんだもん。侯爵夫人になっても、私は幸せになれないだろうなって。性に合わないっていうんだろうか。普通の家庭に生まれ育って、特に秀でたものもなく中の中を平凡に歩んできた私に、人の上に立つ身分に相応しい能力を身に付けろだなんて言われても、所詮無理な話だ。

 ……ああ、ごめんなさい、名も知らない貴族令嬢様方。あなた方が、幼い頃から日々血も滲むような努力を重ねて教養や礼儀作法を身に付けてきただなんて知らず、ただ着飾って優雅に暮らしているくらいに思っていた私を許してやってください。

 実際、経験してみないと、外から眺めているだけじゃ分からない事ってたくさんある。そして、やっぱり自分は侯爵夫人には向いていないってことも、身を持って思い知らされている。現在進行形で。

 ……で、一体どうすれば、この泥沼から抜け出せるんだろう。

 午前の授業の締め括り、テーブルマナー講座を兼ねた昼食の時間が終わると、午後の授業まで少し休憩時間が設けられていた。

 午前中、あんなに早起きしたにも関わらず眠気に襲われなかったのは予想外だった。きっと、教師とハンナさんの厳しい視線のせいで、緊張感があったからだろう。でも、そのせいでぐったり疲れた上に、お腹が満たされている午後からはどうなることか。

 ぐったりと長椅子に倒れ込み、天井を見上げながら、エドワルド様の言葉を頭の中で反芻する。

 ――侯爵家の未来を憂えるのなら。

 きっと、ハンナさんはいつまでも妻を迎えようとしない、それどころかあまり女性に感心を示さないリザヴェント様の事を、物凄く心配していたんだろう。だから、例え異世界から来た平民であっても、リザヴェント様が関心を示した私との結婚を望んでいたに違いない。

 多分、ハンナさんだって分かっているんだと思う。私が侯爵夫人になれば、どれだけ侯爵家に不利益がもたらされるかってことを。王女様が言ったように、リザヴェント様の欠点を補ってくれる貴族令嬢の方が、結婚相手として望ましいに決まっている。私だってそう思う。出来ることなら、リザヴェント様に目を覚まして貰いたい。

 本当のところ、この場から逃げ出してしまいたいというのが私の本音だ。でも、私はまだ王命から解放されていないから、何もかも放り出して逃げ出すことなんてできない。私自身命取りになる行為だし、もし魔王討伐が神託の真意なら、この国の人々の命を危険に晒すことになる。何より、今まで私を評価してくれていた人々を裏切ることになるのが辛い。

 ……でも、今の状況も辛い。

 何をどうすれば物事がうまく運んで、自分も皆もハッピーになれるのか分からない。

「リナ様。そろそろお時間です。ご用意を」

 ハンナさんに促されて身体を起こす。

 ハンナさんは私にとって、この世界での母親的な存在だと思っていた。けれど、やっぱり私は彼女にとって、血の繋がりのない異世界人であることは紛れもない事実で。神託の少女であり、リザヴェント様が興味を示す唯一の異性でなければ、あんなに優しくして貰えなかったのかも知れない。そう思うと虚しかった。そして、そう思ってしまう自分はもっと残念な奴だと思う。

 

 午後からは幸いなことに、裁縫の授業だった。良かった。前々から、図画工作系と家庭科系は得意とまではいかないけれど嫌いじゃない。

 じゃあ、なぜ料理の腕が壊滅的だったかといえば、ライフラインの違いが結構大きかったと思う。後は、便利グッズに頼り過ぎていたのと、お手伝いの域を出なかった私の経験不足のせいだ。事実、一人暮らしで随分と料理の腕は向上したし、今では料理長から少しだけれどプロの技も盗んでいる。

 ミシンは無いものの、貴族令嬢が嗜む刺繍は家庭科で習ったものとあまり変わりはなかった。ただ、猛烈な眠気に何度か襲われて、指を何度か思いっ切り差しては飛び上がることになった。

 何より良かったのは、裁縫の先生は侯爵家から派遣された人じゃなくて、侍女のアンジェさんだった。しかも、いつも仲のいいフレアさんまで一緒になって指導してくれる。

 刺繍の途中経過を見せて指導を受ける時以外は黙って作業していたけれど、やがてハンナさんが何かの用事で部屋を出て行くと、二人は待っていましたとばかりに身を乗り出してきた。

「ハンナさんも酷いわ。リナ様のお気持ちも考えずに。ねぇ、リナ様」

「……えっ?」

 同意を求められるようにフレアさんに言われ、真意が分からなくて戸惑っていると、アンジェさんが不服そうに頬を膨らませた。

「そうよ。いくらハイランディア侯爵家に恩義があると言ったって。リナ様には、王命に従う義務だってまだ残っているのに」

「またいつかみたいに、無理をし過ぎて倒れたりなさらないかと、私達、心配しているんです」

 二人で口々にそう心配してくれるのは嬉しいけれど、まるでハンナさんが悪者のように言われると、それはそれで戸惑ってしまう。

 そんな私を後目に、アンジェさんが無邪気な笑顔を浮かべながら話題を変えた。

「あ、リナ様。お聞きになりました? あの公爵令息の話」

「え……?」

 公爵令息って、シザエルのこと?

「すでにリザヴェント様と恋仲であるリナ様に横恋慕した挙句、拒否されて護衛の戦士に摘まみ出されたって噂になっているんですよ」

 ……何、それ。状況は合っているかも知れないけれど、余りにも事実とかけ離れた人物設定になってしまっているじゃないか。恋仲? 横恋慕? 護衛の戦士? 登場人物の関係性が全く事実と異なっている。

 ……噂話って怖いなー。

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