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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
52/135

52.速攻で後悔する

 翌日。

 朝早くから叩き起こされ、数人の侍女さん方に取り囲まれて、いつも以上に気合いの入ったメイクを施された。着け毛をふんだんに使って髪を豪勢に結い上げられ、これまで着たこともない豪奢な菫色のドレスを着せられる。

 ……鏡を見てビックリ。最早これはもう、私じゃない。私の原型などどこにもない。いつぞや廊下で見かけた、貴族令嬢の群れの中にいそうなのがそこに映っている。

 そのまま待機を言いつけられ、コルセットの苦しさに喘ぎながらただひたすら待ち続けた。そして、昼前になって、ようやく待ち人が現れる。

 晴れて婚約者――偽装ですけど――となったリザヴェント様と、その叔父で宰相閣下でもあるハイランディア侯爵家当主だ。

 ……頼みますから、宰相閣下の前で昨日みたいに取り乱したりしないでくださいよ。

 そう婚約者様――偽装ですけど――に心の中で祈る。

 今朝、ハンナさんにも訴えたのに。貴族令嬢みたいに着飾ったりしたら、昨日のようにリザヴェント様がまた発作を起こしてしまうんじゃないかって。それに対してハンナさんはきっぱりと、

「慣れです! 見慣れることが一番です!」

と言い張り、頑として譲らなかった。

 そうは言っても、見慣れるには時間が必要だ。今度は宰相閣下の前であの発作を起こされるかと思うと、想像しただけで気が滅入る。

 何だか、リザヴェント様の反応を見ていると、こっちがアレルゲンになったみたいで、正直辛い。それに、リザヴェント様がこれまで積み上げてきた冷静沈着な魔導師のイメージを、私の存在がぶち壊しているようで申し訳ない気持ちになる。

 昨日、こっちを見るなり壁に貼り付いたリザヴェント様の驚愕の表情を思い出して、小さく溜息を吐いた時だった。

「……リナ?」

 不思議そうに問いかけられ、恐る恐る顔を上げて視線を合わせる。目が合うと、リザヴェント様はポカンとした表情で目を瞬かせていた。

 ……あれ? 何か、反応がいつもと違う。

「本当に、リナか?」

「はい」

 この後、「綺麗過ぎて誰だか分からなかった」という台詞が続いて、あま~い雰囲気が室内を満たし……たりはしなかった。

 リザヴェント様は不思議そうに首を捻りながら、私の手を取った。昨日のように取り乱すこともなければ、義務感から衝動を抑えているという感じでもなくて、……何だか、見ず知らずの他人を相手にしているような素っ気なさで。

 取り乱されることがなかった安堵感に胸を撫で下ろしつつ、逆に素っ気なさ過ぎる反応に戸惑いながらも、その違和感に囚われている暇はなかった。

「リナ・サクマ嬢。今朝の御前会議において、そなたは正式に我がハイランディア侯爵家次期当主リザヴェントの婚約者となった。同時に、我が侯爵家が全面的にそなたの後ろ盾となり庇護する。よろしく頼む」

「……こ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 まるで宣誓文を読み上げるように挨拶をしてくださった宰相閣下に、慌てて貴族式の礼をする。

 すると、柔和な笑みを浮かべていた宰相閣下は、口元に微笑みを残したまま厳しい視線をこちらに向けてきた。

「さっきも言った通り、我がハイランディア侯爵家の後継者はこのリザヴェントだ。つまり、そなたは将来的に、侯爵家の当主の妻となることになる」

「あ、はい。でもそれに関しましては……」

 偽装婚約ですし。エクスエール公爵に利用される危険がなくなれば、私との婚約なんて早々に解消して、侯爵家に相応しい身分の女性を迎えれば……。と、続ける間もなく。

 宰相閣下の合図に応じて、続々と部屋に入ってきた侍女さん方は、手に手に分厚い本を抱えていた。

「まず、貴族の子女が学ぶ一般的な教養を身に付けていただこう。勉学のみならず、礼儀作法、ダンス、裁縫、処世術。それが身に付いたところで、我がハイランディア侯爵家の歴史、作法、領地運営について……」

「ちょ、ちょっと待ってください。それは……」

 そんなの聞いていない。不敬を覚悟で言葉を遮り、慌てて『偽装』ですから、と言おうとしたところで、再び宰相閣下の目が怪しく光った。

「こやつが、本気だというものだから仕方がない」

「……え?」

 こやつ、と宰相閣下が顎で示したのは、私の隣にいるリザヴェント様だった。

「そなた以外の女性を娶るつもりはないと言われたものでね。我が侯爵家も、次の代で歴史に幕を下ろす訳にはいかないのだ」

 冗談などではないと語っている宰相閣下の真剣な表情と、机の上に山と積まれた分厚い本を交互に見ながら、背中を生ぬるい汗が流れ落ちていくのを感じた。

 ……はい。覚悟は決めていました。何度も何度も気持ちが揺れ動く度に、やっぱりリザヴェント様と婚約して守ってもらうんだって。そうするしかないって。……で、速攻で後悔する。私のいつものパターンだ。

 無理無理無理、こんなの絶対無理。これまで、大概無理だと思うこともできるだけ頑張ってきたけれど、これは絶対無理!

 大体、私、元々勉強なんて得意じゃなかったし、もの覚え悪いし、踊りは嫌いじゃないけど運動音痴だからダンスなんてできっこないし。おまけに、侯爵夫人になんてなったら、お屋敷内の差配を任されるんでしょ? 領地の運営? そんなのできませんから!

 何で? 身を守る為に、取り敢えず『偽装』で婚約するんじゃなかったの? どうして、そう宰相閣下に説明してくれなかったの? リザヴェント様は偽装じゃなくても構わないなんて言っていたけど、まさかこんな風に自分の思い通りに事を運ぼうとするなんて。

「早速、本日の午後から、順次我が侯爵家から教師を派遣する手筈は整っている。頑張ってくれたまえ」

 では、そういうことで。とポンと私の肩を叩くと、宰相閣下は颯爽と部屋を後にした。


「……どういうことでしょうか」

「そういうことだ」

 呆然としつつも婚約者様――偽装……のはず――に問いかけ、ポツリと返されたその問いに思わずムカッとして、私の手を取ったままだったリザヴェント様の手を、つい感情的に払った。

「そういうことって、どういうことですか?」

 そう言い返してしまってから、それ以上にほとばしり出そうになる感情を慌ててぐっと飲み込む。

「リナを妻に迎えるなら、侯爵家の嫁に相応しい知識と教養を身に付けて貰わねばならぬと。確かに、叔父の言うことは尤もだ」

 ……それで、リザヴェント様は宰相閣下に言われた通り、私に侯爵家の妻としての義務を押し付けるつもりなんだ。

 思えば、この人は前からずっとそうだった。こっちの思いなんかまるで無視で、いつも強引に私を自分の思い通りに動かして。

 自分が本気で結婚したかったら、私の気持ちなんかまるで無視ですか? それって、シザエルとどう違うんですか?

 噴火しそうになる感情を抑えようと、震える手をぎゅっと握り締めて深呼吸する。

 ……ううん、違う。リザヴェント様はきっと、王命を果たしてお役御免になった後の私の行く末まで考えてくれているんだ。本気で結婚して、今後もずっと侯爵家で面倒を見てくれるつもりなんだ。つまり、それだけ私の事を思ってくれているってことだ。

 だけど、やり方が強引過ぎるよ。貴族社会ではこういうのも有りなのかも知れないけど。振り回されているみたいで、しんどいよ……。

 溜息を吐いた唇が震え、視界がぼやけて涙がポロポロと流れ落ちていく。

「リナ……」

 狼狽えたように私の名前を呟いたリザヴェント様が、慌てたようにハンカチを差し出してくる。それで目元を押えていると、思い詰めたような声が降ってきた。

「……私との結婚が、そんなに嫌か?」

 嫌とか、嫌じゃないの問題じゃない。

 リザヴェント様のことは嫌いじゃないし、私の為を思ってくれているのも分かるし、それはとても有り難いことだと思う。でも、有無を言わせないやり方で結婚まで強いられると、さすがに私にも我慢の限界がある。でも、エクスエール公爵の企みを阻止するためには仕方が無いってことも分かっているから、拒否することもできない。かといって、こんな重過ぎる課題を背負わされたら、身も心も押しつぶされそうになってしまう。

 そんな複雑な心情を、涙と鼻水に嗚咽まで混じって息も苦しい中、落ち着いてちゃんと説明できるような状況じゃないのに、……今そんなことを聞きますか?

 ただしゃくり上げるだけの私の頭上に、リザヴェント様の声が冷たく響いた。

「だが、これはお前の為なのだ」

 ……ああ、またこれだ。

 この世界に召喚された時。王女救出の旅の途中。再度城に連れ戻された時……。これまで、この人は幾度も私に、生きる為に必要な努力を求めてきた。今回も、それと同じ。

 きっと、リザヴェント様が言うのなら、この道が私にとってベストなんだろう。そこに、異世界から来た判断能力の低い私の感情なんて、差し挟む余地もない。

「……分かりました」

 そう呟くように答えながら、胸が痛くて苦しかった。

 元の世界で、理奈は短い髪の方が似合う、フリルの付いた洋服よりTシャツの方が似合う、と言われるがままに従ってきた時と同じ。けれど、言い知れない虚しさが襲う中、判断を他人に委ねた安堵感に似た気持ちが片隅に確かに存在している。

 結局、私はこうやって生きる運命なのかも知れない。私の為にベストな道を提示してくれる人の意見に従い、自分で自分の歩む方向を決めない。

 だって、私には本当に正しい道なんて分からないし、自分で選んだとしてもきっと後悔するのは目に見えているから。


 了承したからには、侯爵家夫人に相応しい知識と器量を備える為に努力しなければならない。そう覚悟を決めたものの、その覚悟はその日の午後には早々に砕け散った。

 何故かは分からないけれど、この世界に来た時から言葉も通じたし、文字も読むことができた。でも、それが可能なのは、どうやら元の世界でできていたのと同じレベルまでだったみたいだ。

 勉学の教科書として積み上げられた本の内容は、読んでもまるでちんぷんかんぷんだった。侯爵家から派遣されてきたという眼鏡の教師に解説してもらっても、その内容が難し過ぎて半分も理解できない。

 クラクラする頭を抱えて唸っているうちに講義の時間が終わり、続いてダンスのレッスンが始まった。懸念していた通り、指示される通りに身体が動かない。大人の余裕を浮かべていたダンス教師の額に青筋が浮かび、声が段々と荒くなる。

 ……無理だぁ。

 元々、積極的にやりたいことじゃないのに無理矢理やらされている感があるから、モチベーションも低い。剣や魔法等の訓練とは違って、命が掛かっているからやらなきゃ、という危機感もないから、必死さも無い。

 更に追い打ちをかけたのは、担当の時間が終わって帰っていく教師たちの、絶望感に満ちた表情だった。「こいつ、こんなんで大丈夫か?」という心の声が漏れ出ているような彼らの溜息が、まるで私を責めているように聞こえる。

 できれば、もうこれ以上他人に迷惑を掛けたくないのに、私の至らなさが彼らにまで不快な思いをさせていると思うと、更に気分が落ち込んでしまった。

 だから、その人が突然床を踏み鳴らして現れた時にも、肉体的にも精神的にも疲れ切っていて、長椅子に突っ伏したまま顔も上げられないでいた。

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