51.信じて、頼っていいですか
ハンナさんが他の侍女さんに指示を伝え、誰かを呼びにやらせている。きっと、さっきアデルハイドさんに頼まれた事なんだろう。
その間に、私は再度、アデルハイドさんに同じ質問をぶつけた。
「大丈夫だったんですか? 公爵令息が、ノヴェスト伯爵に養子の話を邪魔するような陰口を吹き込んだりしたら……」
「心配するな。大丈夫だ」
いやいや、余裕のある笑顔でそう言われても。もし、これで養子の話が白紙になったりでもしたら、確実に私のせいだ。冬が来る前に話を纏めないと、ハイデラルシア村の人々は春を迎えられないかも知れないのに。
でも、何度かうじうじと同じ質問を繰り返すと、さすがにイラッとしたのか、アデルハイドさんに「しつこい」と睨まれてしまった。久しぶりに浴びる強烈な眼光に、怖いというよりは、何故かもの悲しさを感じた。
もうこれ以上この件について聞くことはできないので、仕方なく話題を他のことに切り替える。
「アデルハイドさんが公爵令息に花束を返した時、この行為の意味がどうとか言っていましたけど、あれってどういう意味があるんですか?」
「ああ……」
一瞬、遠い目をしたアデルハイドさんは、不意にニヤッと意地悪な子供みたいな笑みを浮かべた。
「あれは、赤い薔薇を突き返した男が、贈った男に対して『この女は俺のものだ、分かったら二度と手を出すな』って言ったのと同じだ」
「うえっ!?」
妙な声を上げてしまったのは、その行為の意味に驚いたからじゃない。
そんなもの、その後の二人の会話を聞いて、何となく想像はついていた。……そうじゃなくて、面と向かってそう言ったアデルハイドさんの挑発的な表情に、とんでもなくときめいてしまったからだ。
「あの場にリザヴェントがいなかったから、俺が代理でやってやったんだ。勘違いするんじゃないぞ」
「……分かってます」
釘を刺されて、自分でも不思議なほど不機嫌になってしまう。分かってますよ、分かってますけど……。
「その赤い薔薇を、返された男が持ち帰るってことは、『分かりました、二度と彼女には近づきません』っていう意味になるんだが。果たして、あの愚息はそのつもりであれを持ち帰ったのかが疑問だな」
「動揺して、うっかり持って帰っちゃったって感じもしましたけど」
「だな。でも、あのままあの花束を俺に投げ返してきていたら、その場で決闘になっていたからな。愚息の為には良かったかもしれないが」
「うえっ……」
まさか、そんな意味があろうとは。
「まあ、そうなっていたら、俺としてはリナの分も含めて、全力で応じるつもりだったけどな」
そう言いながら、アデルハイドさんは嬉しそうに指の関節を鳴らしている。
……もう、凛々しい目元に茶目っ気を浮かべて、そんなこと言わないでください。勘違いしちゃいますからね?
「リナ、大丈夫か?」
部屋に飛び込んで来たリザヴェント様は、私を一目見るなりバッと背中から壁に貼り付き、呼吸困難に陥って床に崩れ落ちてしまった。……全く、それが私に対する好意の表れだと言われても、見ていて落ち込むし何だか腹が立ってくる。
そんなリザヴェント様を見て呆然と立ち尽くしたハンナさんは、その症状の原因を知るや、顔を強張らせて拳を震わせた。
「それで以前、リナ様のお部屋から突然走り去ってしまわれたのですね。……なるほど。それで、あのようなことを言われた理由も分かりました」
ん? あのような、って?
首を傾けてハンナさんに無言で問いかけてみたけれど、何と情けない、と随分ご立腹のようだったので、何と言われたのか聞き出すのは諦めることにした。
「全く、いい加減にしろ。今がどういう状況なのか分かっているのか」
アデルハイドさんが鬼のような形相で、床に座り込んで喘いでいるリザヴェント様の胸元を掴んで揺すぶっている。……うーん。この光景、前に何処かで見たことが。
あ、そうだ。王女様を救い出した後、転移魔法を使えるようになるまで魔力を貯めろと言われていたのに、再三魔法を使うリザヴェント様にキレたアデルハイドさんが、こんな風に詰め寄っていたっけ。勿論、その時は、リザヴェント様は今とは正反対に平然としていたけれど。
旅の間も、城に呼び戻された後も、この二人が絡んでいるところをあんまり見たことがなかった。冷静沈着そうでいてマイペースなリザヴェント様と、自由奔放に見えて実は一番旅慣れていてリーダー的な存在だったアデルハイドさん。旅の当初は別として、二人はお互いを尊重しあって、いい距離感を保っているように見えていたけれど、それじゃ済まないこともあるんだ。人間関係って、難しいなぁ。
「リナ様。あんなお人ですが、どうか見捨てないでくださいね」
涙ぐんだハンナさんにそう迫られて、頷くべきかどうか迷う。
見捨てる見捨てないじゃなくて、やっぱりリザヴェント様にとって私の存在は肉体的にも精神的にも、害にしかなってないんじゃないだろうか。
……ところが。
アデルハイドさんから何を言われたのか、しばらくすると、リザヴェント様は冷静さを取り戻した様子でこちらへ近づいてきた。
床に落ちていた薔薇の花弁をさり気なく指先でつまみ上げると、一瞬で凍り付かせて粉々に砕く。キラキラ輝く氷の塵となって舞い落ちる花弁を見つめるリザヴェント様の瞳に、青白い炎がちらついているように見えて、見ていて背筋が凍り付きそうになった。
「怖い思いをさせたな、リナ。だが、安心しろ。エクスエール公爵が、リナの後見人となる許可を国王陛下から得たという事実はない。今朝の御前会議で、まだ議題に上っていなかったのだから。恐らく今回は、あの愚息が先走っただけだろう」
それを聞いて、ホッと胸を撫で下ろす。良かった。もし、王命だとか言われて無理矢理シザエルと婚約することになったらどうしようかと思っていた。
「あのお坊ちゃんは、プライドだけは高いようだからな。いざ正式に婚約という段になって、公衆の面前でリナに拒否されるのを防ぐ為に、脅しをかけに来たのだろう。下衆が」
アデルハイドさんが忌々しそうに吐き捨てるのを聞いて、思わずぎょっとする。
元王族って聞いてから、ついそういう目で見てしまうけれど、アデルハイドさんはこの国では荒くれ者の多い戦士の一人で、元々言動も粗い。貴族の服装でいるのを見ていると、ついついそのことを忘れてしまいそうになる。
「それで、宰相閣下の承諾は得られたのか?」
「ああ。明日の御前会議で、国王陛下に報告してくださるとのことだ」
それを聞いて、安心したような、ついにその時が来たかというような、複雑な気分になる。
私が、リザヴェント様の婚約者。例え偽装だとしても、こんな見た目も能力もずば抜けている人と婚約することになるなんて。
思わず、じっとリザヴェント様を見つめてしまい、その紫の瞳がこっちに向けられたのを見て慌てて目を逸らす。危ない危ない。目が合ったら、またリザヴェント様が呼吸困難に陥って使い物にならなくなってしまうかも知れない。
視線を合わせないように目を伏せながら、上から降ってくるリザヴェント様の言葉に耳を傾ける。
「シザエルは王女殿下との婚約が破談になった後、公爵家の後継者争いで弟より劣勢に立たされているらしい。公爵も、王家からの信頼を踏みにじったシザエルより、元々公爵家後継者として教育を受けていた弟のほうに期待を寄せている節があった」
「ならば、シザエルにとってリナとの縁談は、父親の意向に添い、立場を好転させる起死回生の第一歩だったはずだ。それで、あのやりようとは」
呆れて物が言えない、と呟いたアデルハイドさんに同調して、私も何度も頷いた。
そういう事情があるなら、私を取り込む為に甘い言葉を使って口説くくらいのことをすればよかったのに。公爵家の威光を傘に着て、こっちに命の危険を感じさせるような脅しをかけてくるなんて。公爵家令息としてのプライドが下賤の者に媚びるのを許さなかったのか。それとも、口説こうとする気さえ起きないほど、私の事をお気に召さなかったのか。……多分、両方だろうな。
どちらにしても、王女様はあんな奴と早々に婚約を破棄して正解だ。まかり間違って、王女様の夫となったあいつが国のトップに立つことになっていたらと思うと、背筋が寒くなる。
「だとすると、エクスエール公爵は公爵家後継者の座を餌に息子を焚きつけるほど、リナを手に入れたがっているという訳か」
腕を組んで眉間に皺を寄せたアデルハイドさんに、リザヴェント様が頷く。
「元々、王家に準じる立場のエクスエール公爵家は、叔父が宰相となってから権力を拡大し続けている我がハイランディア侯爵家を警戒しているのだ」
「つまり、権力争いが絡んでいると?」
「ああ。彼の公爵は、私が王命を果たせずに命を落とすことを望んでいる節もある。国王陛下が王命を『魔王討伐』にすり替えようとなされているのも、彼の公爵を含む一派の企みのようだ」
「……腐ってやがるな」
呆れたようにアデルハイドさんが吐き捨て、すぐに苦笑した。
「ま、どこの国でもそういう腐敗はあるものだ。だが、国が揺らぐほどの外圧が掛かった時、その腐った部分から崩壊は始まるぞ」
分かっている、と頷いたリザヴェント様は、一瞬何か言いたげに口を開きかけたけれど、小さく首を横に振った。
「とにかく、魔将軍を倒したことで、我々の存在価値は高まっている。味方に引き入れ、いいように操れるのはリナしかいないと思っているのだろう」
「それが不思議なんだが。普通なら、ファリスやエドワルドを取り込もうとするのが普通じゃないか? 彼らは貴族階級出身だ。身内に取り込むとしても抵抗感が薄いだろうが」
「ファリスの実家マジェスト侯爵家はどっちつかずの日和見主義だが、ファリス自身がエクスエール公爵に良い感情を抱いていない。あの男は、あれで意外と好き嫌いが激しいからな。エドワルドも然りだ。彼の生い立ちを考えれば、エクスエール公爵家に繋がるような縁談を受け入れるはずがない」
それに、お前はいいように操られてくれる質じゃないだろう、とリザヴェント様に言われて、アデルハイドさんは「確かに」と苦笑した。
だとしたら、結果的に私の弱さがシザエルの暴走を許したことになる。
弱い者虐めじゃないか、酷い! と理不尽さに涙が出そうになるけれど、きっとそんな感情的な訴えなんて通用しない。だって、ここはグランライト王国の権力の中枢である王城だ。ドロドロした権力争いが繰り広げられている、まさに中心部。元の世界で女子高生をやっていた時と同じ感覚でものを考えていてはいけないんだ。
私の立場が危ういもので、悪意ある者に利用されようとしているなら、どんな手を使ってでも守って貰わないといけない。シザエルの態度からして、エクスエール公爵家が私の幸せを望んでいる訳ではないことは、嫌と言うほど分かったから。
視線を上げて、リザヴェント様の目を見つめる。あなたを信じて、あなたを頼っていいですか、という思いを込めて。
ところが、私の視線に気付いてこっちを見たリザヴェント様は、クッと息を詰めた後、真っ赤になって口元を押えながらそっぽを向いた。
……何か。
発作を堪えているんだ、と分かってはいるけれど。
それでも不安な気持ちになってしまうのは、やっぱり前回の旅が終わった後のことが心の傷になっているからなんだろうか。