5.魔導師リザヴェント
今回は魔導師リザヴェント視点のお話です。
この世界には人間の他に魔族が存在し、それらは魔物を配下に置き、年々人間の領域を浸食している。
我がグランライト王国の王女が魔王に攫われ、彼女を救う術を求めて神殿で儀式が行われた。その結果、神官が受けた神託に従って私が古代魔法で召喚した少女リナは、想像していた『最終兵器』たる人物像とはかなりかけ離れた人物だった。
内心驚きつつも、魔法陣の中で呆然としているリナにこちらの事情を説明する。その間も、全てを話し終わった後も、彼女はこちらの話を理解したのかしていないのか、驚くほど冷静だった。
冷静、……いや、ただ単に鈍感だっただけなのだろう。落ち着いているというよりは、ただポカンとしていた様子だったから。
異世界から召喚されたばかりのリナは、当然こちらの世界のことを何も知らない。それなのに、我らが国王陛下は王女可愛さに、碌な準備期間も設けずに我々を旅へと送り出した。
一騎当千と言われる強者揃いの王女救出メンバーの中で、リナは浮いた存在だった。彼女は神託によって、王女救出にはなくてはならない存在として召喚された人物だったが、こちらが呆れるほど何もできなかった。
剣が扱えない、魔法が使えない。それは分かる。馬に乗れないことも、女性ならば仕方のないことだと思う。だがしかし、平民の女性だから当然できるだろうと踏んでいた料理等の家事全般も壊滅的だったのには驚かされた。魔法が使えないのに、火打石で火を熾すこともできなければ、熾した火を絶やさないように薪をくべることさえできない。
騎士ファリスや、戦士アデルハイトといった野営や旅の経験を持つメンバーが、まるで厨房の新入りを鍛えるようにリナに教育を施した。けれど、彼女は第三者目線のこちらから見ていても苛々するほど不器用で、いつか誰かに刺されるのではないかと心配になるほどだった。
けれど、それは決して他人事ではなかった。メンバー同士の話し合いで、リナに戦う術を身につけさせなければ、という結論に至ったからだった。
人間が支配する国にいる間なら、彼女一人ぐらいは守ってやれる。だが、魔王の治める国に侵入するとなると、我々だけでも命の保証はない。
ファリスが剣と馬術を、アデルハイトが体術や兵法を、神官エドワルドが学術全般をと、各々が得意な分野をリナに教えることになった。
勿論、私の担当は魔法だ。
幸い、彼女には魔法を使える素質はあった。ただ、先ほども述べた通り、彼女は驚くほど不器用だった。私がこれまで教育していた王立学院の生徒の中にも、これほど要領の悪い者はいなかったように思う。
唯一救いだったのは、メソメソ泣きはしても、リナは決して逃げずに我々のしごきに耐え続けたことだった。
異世界ではよくあるらしいが、こちらでは女性では有り得ないほど短く切った髪はボサボサ、肌は日に焼けて赤くなり、身体の至る所が傷だらけという、嫁入り前の娘とは思えない哀れな姿のまま平気でいるリナ。
けれど、時々こちらが精神的に追い詰められたり、気弱になったりした場面で、驚くほど気の利いたことを言うこともあった。
そんなことを言う余裕があれば、お前はもっと頑張れ。
何もできないリナに励まされたことにイラッときて、ついついキツイ返答を返してしまうこともあった。たまに、感極まって返答に窮し、無言のままやり過ごすこともあったが。他のメンバーも同様だったのか、リナに励まされると笑い飛ばしたり突っぱねたりした後、何とも複雑な表情をしていた。
厳しい旅の末、何とか魔王の隙を突いて王女を救出することができたものの、その後が大変だった。
計画では、王女を救出した後、私の移動魔法で人間の支配地まで飛ぶ予定だったのだが、予想外に魔力の消耗が激しく、充分に魔力が回復するまで数日間、魔族の国で追手に怯えながら逃げ回ることになってしまった。
その間、リナは温室育ちの王女の世話に明け暮れていた。王女が次々に繰り出す無理難題に振り回されながらも、決して愚痴など言わずに献身的に尽くしていた彼女の健気な姿に、その時初めて彼女がいてくれてよかったと思った。
そして、ようやく城に辿り着いた時、我々は疲れ切っていた。
ひとまず自宅に戻って休息を取れば、疲れが抜けきらないうちから本来の魔導師としての業務が滞っていると残務処理に忙殺される日々。
ようやく一息吐くことができたのは一月後。いつの間にか、城からリナの姿が消えていた。
「リザヴェント様。そう言えば、例の『最終兵器』の少女はどこにいったのでしょうかねぇ」
不意にそう部下に言われ、こいつは何を言っているのだろうと思った。
「城内のどこかにはいるのだろう」
「いえ、もうとっくに城から出されたそうですよ」
……出された?
その言葉が引っかかったのが、リナの行方を調べるきっかけとなった。
驚くことに、旅のメンバーの誰もがリナの行方を知らなかった。叔父である宰相に尋ねて、ようやく彼女が片田舎の領地に移り住んだことを知った。
本来ならこの城で厚遇するのが筋であるのに、王女救出の功労者であるリナに対して、これは余りに酷い仕打ちではないか。
そう怒りが沸いたが、田舎でのんびり暮らすことをリナ自身が望んだのなら、それは仕方がないことだ。彼女にはそういう生き方が合っているのだろう、と思い直した。
だが、それから二月後。
王女を奪い返された魔王は、今度は軍を組織して我が国に侵攻してこようとしている、という情報がもたらされた。いくら我が国が周辺国と同盟を結んで対抗したとしても、とても魔王軍を正面から撃破することはできない。
重苦しい雰囲気に包まれた御前会議の場に、新たな神託が下ったと報告がもたらされたのは、それから間もなくのことだった。『王女救出を果たした者たちが、この危機を救うだろう』と。
それを聞いた国王陛下をはじめとする首脳陣たちはこう言い出した。一度、魔王の懐まで飛びこむことができた王女救出メンバーなら、魔王を暗殺、いや、それは無理でも魔王軍をかく乱して撤退に追い込むようなダメージを与えることはできるのではないか、と。そして、彼らはそのメンバーに、当然のようにリナも選んだ。
その場に旅のメンバーの誰か一人でもいたなら、その決定に異を唱えることができたかも知れない。だが、王宮魔導師代表として会議に参加していた魔導室長をはじめ首脳陣らは、リナの実力を正確に把握していなかった。
彼女は確かにあの半年に渡る旅で成長した。だが、魔族の国に乗り込んで魔王の命を狙える実力があるかといえば、答えは否だ。
だが、神託を受けて確定した王命は、どんなに抗おうとも覆せない。仕方がなく、私がリナを移動魔法で迎えに行くことになった。
一度訪れたことのあるその領地の領主の館まで移動魔法を使い、領主に事情を説明してリナの住まいを教えてもらったのだが、実際に足を運んでみて驚いた。田舎とは聞いていたが、まさかこれほど人里離れた一軒家とは思っていなかった。少女が一人暮らしをするには、余りに危険な環境ではないか。特に今のような夜間は周囲も真っ暗で、私ですら薄ら寂しさを覚えるほどだ。
それでも、リナも身を守る術を学習したようで、ちゃんと家のドアや窓には防護魔法が施されていた。我が弟子の成長に、思わずほろりとしてしまう。
だが、彼女が私の声を覚えていないどころか、名乗っても私だと信じて貰えなかったことに愕然とした。彼女とはそれほど信頼関係を築けていなかったのか、と改めて思い知らされ、それが思った以上にショックだった。
挑発されたので、遠慮なく防護魔法を打ち破って乗り込むと、リナは剣を構えていた。そこまで警戒されたことに寂しさを覚えつつ、元気そうな姿を見てホッとする。だが、見回してみて、屋内のあまりの質素さに唖然とした。これは、国の功労者に与えられるべきものとしては、あまりに粗末過ぎる。
ここを出て行く準備をさせると、リナは何を勘違いしたのか、食糧まで荷物に詰め込もうとした。それでようやく、自分が彼女に城に戻るのだと言い忘れていたことに気付いた。
拒否されたり抗われたりしても、何と言ってリナを説得していいか分からない。だから、そんな余地を与えまいと支度を急かし、彼女の手を引いて移動魔法で城に戻ると、何故かリナは泣いていた。
私が泣かせたのか? 思わず動揺して、リナの手を掴む手に力が入ってしまう。
今まで独りにしていて悪かった。異世界から召喚され、こちらに身寄りも誰一人いない少女をもっと気に掛けるべきだった、と後悔が押し寄せて来る。
それなのに、私は更に追い打ちをかけるように、彼女に辛い使命を伝えなければならなかった。
城に連れ戻した理由を告げると、常から表情の変化に乏しい彼女が愕然とした表情を浮かべるのを見て、胸が締め付けられた。
見ていられなくて先を急いだものの、ふと気が付くと、リナはその場に立ち止まったままだった。
……それはそうだろう。
そのまま逃げられても仕方がない、そう思って見つめていると、リナは小さく溜息を吐いてこちらに向かって歩いてきた。
逃げても逃げ切れない。逃げれば私達が彼女を追うことになる。だから、彼女が大人しく従ってくれる姿にホッとしたものの、どこか諦めたようなリナの態度に言い知れないもの悲しさを覚えた。だが、彼女に何と言って声をかけていいか分からず、ひたすら黙って歩き続けるしかなかった。