48.それでいいのなら
王女様から事前に、リザヴェント様は私の事を好きだ、という情報を聞いていなかったら、驚きのあまり卒倒していたかも知れない。信じられないけどそうかも知れない、という認識はあったものの、実際に目の前でこうもはっきりと告白されると、息の仕方さえ忘れてしまいそうなほどの衝撃を受けてしまった。
それは、他の仲間達も同じだったようだ。何故か呆れたように額を押えているエドワルド様を除いて、後の二人は愕然として目を見開いている。
「ともかく、これまでの経緯を詳しく事情を説明して貰えますか。何故、リナがハイランディア侯爵家の庇護下に入るという話になったのか、まずはそこからお願いします」
嘆息したエドワルド様に促され、そちらに向き直ったリザヴェント様は幾分いつもの冷静さを取り戻していた。
「エクスエール公爵がリナの後見人に名乗りを上げるという情報が、宰相閣下を通じてもたらされた。愚息の汚名を雪ぐのが目的だろうが、恐らくリナを無理矢理にでも魔王討伐に従わせる為の布石でもあるだろう。彼の公爵のことだ。出来得る限り、リナを自分の都合のいい駒として扱い、その功績さえ公爵家のものとするだろうことは目に見えている。そのような許しがたい状況を避けるには、リナを我がハイランディア侯爵家の庇護下に置くしかない」
「なるほど、そういう事情があったのですか」
納得したように頷いたエドワルド様だったけれど、次の瞬間、挑むような目つきになって長身のリザヴェント様を見上げた。
「では、そこに私情は全くなかったということでしょうか」
即座に、リザヴェント様がキッパリと答える。
「勿論だ。仲間を守らねばという責任感に満ちていたからこそ、常とは違い冷静でいられた。だが……」
リザヴェント様が途中で言いよどむと、大きな溜息を吐いたエドワルド様が口を挿んだ。
「いざ、リナがその提案を受け入れた途端、嬉しさのあまりつい興奮して冷静さを欠いてしまったと?」
「……その通りだ」
しおらしく吐息交じりに答えたリザヴェント様の声は、クラクラするほど艶っぽい。
そうか。リザヴェント様が昨日から私に普通に接するようになっていたのは、責任感が先に立って感情を抑えることができていたからなのか。
……っていうか、そこまでリザヴェント様のお気持ちを聞かされて、一体私はどういう反応をすればいいんだろう。
これまでの人生、誰かに告白されたことなんて一度もなかった。その人生初のお相手が、まさかリザヴェント様だなんて。
リザヴェント様は大切な旅の仲間であり、魔法の師であり、この世界で私のことを多少なりとも気に掛けてくれている貴重な人の一人だけれど、異性として好きか、と言われるとハッキリ言って良く分からない。侯爵家の跡取りで、魔導師としての能力もずば抜けていて、仕事もできて、超美形で、厳しいけれど優しいところもある。そんなリザヴェント様は、正直、私には勿体なさ過ぎて畏れ多い。
せめて、リザヴェント様にあるのが、仲間を守らねばという責任感だけだったら、私だってエクスエール公爵に利用されない為って割り切って応じることができたかも知れない。でも、リザヴェント様の本心を知ってしまったら……。
リザヴェント様がこちらに向き直る。視線が合って、思わずビクッと肩が震えた。
「聞いた通りだ、リナ。どうやら私は、お前に恋をしてしまったらしい。私の事を受け入れがたいというのなら、それでも構わない。だが、これはお前の身を守る為なのだ。どうかこの提案を受け入れてほしい」
そう言われましても。これでその提案に乗ったら、リザヴェント様の気持ちを利用して踏みにじるみたいで心苦しい。でも、じゃあそのお気持ちに応えてリザヴェント様を受け入れよう、という気持ちにはなれない。だって……。
「だが、リザヴェント。その様子では、そちらの身がもたないのではないか?」
意地悪そうに歪めた表情を浮かべたファリス様が、やや前傾姿勢になって胸元を押えているリザヴェント様の肩をポンと叩く。
「いや、問題ない」
「問題ない訳がないだろう!」
明らかに強がっているリザヴェント様に、ファリス様が激昂して声を荒げた。
「まともに目を見て話すこともできない。そんなザマで、良好な夫婦関係が保てると思っているのか!」
うっ、と呻いたリザヴェント様を放置して、ファリス様は私に視線を定めた。
「いいか、リナ。ハイランディア侯爵家の庇護下に入るということは、早い話がその家と婚姻関係を結ぶということだ。それは分かっているな?」
ファリス様にそう問われて、はい、とぎこちなく頷く。
もし、アデルハイドさんのことでエドワルド様からそういう貴族の事情を聞かされていなければ、ここでぶっ飛んでしまうところだった。まあ、そういう事情を知らなかったら、きっと昨日のうちに二つ返事で了承してしまっていただろうけど。
「もし、これが我が国の貴族出身者の場合なら、家族の誰かとハイランディア侯爵家の誰かとの縁組で事足りる。だが、リナの場合、そういう訳にはいかないから、ハイランディア侯爵家の誰かと結婚することになる。年齢が近いところで言うなら、相手はリザヴェントだが、他に考えられるのは分家の……か、……、……もいるな。独身ということであれば、数年前に奥方を亡くされた宰相閣下も対象になる」
……え? お相手はリザヴェント様じゃないかも知れないの?
あまりに意外な展開に、ポカンとしてしまう。
初めて聞く名前ばかりだったから聞き取れなかったけれど、分家にも適齢期の独身男性がそんなにいるんだ。……っていうか、宰相閣下って。
リザヴェント様は母親似なのか、父方の叔父だという宰相閣下とは全く似ていない。宰相閣下は中肉中背、落ち着いた感じの人当たりのいいおじさんだ。いつも国王陛下の斜め後ろで苦笑いを浮かべている印象がある。
いや~、さすがに宰相閣下は無いでしょう。でも、そっかぁ。リザヴェント様がお相手とは限らないんだ……。
「いや。ここは私が責任を持ってリナを幸せに……」
「出来ると言えるのか?」
リザヴェント様の言葉を遮ったファリス様は、威圧的な態度を崩さない。
「第一、その様子ではリナに指一本触れることさえできないだろう。そんな男が夫では、リナが可哀想だとは思わないか」
「それは……」
真っ赤な顔を更に赤くしながら、涙目で狼狽えるリザヴェント様。
さっきから、これまで私の中に構築されていたリザヴェント様のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れまくっている。よく分からない人だと思っていたけれど、こんな一面もあるんだなぁ。何だか、ますますよく分からなくなってきちゃった。
「でも、その方が、都合がいいとも言えるけれどね……」
「それはどういう意味だ」
ファリス様は、リザヴェント様に向けていた厳しい視線をそのまま、謎の呟きを発したエドワルド様に向ける。
「要するに、エクスエール公爵がリナの後見人になるのを阻止するのが目的なんだよね。だったら、何も本当に婚姻関係を結ぶ必要はないんじゃないか?」
「あ……」
つまり、ひとまず私をリザヴェント様の婚約者ってことにしておいて、エクスエール公爵が諦めたら婚約を解消すればいいんだ。
「王子殿下が戻られて、貴族間の勢力図が変われば、彼の公爵も方針を変えずにはいられないだろう。それまでの偽装工作ってことで。リナに手を出せないリザヴェントは、ある意味とても最適な婚約者役と言えるんじゃないか?」
「なるほど。そう言われればそうだな」
エドワルド様の説明に納得し、感心したように頷くファリス様。その横では、リザヴェント様が不満げに腕を組んで、むっつりと黙り込んでいる。
リザヴェント様には悪いけれど、正直、ホッとした。だって、うちの父ほどの年齢の宰相閣下や、顔や名前も知らない……名前は聞いたけど聞き取れなかった……分家の子息と結婚するよりは、リザヴェント様と婚約者の振りをする方がどれだけいいか分からない。
小さく安堵の溜息を吐いた時、エドワルド様の投げかけた声に、何故か心臓が跳ねた。
「さっきからずっと黙ったままですが、あなたはどう思いますか? アデルハイド」
「俺か? ……俺は別に。リナがそれでいいのなら」
どこかよそよそしいアデルハイドさんの声が胸に刺さる。浮かべている微笑みはどこか作り物めいていて、俺には関係ないし興味もないと言われている気がした。
今日も、アデルハイドさんは貴族の平服を着ている。きっと、長い前髪をちゃんと整えたら、今よりもっと立派に見えるんだろうな。
真実を知ってしまったからなのかも知れないけれど、アデルハイドさんにはどこか特別な雰囲気がある。例え国が滅びて異国で戦士になったとしても、生まれ持った王族の気品というものは滲み出てくるものなんだな。
ノヴェスト伯爵家へ養子に入る話は進んでいるのだろうか。お相手の貴族令嬢とは、もう会ったのかな。冬が来る前に、ハイデラルシア村の人達を環境のいい土地へ移動させてあげられそうなのかな……。
聞きたいことはたくさんあるけれど、聞くのが怖くて言い出せなかった。
もし、話が良い方へ進んでいたら、喜んであげなければいけない。でも、そうしなきゃと思うと、何故か胸がとても痛くて、苦しくてしょうがなくなってしまうから。