47 昨日のお返事ですが
王子様から国王陛下のご意志を明かされても、トライネル様は驚いた顔一つ見せなかった。ということは、事前にその情報を耳にしていたのかも知れない。
「殿下。それにつきましては不確定事項でございます。そのような王命はまだ下されてはおりません」
あくまで冷静に対処するトライネル様を、王子様は顔を歪めながら鼻で笑った。
「時間の問題だ。宰相が説得に当たっているようだが、老害どもが余計なことを申し上げて陛下を惑わせている。そなたらも、覚悟はしておくんだな」
こちらに向けてそう一方的に言い放つと、王子様は席を立ち、入ってきた上座の扉から颯爽と出て行ってしまった。
「……全く。相変わらず嵐のような御方だ」
沈黙の降りた会議室の中で、トライネル様が苦笑交じりに呟く声がやけに響いた。
「閣下。今のお話は本当なのでしょうか」
それまで沈黙を守っていた旅のメンバーのうち、ファリス様が困惑した様子で口を開いた。
「殿下のお言葉を疑っている訳ではありません。ですが、例え今回のことで王命が果たされたとされなくとも、我々は以前決定された方針通り、魔王軍のかく乱を目的に旅立つことになるとばかり思っておりました。それが、よもや魔王討伐とは」
「私も直に陛下からお考えを伺った訳ではない。だが、殿下がおっしゃられたことは、残念ながら事実だ」
トライネル様の返答に、軍幹部の方々や騎士団長も驚きの表情を浮かべて騒めいている。
「だが、さっきも言った通り、これはまだ不確定事項だ。本日は、先ほどの報告も踏まえた上で、先に決定していた方針の変更すべき点等について話し合う予定だったのだが」
どうやら、そういう空気ではなくなってしまったな、とトライネル様は再度苦笑する。
その後、トライネル様が言った本来の趣旨に従って話し合いが再会されたのだけれど、さっきの王子様の発言が気になって、話の内容が全く頭の中に入って来なかった。
もし、神託が示す『この国の危機』がヴァルハミルの襲撃を指していたのだとしたら、私達が魔王討伐に向かうこと自体、神託とは無関係のただの無謀な挑戦でしかないんじゃない?
そうだとしたら、成功するという保証なんて全くない。寧ろ、神様から見たら「そんなことやれなんて、一言も言ってないのに。馬鹿な奴らだ、自ら死地に飛び込むとは」って感じじゃない? でも、もし正式に魔王討伐の王命が下ったら、嫌でも従うしかないし。
本当のところはどうなんだろう。魔王を倒すまで、『この国の危機』を救ったことにはならないのかな。誰でもいいから、正解を教えて欲しい。何がどうなれば、私は自分に課せられた使命を全うできたってことになるのかってことを。
もし、『最強少女マリカ』の続巻を読んでいたら、迷うことも不安に感じることもなかっただろう。でも、私がこの世界に来た時にはまだ続巻は発売されていなかったから、この先どうなるかなんて知る由もない。
主人公マリカが魔王を倒す展開になるんだったら、私も魔王討伐に向かわなくちゃいけないんだと思う。城に連れ戻された当初はそう思っていた。でも、もしそうでないのなら……。
不意に音を立てて、会議室内の人々が席を立つ。その音に驚いて我に返るまで、話し合いが終わったことにも気づかないくらい、深く考え込んでいた。
「全く、殿下にも困ったものだ」
ファリス様は苦笑まじりに呟くと、腕を組みながら机に腰を下ろす。騎士としても貴族としてもお行儀が悪い姿勢だ。でも、長身でかつスラリとしていて足が長いと、どんな姿勢でも様になるよねぇ、とそのカッコよさに思わず嫉妬してしまう。
「帝国留学を経験されて成長されたかと思っていたが、相変わらずのご様子だな」
「そのようだな」
リザヴェント様が、全くその通りだとばかりに頷く。なるほど、お二人ともお城勤めが長いそうだから、王子様のことも昔から良く知っているんだ。
会合が終わり、軍幹部の面々や騎士隊長が退出する中、私達王女救出メンバーは会議室に残っていた。全員が顔を揃えたのは、あのヴァルハミルとの戦闘開始時以来だ。
「昨日帰国された後、早速各方面からの情報収集を行われたようだ。すでに殿下は城内の現状について、ほぼ把握されていると言っていい」
そう言うリザヴェント様も、随分と王子様の行動に詳しいよね。ああ、もしかしたら、宰相閣下からいろいろ情報を貰っているのかも知れない。エクスエール公爵の企みも、宰相閣下からの情報提供でいち早く把握していたみたいだし。
「殿下の口振りでは、我々が魔王討伐に赴くのは反対のように聞こえましたが」
口元には微笑みを浮かべているエドワルド様だけれど、やや細めた目は笑っていない。ご機嫌斜めの原因は、どう考えても勝手に方針転換しようとしている国王陛下だ。
それに対して、リザヴェント様は肯定する。
「そうだな。どうやら、殿下はヴァルハミルを倒したことで、王命は果たされたとお考えのようだ。魔王討伐などという無謀な命令を下して、優秀な人材を失うことは国の損失になると漏らしていたらしい」
へぇ~。そんな風に考えてくださっているんだ。だったら、私は王子様を全面的に支持します!
大体、ヴァルハミルが襲ってきた時に、この四人がいたから良かったものの、もしいなかったらどうなっていたことか。魔物を効率的に倒せたのだって、ファリス様の提案でアデルハイドさんが指導して、リザヴェント様やエドワルド様を通して騎士団や守備兵と魔導室、それに神殿も連携して協力体制を取っていたからだし。
……って、あれ?
小説では、第一巻の終わりで、旅のメンバーは主人公マリカと一緒に旅に出ちゃったんだよね。だから、本当なら、王女様を奪い返されたことを知ってヴァルハミルが城にやってきた時には、この四人は誰も城にいなかったはず。当然、城内の人々には魔物と戦うための指導もされていない。
……もしそうだったら、この城は今頃どうなっていたんだろう。
ううん。きっと、第二巻目の冒頭で、新たな神託が下ったって全員城に呼び戻されていたんだよ。私がリザヴェント様に連れ戻されたみたいに。きっとそうだ。そうに違いない。
だって、考えるだけで恐ろしい。この城が炎に包まれて壊滅し、王女様がヴァルハミルの手で再び魔王城へ連れ去られてしまうなんて。きっと、犠牲者も今回の比じゃないほど甚大になっていただろう。
駄目駄目。縁起でもない、そんな想像するなんて、と首を横に振っていると、不意に肩を叩かれた。
「リナ。お前、また自分の世界に入り込んで、人の話を聞いていないな」
ハッと顔を上げると、ファリス様が呆れたように溜息を吐いた。
「お前も、相変わらず困った奴だな」
「すみません。……で、あの?」
皆がどんな話をしていたのか分からず、苦笑いを浮かべて誤魔化しながら、助けを求めるように全員の顔を見回す。と、不機嫌そうに眉を顰めたリザヴェント様が、溜息交じりに口を開いた。
「昨日の件だが、答えは出ただろうか、と私が訊いたのだ」
えっ! いきなりみんなの前で、そんなこと聞きますか!?
本当なら、今日魔導室にリザヴェント様を訪ねて、二人きりになったところでこっそりと返事をするつもりだったのに。これじゃあ、まるで公開プロポーズじゃないか。恥ずかし過ぎる。
「何だ? 昨日の件って」
「さあ」
何も知らないアデルハイドさんとエドワルド様が、不思議そうに首を傾げている。
長い前髪から覗くアデルハイドさんの目が、こちらを見ながら興味深げに輝いている。その表情が、「何だ、お前にも俺みたいにいい話でもあったのか?」と言っているように見えて、胸の辺りがズキンと痛んで、目の奥が熱くなった。
そうだよ。アデルハイドさんだって、貴族令嬢と結婚して貴族になるんだ。それと同じことなんだから、何も迷うことは無いじゃない。
それがこの国で、この世界で生きていくってことなんだ。元の世界の価値観や判断基準を引き摺っていてはいけない。
「実は、リナがハイランディア侯爵家の庇護下に入るかどうかという話をしていたんだが……」
ファリス様が事情を知らない二人に説明をしているのを横目に、ぐっ、と両手を握り締め、お腹に力を入れると、息を大きく吸い込んでリザヴェント様に向き直る。
ファリス様から説明を受けた他の二人が、何か言いたげな表情になったのを見て見ない振りをして、一気に言葉を吐き出した。
「どうか、宜しくお願いします」
言うと同時に、思いっ切り頭を下げた。
……シン、と沈黙が落ちる。
あれ? 私、また何か拙い事でもやらかした? と不安に思いながら頭を上げると、リザヴェント様が片手で顔を覆うように押えていた。その指の隙間から垣間見える顔が赤い。色白のリザヴェント様の肌が、うちの父が酔っぱらった時よりも真っ赤だ。
「……っ」
突然、リザヴェント様は顔を覆ったのとは逆の手で胸元を掴むように押え、苦しそうに喘ぎ始めた。
……えっ。何? 昨日会った時からさっきまで普通だったのに、ここでいきなりまたこの反応?
「どうしたんだ、大丈夫か」
眉を顰めながら、心配そうに手を差し伸べようとするアデルハイドさんを、何故かエドワルド様が止めようとする。
「案じることはありません。実はこれは……」
「ああ、これが、例の女性アレルギーの発作だな!」
ポン、と手を打ったファリス様のあっけらかんとした声が、衝撃波となって私を襲った。
……女性アレルギー? 何、それ。そんなの初耳なんですけど。
だって、リザヴェント様が私以外の女性にこんな反応を示しているところを見たことがない。ということは、女性アレルギーというより、私アレルギーってことじゃないか!
嘘吐きー。王女様の嘘吐きー。やっぱりリザヴェント様は私のことが好きなんじゃなくて、ただ拒否反応を示していただけじゃない。じゃあ、なんで昨日から今日までは平気だったか、なんてそんな細かい事情なんて知らないよ! 要するに、私のある一定の行動なり表情なりが、リザヴェント様の繊細なメンタルに悪影響を与えてるってことなんでしょ。
「……ファリス、君という人はどうしてそういう余計なことを」
「え? は? 違うのか?」
エドワルド様に睨まれて、ポカンとしているファリス様。どうやら、自分が言った台詞が持つ意味を認識していないようだ。
ともかく、そういうことなら事情は大きく変わってくる。
「アレルギー反応を起こすくらい苦手な私に、今までよく付き合ってくれましたね。リザヴェント様のご苦労を思うと、知らなかったこととはいえ、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
深々と頭を下げて再びリザヴェント様を見ると、若干涙ぐんでいるせいか、髪の色よりも若干濃い菫色の瞳が宝石のように煌めいている。いつものような威厳はなく、無防備なリザヴェント様はただただ美しい。そして、リザヴェント様らしからぬこんな姿を晒す原因になってしまったことが、ただただ心苦しい。
「そのような事情があるのなら話は別です。やっぱり、この話はなかったことに……」
「いや、待て。そうではない」
必死な形相のリザヴェント様が、手を伸ばして私の腕を掴む。でも、明らかに溺れているのに泳いでいるんだと主張しているようなその強がりっぷりは、見ていて哀れを誘うだけだ。
「でも、そんな風にいつもお辛そうで、お気の毒で仕方がありません。その辛さを我慢してでも、私をエクスエール公爵の企みから守ってくださろうとしている、そのお気持ちだけで充分ですから」
「そうではない!」
突然、大声を出されて驚いて立ち竦んでいると、リザヴェント様は私を射るような目で見つめながら言い放った。
「……これは、恋だ」