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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
43/135

43.謝らないでください

 ファリス様の執務室を出て自室に戻る途中、厨房の奥を覗いてみた。

 ……いないなぁ。

 いつもの場所、料理長の事務スペースに、アデルハイドさんの姿はなかった。

 リザヴェント様からあんな話をされて、誰かに相談したいと思った時、ふと浮かんだのがアデルハイドさんの顔だった。

 もしかしたら、ノヴェスト伯爵家への婿入り話を進める為に、色々と忙しいのかも知れない。

 そう思いながらキュンと痛む胸を押えて厨房を出ようとした時、ふと聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り向くと、窓の外の裏庭に、こちらに背を向けて立つアデルハイドさんの姿が見える。

 慌てて窓の下に置かれている樽の陰に身を隠しながら、何だか前にもこんな風に盗み聞きしたことがあったなぁと懐かしくなる。

 アデルハイドさんの向かい側に立つ相手は、前に見た若い戦士とは別の人だった。アデルハイドさんよりも年齢が上の、線の細い男の人だ。黒髪だったから、もしかしたらハイデラルシア出身の人なのかも知れない。

「良かったじゃありませんか。これで、お父上様も浮かばれたでしょう。もう、御自分の好きなように生きてもいいのではありませんか?」

「だが、まだ村のことが残っている」

「あなた様が、そこまで背負われることはないのではありませんか?」

「いや。……あの村に皆を閉じ込めたのは、俺だ」

 いつになく追い詰められたようなアデルハイドさんの声に、心臓の鼓動が早くなる。

 閉じ込めたって、どういうこと?

 アデルハイドさんに盗み聞きを見咎められる前に、窓の傍から離れると、厨房を出て走り出す。

 エドワルド様は、本人が話したがらない個人的なことを探るのは良くないと言っていたけれど、待っているだけじゃアデルハイドさんは何も教えてくれない。話してくれるまで待っていたら、お互いに気安く会話のできる関係じゃなくなってしまうかも知れない。

 息を切らして辿り着いたのは、城門の前。身分のある人々が出入りする正門ではなくて、出入りの商人や使用人達の出入りする西門だ。

 予想は的中し、それからしばらくして、黒髪の男性がやや俯き加減に歩いてきた。

「あのっ!」

 思い切ってその男性の前に飛び出し、声を掛けると、驚いたように顔を上げたその人の瞳はアデルハイドさんと同じ空色をしていた。

「何か?」

「ハイデラルシアの方ですよね?」

「はい、そうですが。あなたは?」

「私、アデルハイドさんと一緒に王女様救出の旅に出た仲間のリナといいます。アデルハイドさんのことで、少しお話があるのですが」

 そう言うと、驚いたように目を見開いたその男性は、優しげな笑みを浮かべた。

「あなたが、異世界から来られたという神託の少女ですか。これは失礼いたしました。私は、ダイオンと申します。アデルハイド様が大変お世話になっております」

 随分と丁寧な言葉遣いだ。それに、アデルハイドさんに様付けなんて。

ポカンとしていると、後ろから来た出入りの業者の荷車に危うく轢かれそうになり、ダイオンさんに腕を引っ張られて難を逃れた。

「ここは人の出入りが激しいですし、そこの建物の陰にでも行きましょうか」

 門衛の休憩所を指さしながら、ダイオンさんはニッコリと微笑んだ。


「私は今、城下のギルドに努めております。若い頃は戦士をしていましたが、身体を壊してしまいましてね。それ以前は、ハイデラルシア王国の近衛騎士をしていました」

 そうは思えないほど細身のダイオンさんからは、どこか病的な弱々しさを感じた。

 二人して門衛の休憩所の裏手に回り、そこにある井戸の傍に腰を下ろして話し始める。

「実は、先ほどお二人が裏庭でお話されているのを、少しだけですが立ち聞きしてしまったんです。それで、アデルハイドさんの、村に皆を閉じ込めたっていう言葉が気になってしまって。どういうことなんですか?」

 訊ねると、ダイオンさんは節くれだった手を膝の上で組んだ。

「アデルハイド様は、ハイデラルシアの民に対して申し訳ないという気持ちをずっと抱えているのでしょう。本来ならば、ご自分が護り治めていく民だったのですから」

「……えっ?」

 それはどういう意味だろうと目を見開くと、ダイオンさんは吐息交じりの笑みを浮かべた。

「やはり、アデルハイド様は皆様にお話されていないのですね。元王族であったというご身分も、お父上様がハイデラルシア軍の総司令官であったことも」

 ……全然、知らなかった。アデルハイドさんがハイデラルシアの人々に異常なほど尽くしているとは思っていたけれど、まさかそんな事実があったなんて。

「アデルハイド様を含め生き残られた王族の方々は、この国に辿り着いた祖国の民の窮状を憂い、どこか一所に集まって助け合って生きられる場所を作ろうとされました。けれど、それはこの国にとっては、他国の民が自国内に別の国を作ろうとする行為。警戒され排斥されて、辛い流浪生活に耐えられずに命を落とす者も続出する中、ようや得た安住の地が今のハイデラルシア村です。アデルハイド様は、御自分が戦って稼いだ金で民を支えることで、王族として国を守れなかった罪悪感から逃れようとしているのでしょう。けれど今では、それが返って民の自立を阻害し、逆に苦しめていると思われているようです」

「それで、村に民を閉じ込めているって? 嫌な人は出て行けばいいじゃないですか。確か、前に若い戦士の方が訪ねて来た時に、アルデハイドさんはそう言っていました」

「確かにそうですし、私の様に村の外に出て生計を立てて暮らしている者も多くいます。けれど、そういう術を持たない、誰かに護って貰わないと生きていくことのできない者もいるのです」

 例えば、身寄りのない老人や子供、病気や怪我で働けなくなった者……。村に残っている者の大半は、そんな人達なのだという。その人達の為に、アデルハイドさんはハイデラルシア出身の戦士達に呼びかけて、税金や生活費に充てる資金を送るよう呼びかけていた。けれど、協力者は年々減っていき、今ではアデルハイドさんがその大半を工面するようになっているという。

「だから、もっと気候が良くて重税に苦しまなくてもいい場所に村を移す為にも、アデルハイドさんは……」

 生き残った王族としての責任だと思っているのなら、きっとアデルハイドさんはノヴェスト伯爵の話を受け入れるだろう。寧ろ、そうするべきだ。

 元王族なのに、他国で最強の戦士と言われるまでに己を鍛え上げ、黙って民の為に尽くしてきたアデルハイドさん。悪い噂を流されても、異国の平民だと馬鹿にされても、ただ黙々と自分がやるべきことをやってきた。

 それに比べて、自分は何なんだろう。選ぶべき道を素直に受け入れられないからって、我儘を言って、私よりずっと大変なアデルハイドさんに甘えようとするなんて。

 十七歳で結婚なんて、元の世界ではあまりないことだし、今まで意識することもなかった。でも、この世界では結婚適齢期は元の世界と比べるとずっと若いし、以前暮らしていた田舎の村でも、親の決めた相手と半強制的に結婚させられる人がほとんどだった。

 美人でもない、身分もない、貴族としての知識も器量もない。こんな私でも歓迎してくれると言ってくれたリザヴェント様を、ありがたく思わないといけない。寧ろ、リザヴェント様のスペックを考えると、私には勿体ない人だ。

「リナ様、とおっしゃいましたね」

「はい」

「あなたはどこか、アデルハイド様の妹姫に似ておられるような気がします」

「えっ……」

「もう何年も前にご病気で亡くなられてしまいましたが。ほんのひと時でしたが、彼の姫君が花街で過ごしていたことが、アデルハイド様の心に大きな傷を作ってしまったような気がしてなりません」

「……そんなことが、あったんですか」

 アデルハイドさんが私に優しかったのは、私と妹さんを重ね合わせていたからだったのか。私の頭を撫でて微笑んでいる時、その目が私ではなくどこか遠くを見ているように感じたのも、きっとそのせいだ。

「何か、お悩み事があるようですが、どうかご自愛ください。アデルハイド様の為にも」

 そう言うと、ダイオンさんは先に腰を上げ、本物の騎士に負けず劣らずの所作で私に手を差し伸べた。


 西門を出て一度こちらを振り返り、手を振って去っていくダイオンさんの後ろ姿を見送りながら、その道の先に広がる城下町を眺める。

 ……例えば、ここを通過していく荷車の一つに紛れ込んで、城から逃げたらどうなるだろう。なんて、想像してみる。

 終わりの見えない王命も、政略的な結婚話も全部無視して、この身一つで生きていく。

 でも、そんなことをしたら、その代償としてこの世界でこれまで私が得てきたものを全て失うことになる。仲間や親切にしてくれた人達の信頼を踏みにじり、期待に背き、辛いことから逃げ出す信用できない者というレッテルを貼られる。

 それでも、この門を飛び出して、見たこともない街で暮らしたい?

 ……ううん。そんなことできない。

 主人公マリカが乗り越えていった壁を、私はどうしても越えることができない。

 ……弱虫。

 でも、それが私だから。どうしても、彼女のようには生きられないから。

 大きな溜息を吐いて振り向くと、十歩ほど距離を置いた場所にいつの間にかファリス様が立っていた。厳しい表情を浮かべて腕を組んでいるその後ろには、部下の騎士さん達がさらに距離を置いて控えている。

 何かあったのかな。

 首を傾げながら近づくと、ファリス様にいきなり強く腕を掴まれ、抱き締められた。

「……やっぱり、俺は駄目だな。リナが辛さのあまり、城を脱走したのではないかと疑ってしまった」

 耳元で自嘲気味に囁くファリス様の声にドキッとする。まるで、自分の弱いところを見透かされているようだと思った。

 確か、アデルハイドさんと話し込んでしまい、連絡もせずにいたので心配したハンナさんの知らせを受けて、騎士さん達が城中を捜索したことがあった。あの時、リナが王命を無視して逃げるような子じゃないと言ってくれたアデルハイドさんに、ファリス様は何も答えられずにいたっけ。

 でも、本当は、逃げる勇気もなかっただけ。それは、今も変わらない。

 だから、すまなかった、だなんて謝らないでください。返って、辛くなるだけじゃないですか……。

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