42.二つに一つ
ファリス様のあまりのカッコよさに見惚れて舞い上がっていた気持ちが、あっという間に凍り付いて地面に叩き付けられた気分だった。まるで、氷魔法を食らって墜落していった魔トカゲだ。
……こいつ何浮かれてやがる、的なリザヴェント様の視線の痛いこと痛いこと!
「リナがここにいると聞いてきたのだが」
「ノックもなしに入室してくるとは。遠慮がないのは相変わらずだな」
「遠慮などする必要があるのか?」
遠慮する必要もないほど打ち解けた仲、というには棘が感じられる雰囲気に、ファリス様が困ったものだと苦笑する。
再びこちらに視線を向けたリザヴェント様は、少しだけホッとしたように表情を崩した。
「今日はいつもの格好なのだな」
「え? あ、はぁ……」
「昨日は、また貴族令嬢のような格好をしていたらしいな。そのせいで、対応に出た者がリナだと気付かなかったらしい」
えっ。じゃあ、あの魔導師さんは、本気で「あんた、誰?」って言っていたんだ。
「リザヴェント様に取り次いでくれなかったのも、それが原因だったんですね」
「ああ。この男に集っているように、貴族令嬢が私の所にも来たものだと勘違いしたらしい。勿論、それ相応の報いは受けさせた」
口元に薄笑いを浮かべるリザヴェント様に、思わず背筋が寒くなった。それ相応の報いって、一体何だろう。怖過ぎて、逆に知りたくない……。
「すまなかったな。私の身を案じてわざわざ来てくれたというのに、あの者のせいで嫌な思いをさせた」
いえ、あの、逆に顔を合わせずに済んでホッとした……だなんて絶対に言えない。
気まずくて顔を伏せると、リザヴェント様は不意に私の肩に置かれたままのファリス様の手を振り払い、私の腕を掴んで自分の方に引き寄せた。
「リナ。あまり不用意にこの男に近づくな」
厳しい口調で私を叱責しながらも、目だけはファリス様を睨みつけている。
おや。魔トカゲに襲われたところを助けて貰った時は非常事態だったから別として、リザヴェント様がここまで私に近づくのも、自主的に私に触れてくるのも、本当に久しぶりのことだ。
リザヴェント様に危険な男呼ばわりされたファリス様は、腕組みをしながら真顔で反論した。
「言っておくが、俺はリナに対して不誠実な真似をするつもりはない」
「当たり前だ。そんなことをしてみろ、私がお前を地獄に送ってやる」
何故か、手の早い男から娘を守ろうとするお父さんみたいな台詞でファリス様を牽制するリザヴェント様。
「お願い、私の為に争わないで」
なんて、悪乗りして言いたくなるような状況だった。……いやいや、言ってません。言えませんって。でも、旅の仲間がこんなことでもめるとか、冗談でも止めて欲しい。
……あれ? そう言えばリザヴェント様、今日は苦しそうに胸を押えたりもしていないんだけど。
あの行動は、私のことが好きだからだ、と王女様は言っていた。でも、それが無くなったということは、私のことが好きではなくなったってこと?
リザヴェント様に好かれているかも知れない、と思っていた時には、正直困ると思っていた。でも、そうではなくなったのかも、と思うと、何だか拍子抜けしたような、寂しいような気持ちになるんだから、人の気持ちって本当に勝手なものだ。
「……まあいい。で、何かリナに用事があったんじゃないのか」
リザヴェント様を納得させる努力を早々に放棄したらしく、ファリス様は話題を変えた。
「ああ。昨日のことをリナに謝りたかったのもあるが、無事回復した姿を見せておきたかったからな」
リザヴェント様は、どうだとばかりに両手を広げてみせた。大の大人、しかも超美形のリザヴェント様の子供っぽい仕草に、思わずギャップ萌えしてしまう。
神官さんの話によると、リザヴェント様は落ちてきた瓦礫で相当強く頭を打ったらしく、命は助かっても記憶障害などの後遺症が残るかも知れない、と懸念していたようだった。けれど、もうすでに職場復帰してバリバリ働いているようだし、今日実際に会ってみても全く後遺症が残っているようには見えないので安心した。
「それから、どうしても早急にリナに話しておきたいことがある」
叱る時とは違う真剣なリザヴェント様の表情に、何だろう、と思わず息を飲む。
「リナの後見人として、エスクエール公爵が手を挙げたそうだ」
「……何だと?」
目を剥き、まるで掴みかからん勢いのファリス様を見ながら、不思議に思って首を傾げる。……エスクエールって、どこかで聞いたことのあるような無いような。でも、こうやって二人が渋い顔をしているってことは、何か事情のあるところなのかな。
「その話、どこまで進んでいるんだ?」
「エスクエール公爵が他の公爵家に根回しをしている段階で、その話が叔父の耳にも入ったのだ。早急に手を打てば、今ならまだ回避できるだろう」
リザヴェント様はそう言うと、私の両肩を掴んで顔を覗きこんできた。
「リナ。どうだ? リナにその気がないのなら、この話を阻止することもできるが」
「ちょっと待ってください。その前に、エクスエール公爵ってそんなに良くない人なんですか? お二人がこのお話を快く思っていないのは分かるんですが、理由が分からないので……」
すると、リザヴェント様は切れ長の目を見開き、ファリス様は苦笑いを浮かべながら呆れたように首を左右に振った。
「エクスエール公爵の子息は、王女殿下の元婚約者シザエルだ」
「あっ……」
どこかで聞いたことがあるとは思っていたけれど、すっかり忘れていた。
小説では救出された王女を後目に主人公マリカに入れあげ、現実では王女の不在をいいことに複数の貴族令嬢に手を出していた、どうしようもない令息。
「あの愚息、今度はリナに手を出そうとしているのか」
ファリス様が、忌々しそうに呟いて拳を固めた。
「いや。それよりは、息子の失態で負った汚名を返上する為に、王家に恩を売るつもりなのだろう」
拳を震わせるファリス様の想像を、あっさりとリザヴェント様は打ち消した。
ですよねー。いくら節操のない人だからって、誰でもいいって訳じゃないでしょう。王女殿下に婚約を破棄されたからと言っても、周囲にはあんなに綺麗で身分もある貴族令嬢がたくさんいるんだから。
王家に恩を売るつもり、という意味はよく分からないけれど、そうすることによって公爵家に何か有利になることがあるんだろうな。
「リナ。エクスエール公爵家に入るつもりはあるか?」
改めて投げかけられた質問に、必死で首を横に振る。
だって、貴族家に養子に入るってことは、結婚ってことだってエドワルド様も言っていたし。冗談じゃない。何で今更、小説のストーリーを無理矢理ねじ込んできたみたいに、あの公爵令息とそういう関係にならないといけないの?
「ならば、我がハイランディア侯爵家が後見になる。それでいいな?」
「……は?」
リザヴェント様の信じられない提案に、思わず固まってしまった。でも、それって……。
「待て、リザヴェント。それなら俺も……」
「エクスエール公爵家を出し抜くには、マジェスト侯爵家では荷が重い。しかも、お前の実家は恐らくこの話に乗るつもりはないだろう」
ファリス様は何かを言いかけたものの、リザヴェント様に簡単にあしらわれて、クッ、と顔を赤くしながら言葉を飲み込む。
「どうだ? リナ。無理強いするつもりはないが、それでいいか?」
……良い訳がない。だって、それってリザヴェント様の家の誰かと、ううん、もしかしなくともご本人と、結婚するってことになるんでしょう?
「……そんな大事なこと、すぐに決められません」
「しかし、時間が無い。御前会議の議題に上って、陛下が了承してしまえば、もう覆すのは不可能だ」
容赦なく答えを出せと迫ってくるリザヴェント様。
分かっている。リザヴェント様が私の為を思ってそう提案してくれていると。はっきりとはよく分からないけれど、エクスエール公爵家に入ることは私にとって良くないことになると。
でも、リザヴェント様はそれでいいの? そんな理由で結婚を決めていいの?
それに、もしこの話に頷いてしまったら、私は王女様の気持ちを踏みにじることになってしまう。
「追い詰めるようなことを言うな。リナは貴族令嬢じゃないんだぞ」
そう言って庇ってくれるファリス様の声に、我慢していた涙が溢れた。
「リナ……」
泣くな、と叱られるとばかり思っていたのに、リザヴェント様は意外にも狼狽えたような声を出して、指で私の頬や目元を拭う。
「すまない。だが、エスクエール公爵の話を受け入れたくないのなら、宰相家に縋るしかないのだ」
「……リザヴェント様は、それでいいんですか?」
「嫌な訳がないだろう。大歓迎だ」
微笑んで優しく頭を撫でてくれるリザヴェント様。再び溢れだした大粒の涙を、何度も何度も優しく指先で拭ってくれる。
でも、どうしても今すぐに答えを出すことはできなかった。
「すみません。一日でいいので、時間をくれませんか?」
エスクエール公爵の話を断るのは当然のこと。これはリザヴェント様の提案を受け入れる決心を固めるための時間だ。
二つに一つなのだから、さっさと決めろと叱られるかと思ったけれど、リザヴェント様は困ったように一つ溜息を吐いただけで、分かった、と私の我儘を受け入れてくれた。