39.無理に決まっている
アデルハイドさんは、自分のことを秘密にしたがる。過去や、現在進行形で抱えている問題なんかも、問いただしてもはぐらかして本当のことを教えてくれようとしない。
けれど、エドワルド様から思わぬ形で個人情報を漏らされて動転したのか、らしくもなく盛大な自爆をかましてくれた。
「今朝起きたら、これを着るようにと用意されていたからだ。リナだって、そんなドレスを着ているからって、貴族になった訳じゃないだろう?」
「はい。勿論です」
って、貴族になるとかならないとか、どこからそういう発想になるんだろう。それって、つまり。
「……もしかして、アデルハイドさん、貴族になるんですか?」
そんな風に聞こえたんですけど、と目を瞬かせながら訊くと、アデルハイドさんは顔を引きつらせながら床を蹴りつけた。
それを見て、エドワルド様は堪え切れないといった様子で喉を鳴らして笑っている。
「アデルハイドさん?」
再度問いかけたのに、アデルハイドさんはこっちに背を向けて、完全にだんまりを決め込む姿勢だ。
……まただ。
でも、はぐらかさずに黙っているっていうことは、いつもより余裕がないのかも知れない。
そんな風に思っていると、本人に代わってエドワルド様が事の次第を語り始めた。
「魔将軍ヴァルハミルを倒した実力が認められて、ノヴェスト伯爵家からアデルハイドを養子に迎えるという話がきているんだよ」
「……エドワルド、貴様!」
鬼のような形相で振り向いたアデルハイドさんの強烈な視線を、エドワルド様は涼しい顔で受け止める。
「自分を含めて、他のメンバーも皆、知っていることでしょう。逆に、何故リナにだけそんなに必死で隠そうとするのか、僕からすればそっちの方が可笑しいと思いますけどね」
「……まだ、はっきりと決まった話じゃないからな」
そう吐き捨てたアデルハイドさんを呆然と見つめながら、知らず知らずのうちに呟きが漏れていた。
「アデルハイドさん、貴族になっちゃうんですね……」
「だから、まだ決まった訳じゃない。第一、その話を受けるかどうかも分からん」
むっつりと不機嫌な顔で首を振るアデルハイドさんに、エドワルド様は呆れたように首を横に振った。
「どうして迷うのか分かりませんね。ノヴェストは、我が国の北部に広大な領地を抱えている裕福な伯爵家。不幸が重なって跡取りが不在になってしまっていますが、老伯爵も温厚で話の分かる人物だと聞いています。北の山奥で厳しい生活を強いられているハイデラルシアの人々に、今よりもずっといい環境を整えてあげられるのではと思うのですが」
そう語るエドワルド様に一際鋭い眼光を浴びせた後、アデルハイドさんはこちらに背を向け、明後日の方向を見つめながら黙り込んでしまった。
「リナは、この話をどう思う?」
本人ではなく、エドワルド様に訊かれて正直戸惑った。けれど、今のエドワルド様の話を聞いた限りでは悪い話じゃないと思う。寧ろ、同郷の人々の暮らしを改善することができるし、アデルハイドさんにとっては願ったり叶ったりだ。
「いいお話じゃないですか。私も、受けたほうがいいと思います」
微動だにしないアデルハイドさんの背に向けてそう言った後で、何故こんないい話を受けるかどうか迷っているんだろう、と疑問に思った。
「でも、最終的には、アデルハイドさんのしたいようにするのが一番ですよね」
ハイデラルシアの人々の為に、なりたくもない貴族になって辛い思いをするのなら、今までと何も変わらないから。
そうかぁ。アデルハイドさんに、そんないい話が来ているんだ。どんなに高額な報酬を得ても、今のままだったら穴の開いたバケツに水を注ぐようなものだもんね。ハイデラルシアの人々に、今よりも気候のいい土地で高額の税金に追い立てられない暮らしを確立させてあげられるなんて、何も言うことはないいい話だ。
じゃあ、アデルハイドさんの中で、何が決断を躊躇わせているんだろう……。
エドワルド様に治癒してもらったお蔭で普通に歩けるようになったけれど、用心の為になるべくゆっくりと時間をかけて自室に戻った。
「皆様、お元気でいらっしゃいましたか?」
お茶を淹れてくれながらそう質問してくるハンナさんに曖昧に微笑みながら、誤魔化す為に熱いお茶に口をつける。ファリス様は遠目に見ただけで、リザヴェント様に至っては『元気』という情報を聞いたのみで、全くお姿を見ることができなかった。よく考えれば、弟子としては失格なご機嫌伺いになってしまった。
しばらくすると、エドワルド様が訪ねて来た。
「はい、これ」
手渡されたのは、少し形が歪んでしまった籠だった。中には、お見舞い用の焼き菓子の包みの代わりに、茶葉を詰めた瓶が三つと、それらに挟まれるように折りたたまれた紙が入っていた。
「それは、後でゆっくり読んで」
紙を取り出して開こうとする手を、上からやんわりと押さえられる。
それで、ピンときた。この紙には、さっき神殿で起きた不快な出来事に関して、エドワルド様が私に伝えたいことが書かれていると。
「その茶葉は、地方の神殿の茶畑で栽培されたものなんだ。健康にもいいし、心が安らぐいい香りがするから飲んでみて」
「ありがとうございます」
ハンナさんがいるから言わないけれど、これはきっと、私に対するお詫びの品なんだろう。
「じゃあ、これで」
「あ、あのっ……」
すぐに部屋から出て行こうとするエドワルド様を呼び止める。
「何?」
「……さっきの、アデルハイドさんのことなんですけど」
そう切り出すと、エドワルド様は訝しげに眉を顰めた。
「どうしてあんないいお話なのに、アデルハイドさんは迷っているんでしょうか。何だか気になってしまって」
「さあ。彼にも色々と事情があるんだろうね。結婚して家庭を持つとなると、それなりの覚悟も必要だし」
「……え?」
呆然と目を見開いた私に、エドワルド様は、おや? と不思議そうに首を傾げた。
「ノヴェスト伯爵は、自身の遠縁に当たる令嬢を養女にして、その婿としてアデルハイドを養子に迎えるんだ。……ああ、ごめん。そう言えば、さっきそれを言い忘れていたね。でも、何の血縁もない貴族家に養子に入るってことは、そういうことなんだよ」
「……そうなんですか」
そんな話なら、賛成なんてしなかったのに……。
そんな自分の心の呟く声に驚いた。
どうして? 何故、私はこんなにショックを受けているんだろう……。
エドワルド様が帰った後、窓辺に置かれた椅子に座って手紙を開く。
几帳面な字でびっしりと綴られたその手紙には、怖い目に遭わせてしまって申し訳ない、という謝罪と、あの赤毛の神官が謹慎処分を言い渡され、最低でも近々国境の小さな神殿に異動になるだろう事、そして籠の中身は床に散乱していたので全て自分が処理したと書かれていた。
……処理した、って、まさか食べたの?
まさかね、と思わず、乾いた笑いが出てしまって、振り向いたハンナさんに訝しげな視線を送られてしまった。
最後に、神殿に来るのが嫌なら、連絡をくれればいつでも会いに行くから、と書かれてあった。
……随分と、気を遣わせちゃったな。
でも、嫌なことがあったからって、用事の度に恩師を呼びつけるような真似はしたくない。それに、神殿に行くのを嫌がっていたら、何があったのかと心配されて、結局皆にあの出来事を話さなきゃいけなくなってしまう。
次からは、あんなことにならないよう、こっちが気を付ければいい話だ。
大きく溜息を吐いて立ち上がると、火の気のない暖炉に手を突っ込むようにして、炎の魔法を発動させて手紙を燃やす。何かの拍子にこの手紙をハンナさんに読まれでもしたら元も子もないから、ちゃんと処分しておかないと。
エドワルド様も、アデルハイドさんに知られないよう、気を遣ってくれていた。
……あ。もしかしたら、普段、他人のプライバシーを尊重しているエドワルド様が、唐突にアデルハイドさんの養子話を暴露したのって、アデルハイドさんの気を私から逸らす為だったのかも知れない。
実際、あの後アデルハイドさんは不機嫌モードに突入してしまい、裏口から厨房を出て行ってしまったのだから。
――ノヴェスト伯爵は、自身の遠縁に当たる令嬢を養女にして、その婿としてアデルハイドを養子に迎えるんだ。
さっきから、エドワルド様の言葉が頭から離れない。
血縁の無い貴族家に養子に入るということは、その貴族家の人物と結婚することだと、エドワルド様は言っていた。
……それで、アデルハイドさんが長年背負い続けていた重荷を下ろせるのなら、祝福してあげるのが仲間ってもんだよね。
そう思うのに、心の奥底に黒々とした負の感情が湧き上がってくる。
アデルハイドさんが、私の知らない誰かと結婚しちゃうんだ……。
厨房の片隅で酔っぱらってご機嫌な顔で笑ったり、私の頭を撫でて優しく微笑んだり、時々寂しそうに遠くを見つめたり、むっつりと黙り込んだり。
結婚してしまったら、そんなアデルハイドさんと、これまでのような時間を過ごすことはできなくなってしまう。そう思っただけで、まるで自分の一部が欠けてしまうかのような喪失感を覚えた。
「無理だよ」
ふと口から洩れた棘のある言葉に、ハンナさんが驚いたように振り返った。
「リナ様、何か?」
「ううん、何でもないです」
慌てて作り笑顔を浮かべながら、首を横に振る。
でも、心の中では、醜い顔をした私が大声で喚き散らしていた。
アデルハイドさんと貴族令嬢となんて、釣り合うはずがない。結婚なんて、無理に決まってるじゃない……!