37.続・お見舞いに出掛けました、が。
続いて、魔導室へと足を向ける。
――リザヴェントはあなたのことが好きなのよ。
廊下を歩いていると、ふと王女様の言葉を思い出してしまって、知らず知らずのうちに顔が熱くなってきた。
正直、まさか、という思いは今でも消えない。確かに、魔法の弟子として、他の人と比べて特別扱いして貰っていたと思う。けれど、それはあくまで私が同じ王命を受けた旅の仲間だからであって、鍛えて強くしないと国も自分たちの命も危ういから、という理由からなんじゃないだろうか。
――今では職務中にも関わらず、突然切なそうに溜息を吐きながら、あなたの名前を呟いているそうよ。
それは、ただ単に、「あいつはまだ、こんな魔法すらマスター出来ないなんて。どうやったらもっと早く成長してくれるのか」って頭を悩ませていただけなんじゃないのかな。
…………ああ、でも、もし、もし本当にリザヴェント様が私のことを好きだったらどうしよう。国随一の魔導師で、侯爵家の跡取りで、あんな美貌の持ち主で、優しいところのある人で、……おまけに何を考えているのかよく分からない人だし、事ある毎に睨んでくるし、こっちを見て胸を押えて苦しそうにするし、結構強引なところもあるし……、それに、王女様が恋している人なんだよね。
うん。どう考えても私の手に負える範疇を超えている。
魔トカゲに襲われていた時は非常事態だったからそれほど意識せずに済んだけど、今から一体どんな顔をしてどんな態度で会えばいいんだろう、と悩んでいるうちに、魔導室に到着してしまった。
「え、あんた誰? うちに何か用?」
……リザヴェント様だけに限らず、魔導師さんは少し変わった人が多いみたいだ。入り口で対応してくれているこの魔導師さんも個性的な人で、ローブをだらしなく着崩して、面倒くさげに頭を掻いている。
それにしても、リザヴェント様と同年代に見えるこの魔導師さんは、以前ここを訪ねた時にも対応してくれたし、魔導塔での指導に通っていた時にも廊下とかで何度か顔を合わせていたはずなのに、あんた誰って。わざと分からない振りをしているんだろうか。
「あの、リザヴェント様にお取次ぎを……」
「ああ、駄目駄目。うちはそういうの受け付けてないから」
……何ですと?
いつから魔導室は職務中の来客を拒否するようになったんだろう。あ、あれだろうか、ヴァルハミルの襲撃を受けて、危機管理対策でそういう規則になったのかも知れない。
「そうですか。……あの、リザヴェント様の具合はもう良くなって……」
「ああ、元気元気。全っ然、元気だから」
こっちの言葉を打ち消すように適当に答えられたので、これにはさすがにムッときた。
「それなら良かったです。もし良かったら、これをリザヴェント様にお渡ししていただけませんか?」
籠の中から包みを取り出して渡すと、はいはい、わかったわかった、と適当に相槌を打たれた挙句に、目の前で扉をバタンと閉められてしまった。
……まあ、リザヴェント様とどんな顔をして会えばいいのかと思い悩んでいたから、こんな結末になったのも願ったり叶ったり、と言えばいいんだろうか。物凄く腹は立ったけど。
自室を出た時とは半分の重さになった籠を持ち直して、魔導室の扉の前から踵を返す。
さて、次は神殿だ。
神殿に向かう長い廊下を歩いていると、さすがに左足が重くなってきた。
ちょっと疲れたかな。それはそうだ。丸三日、ほとんどまともに身体を動かしていなかったんだから。エドワルド様に会ったら、ついでに治癒術を施して貰おう。
そう思って気合いを入れ直した時、前から歩いて来た神官に声を掛けられた。
「どうしましたか? お見受けしたところ、どこか具合が悪いようですが」
色白でのっぺりした顔をした赤毛のその神官は、こちらに駆け寄ってくると、身を屈めて私の顔を覗きこんできた。
さすが、神官。歩いているところを見ただけで、足の具合が悪いのが分かったらしい。
「あ、あの、少し……」
でも、エドワルドさんに会ったら治癒して貰うから、と言おうとしたのに、突然恭しく手を握られて、驚きの余り、息と一緒に思わず言葉まで飲み込んでしまった。
「それはいけません。どうぞ、こちらへ」
「あ、いえ、あの……」
「どうか、このわたくしめにお任せを」
握った私の手を、丁重でありながら強引に引いて、神官さんは歩き始めた。
ヴァルハミルとの戦いで大怪我をした後、神官達には大変お世話になった。治癒術を施して貰っていなければ、今もまだベッドから一歩も出られない状態だっただろう。
だから、神官には感謝しなければいけないという気持ちと、知らない男性に手を引かれているという不快な気持ちがごっちゃになって、頭の中がパニックになっていた。
……気持ち悪い、とか思っちゃいけない。いくら、この人の顔とか雰囲気が生理的に受け付けないからって、好意で助けてくれようとしている人を拒否しちゃいけない。
そう思って我慢していると、赤髪の神官は神殿の広間の手前で右に曲がった。
……あれ? こっちって、確か。
以前、エドワルド様に忠告されたような気がする。
――神官の居住区には絶対に近づいちゃいけない。
確か、この先は神官の居住区になっているんじゃ……。
そう思っている間に、腕を引かれてその先の屋外に引っ張り出されそうになる。
「あのっ……」
怖くなって、握られている手を振りほどこうとしたけれど、逆に強く手を引かれてたたらを踏んだところを、突然抱きつかれた。
……うげっ。怖い!
怖過ぎて気持ち悪すぎて、悲鳴すら上げられない。ヴァルハミルに殺されそうになったのとはまた違った恐怖に、全身に鳥肌が立つ。
「ああ、どうか怖がらないで。実は、一目見てあなたに心を奪われてしまったのです。この哀れな男を、どうか許してください」
「は……?」
「せめて、あなたのお名前だけでも、教えていただけませんか?」
ナルシストっぽい口調でそう私の耳元で囁く神官の息が耳に掛かって、吐き気がするほどの嫌悪感に襲われた。
……誰か助けて!
心の中で救いを求めたけれど、助けはこなかった。
そうこうしているうちに、神官の右手が私の顎にかかった。抱きついている腕が一本になって、私の身体を拘束している力が緩む。
咄嗟にその右手を両手で掴んで捩じりあげると、相手が痛がって距離ができたところで右足を振り上げ、急所を蹴りつけた。
呻いて崩れ落ちる神官から逃げようとした時、屋外から別の神官がヒョイと入ってきた。
「え? 何? この状況」
エドワルド様と同じぐらいの年代の、茶色い髪をしたその神官は、一瞬キョトンとした表情になった後、この状況を理解したのか、突然眉を吊り上げた。呆然と立ち尽くしている私の前を素通りすると、蹲っている神官の襟首を掴んで締め上げる。
「貴様が何をしようとしていたのか、何も言わなくとも分かっている。だが、この方は貴族令嬢ではない。召喚された神託の少女だ」
げっ、と目を見開いて呻いた赤髪の神官を突き飛ばすと、茶髪の神官はこちらに向き直った。
「すまなかったね。この男の仕出かしたことは、とても許されることじゃない。厳罰をもって対応するよう、報告するよ」
すまなそうに眉尻を下げながらも、親しげにそう話しかけてくる茶髪の神官も、何だか胡散臭く感じられた。
エドワルド様も言っていたじゃない、人畜無害な神官だと思って、誰彼構わず気を許してはいけないよ、って。
あの赤髪の神官は、私を貴族令嬢だと思い込んで、力づくで口説こうとしていたんだ。自分の婿入り先を確保しようと必死で。この茶髪の神官だって、どういうつもりなのか分かったもんじゃない。
一歩、二歩と後ずさりすると、全力でその場から逃げだした。
後ろから私の名を呼んで制止する声が聞こえたけれど、無視してひたすら走り続ける。
……怖い。こちらに好意を持っている訳でもないのに、自分の利益や欲望の為にあんなことをするなんて。
でも、これが現実なんだ。ちゃんとエドワルド様も忠告してくれていたのに、怪我を治して貰った恩があるからって、知らない人に気を許した挙句がこれだ。
本当に馬鹿だ、私って。
走って走って、ついに足がもつれて転んでしまった。
その時になって、いつの間にか神殿の広間に続く廊下を通過した後、城には入らずに屋外を走っていたことに気付く。
擦りむいた両手から汚れを叩いて立ち上がろうとした時、左足に力が入らないことに気付いた。
……どうしよう。
さっき蹴りを繰り出した時に、軸足にした左足に負担がかかったんだ。その上、無鉄砲に全力疾走した結果、ついに限界を超えてしまったんだろう。
気付けば、お見舞いの焼き菓子を入れていた籠も手元にない。ひょっとしたら、さっき赤髪の神官に抱きつかれた場所に落としてきてしまったのかも知れない。
きっと、あの茶髪の神官から、エドワルド様にも話が伝わるだろう。ちゃんと忠告していたはずだって怒られるだろうなぁ。
あんな目に遭ったこともかなりのショックだけれど、それが皆の耳に入るかと思うとそっちのダメージの方が大きかった。
……とにかく、部屋に戻らないと。
ドレスの上から、痺れたように力の入らない左足を摩っていると、不意に声を掛けられた。
「どうかしたのか?」
顔を上げるのと、貴族風の平服を着た偉丈夫が私の傍らに膝を着くのとが同時だった。